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時代小説「欅風」(22)波江 寺の一角の小さな畑を手伝う

 波江は「三福」の店を畳むことを考え始めていた。柴橋和左衛門の店である「花橘」での勤めは続けたいのだが、妾になる話を断った以上、これからどうなるか不安だった。そんなある朝のこと、波江が畑仕事と千恵と一緒にしていた時、畑の隣に立っている寺の和尚が声をかけてきた。

「精が出ますな。おや、大根が大きくなっていますな。そちらは水菜ですか。拙僧の畑でも青物、土物を育てて台所をまかなっていますが、最近畑仕事をやってくれていた者が患ってしまいましてな、拙僧一人ではとても手が回らなくなりました。大変厚かましいお願いじゃが寺の畑の手伝いをしてもらえんじゃろうか」

「それは大変ですね。それほどお役に立てないかもしれませんが、私でよろしかったら」

「おお、それはありがたい」

 そんなやり取りがあって、波江は千恵と一緒に慈光和尚の畑を手伝うことになった。自分の畑と寺の畑で収穫できたものは、波江と千恵と寺が毎日必要としている量を超えるようになってきた。ある朝、畑の横の畦道で収穫した青物、土物を箱の上に並べて試しに売ってみたところ、予想した以上に買い求める客が来た。近くに住んでいる職人達の女房だった。

「ここの青物、土物は取れたてで美味しい。そしてなんていっても安い」と喜んでくれた。

 ところが近くで青物、土物を売っている店から横槍が入った。

「お宅は青物仲間に入っていないだろう。わずかな量であれば見逃してもいいが、余り目立つようなことになったら、仲間に加わってもらうぜ」

「ご覧の通り、私達が食べきれないものをお裾分けのような気持ちでお売りしているんです。何分素人がつくる青物でから、農家の皆さんのように立派なものを作っているわけではありません」

「そうだな。はね物だな、これは」

 そんなこともあり、波江の青物、土物直売の商いはお客の根強い贔屓もあって細く長く続くことになった。毎日の商いは小さな稼ぎであったが、月末に締めてみると馬鹿にならない金額になっていた。

 三福の毎月の稼ぎの三割ぐらいにはなった。

 波江は考え、そして心に決めた。

「来月で三福は暖簾を下ろそう。その分夕方は体が空くので荷車に青物、土物を積んで売って回ったらどうかしら」

 ある晴れた日の朝、波江と千恵は早く起きて堆肥づくりをして、それから慈光和尚の畑に移動した。慈光和尚は寺から出てきて、大根を抜いている。

「今日はふろふき大根でもつくろうと思ってな」

「立派な大根ですね」

 話すとそれぞれの口許に小さな湯気が出来る。

「一仕事終わったら、お寺の方にお寄りくだされ。お茶を飲みましょう」

「ありがとうございます。それではちょっと」

 波江と千恵は白菜の頭を稲藁で縛る作業を続けてから、寺に入っていった。すると客が来ていた。「アッ」と小さな声を上げて老婆が声をかけてきた。

「確か波江さん、伝法院通りでお会いした方ですよね。やっぱりそうだ。その節は大変お世話になりました」

 波江は奇遇に驚いた。

「お二人には寺の畑の手伝いをしてもらっていましてな」

「その後身体のお具合はいかがですか?」

「もう歳ですから歳相応にあちこちが弱ってきています。先も長くないようですから、今日は慈光和尚様にいろいろ相談したいと思い、やってきましたの」

「そうでしたか」

「私は照枝といいます。おやそちらは娘さんですか」

「親戚の娘さんです。いつも一緒の畑仕事をしてくれますので、本当に助かっています」茶を飲み、香の物をつまみながら、慈光和尚が遠くを見るような目でポツンと言った。

「戦国の世も終わり、天下太平の御世が始まったが、お侍さんたちはこれから何を生業としていくのじゃろうな。息が詰まるような世の中にならなければ良いのだが、さてどうしたものやら。最近は耶蘇が捕まり、火炙りになっているとか。信心は一人一人の心の問題のはずじゃが面倒な世の中になったものよ」

 その時照枝の目が微かに光ったのを波江は見た。

 波江は照枝と慈光和尚の話の邪魔にならないようにと、軽く頭を下げた。

「それでは私達は畑の仕事に戻ります。美味しいお茶をありがとうございました」

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