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時代小説「欅風」(28)才蔵と次郎太

 才蔵は夕食の後、囲炉裏のところでどこかションボリしていた。次郎太は暫く様子を見ていた。タケがお茶をすすめ、才蔵が飲み終わったところで声をかけた。

「ちょっと外に出てみべえ」

「今から何をしに」

「外は気持ち良さそうな風が吹いている。夜空も晴れているだろうし」

「そうですな」

 次郎太は車椅子に乗り、外に出て野草が一面広がっているところまで来てそこで下りた。

「ここら辺りで大の字になりましょう」

 二人は草むらの上に大の字になった。手足を伸ばし大の字になった。

「気持ち良かんべ」

「そうですな」

 二人は晴れた夜空を流れる雲を黙って見ていた。夥しい星が光っている。まるで手が届きそうだ。

 次郎太が呟いた。

「俺は星があまり好きじゃなかった。以前は死んだ人達の魂のように見えただ。なにしろ沢山の人が戦で死んでいったし、病気で死んでいっただ」

才蔵は流れる雲を目で追っていた。雲の切れ間で星が瞬いている。

「私は星とか花とかそういうものにこころ動かされるということが今迄無かった。それよりも書を読むことが好きだった。でも最近思うのだ。本当に必要なのは生きるための知恵、そして生きていこうとする力なのだ。それが私には欠けている」

「才蔵さんはいつもそのことを考えているんだね」

「生きていこうとする力が欲しい」才蔵はため息をつきながら言った。

 次郎太は才蔵の方に顔を向け、微笑みながら大きな声で

「俺は才蔵さんが大好きだ。悩みを抱えながらも俺と一緒に野良仕事をしている才蔵さんが好きだ。正直最初はいつまで持つかと思ったが、もう大丈夫だ。野良仕事の一通りのことは憶えたし」

才蔵は戸惑いながら、それでも少し嬉しそうに呟いた。

「私は人から好きだと言われたことは今迄の人生で一度も無かった。こんな私を好きですか」

「そうさ。お侍さんの体面を捨てて一人の農夫になるということは誰にでもできることではないと俺は思う」

「私は武士をやめて農夫になった方が良いかもしれないな」

「合っているかもしれませんよ。ところで俺の話をしてもいいかな」

「聞かせてください」

「俺は戦で両足を無くした時、心底もうダメだと思っただ。こんな身体ではもう働くことも出来ないし、死んだ方がいい、と。そんな俺だが、兄やんは俺のことを無くてはならない家族と言ってくれた。有難いと思っただ。だけどこんな身体じゃ穀潰しになる。そう言ったら兄やんは『次郎太、お前を働けるようにしてやる。暫く待ってくれ』と。俺は戦に行く前は兄やんと仲が良かった訳じゃない。俺は負けず嫌いだから兄やんとしょっちゅうぶつかっていたんだ。だからそんな俺を兄やんが哀れんで「ざまあみろ」と思っているんじゃないかと最初は疑った。しかし兄やんは眠る時間を削って俺のための車椅子を作ってくれた。

 最初の車椅子は乗り心地が悪く、また使い勝手も良くなかった。兄やんは俺のわがままを嫌な顔一つしないで聞きながらどんどん改良してくれた。その気持ちが本当に嬉しかっただ。俺はその時から、おっかさん、そして兄やんと一緒に生きて、働いていきたい。心底、そう思っただ。そうしたら馬力が出てきただよ」

 話の腰を折るようですが、と断って才蔵は言った。

「私にはそのような人がいないのです」

「才蔵さん、大切なことは一番身近な、大切な人のために生きることだ。今はいなくても才蔵さんにもきっとそういう人が現れるよ」

「そうだといいんですが、私はどうも相手の方を幸せにする自信が無いんです」

「いや、きっとそういう方がいますだ。才蔵さんのことを良く分かって助けてくれる人が」

「次郎太さんがそこまで言うなら、これからは神仏に祈りましょう」

「才蔵さん。俺の話を続けていいかな」

「これは失礼しました。続けてください」

「俺は才蔵さんと違って無学だ。しかし考えてみると天地の中にあるいくつもの大きな本を毎日五感を使って、ある時は第六感も使って読んできたのかもしれない。空という本、雲という本、風という本、木という本、草という本、土という本、水という本、本が沢山ある。生活がかかっているから読み間違えは許されない。兄やんと一緒に亡くなった親父から読み方を厳しく叩き込まれたものさ」

「生活がかかっているから・・・ですか。そうでしょうな。なにしろ大事な食べ物を育てているのですから。ところで雲を読むとはどんなふうにやりますか。私も読んでみたいものだ。」

「才蔵さん、明日の野良仕事の時、お教えしましょう。俺たちに沢山の本を読ませてくれる天地有情の神様は優しい時とおっかねえ時とがあって、時には俺達を突き落としたりする。そうやって俺達農民は鍛えられてきたんだ」

 才蔵は黙って次郎太の話を聞いている。

「才蔵さん、俺はもし怪我をしなかったら故郷を捨てて江戸に行っていたよ。俺は生まれつき数の計算が得意で親父がこの子は算術に明るいから商売人向きかもしれないと言って息子自慢をしていたんだ。しかし足の怪我でそうはいかなくなった。俺は最近考えた。今の生活が俺にとって一番幸せだし、自分も少しづつだが人間としても成長できているのじゃないかと」

 才蔵が受け止めて言った。

「世の中で立身出世をしても、人としてどうかなという人物は私の周りにも少なからずいますよ」

「才蔵さん、人間にとって一番大切なもの、それは心を通い合わすことのできる人達が自分の周りにいることじゃないか。俺は最近本当にそう思っている。そして自分の人生には意味があるということが分かることが大事だ。俺は最近村の子供達に和算を教えているだよ。問題が解けた時の子供達の喜びようが俺の励みにもなっている。江戸にいたらきっと金勘定をして女郎でも買いに行っていたかもしれない。人生の成功はいろいろなものを手に入れることだとするなら、手に入れたものはいずれ無くなる。俺は無くならないもののために生きたいんだ」

 才蔵はこころの中で呟いていた。

「一人の農夫がそんなに深いこと迄考えながら、仕事をし、生きているとは・・・。それに引き換え、自分は頭デッカチで悩んできた。これからは天地の本を読み、天地有情の神様を仰ぐ生活を次郎太さんに教えてもらいながら私もしていこう・・・」

 次郎太が咳きを一つして

「寒くなってきただ。そろそろ帰るべ」

 満天の星が輝いている。先ほど迄薄い雲にかかり咽ぶように光っていた星が雲の晴れ間から輝き出た。

「才蔵さん、皆が俺たちのことを見守ってくれているよ」

「本当にそうですな。私も元気が出てきました。ありがとう、次郎太さん」

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