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時代小説「欅風」(36)藩政改革推進 -その3 新経済政策 

新之助は天岡文七郎、叡基と談合を重ね、今後の狭野藩の経済政策をまとめた。それは次のような内容になった。

1. 藩内価格を設定する

2. 特産品を開発し、大阪、江戸の大市場に販売する

3. 観光産業を育てる

まず藩内価格の設定とは藩内で生活し、仕事をする領民の暮らしが成り立つことを目指すものだ。誰かが誰かの下請けのような上下関係ではなく、水平的につながり合って、一つの輪になるような在り方を目指している。どの仕事一つ欠けても一つの輪にはならない。


まず米の価格。米をつくる農民が安心して暮らせるよう適正な価格にする。毎月の作業費、苗、肥料代、農機具購入費・修理代、また品種改良などを行う費用も考慮して決める。価格は最低価格であり、品質の良い米であればそれ以上高く売ることができる。生産者は自分の米に名札をつける。名札には場所と使った肥料を明記する。米は自給自足を原則とし、他藩から購入することはしない。


他の主要農産物、特産品についても最低価格を設定する。すべてどのような作業が必要なのか、人手と時間と原料費など費用はどのくらいかかるものか、現場で調査の上、一つ一つ決めて行く。この藩内価格、最低価格制度を設定するために、産物組の者は算盤をはじきながら、一つ一つの費用を積み重ねる。またこの最低価格の設定は領民一人一人の仕事と暮らしを守るものであることを繰り返し説明する。狭野藩は小さな藩だ。だからこそ、領民が互いに仕事を支え合い、安心して暮らしていけるような仕組みが必要なのだ、また小さな藩だからこそ、それが出来るのだ。そして米を始めとして余った農産物は藩政府が最低価格で買い入れ、不作などに備え備蓄することとした。


二番目の特産品については重点産物を絞り込む。

まず生糸。現在ポルトガル、オランダ、エゲレス向けに輸出されている生糸は今後原糸の販売は止めて大阪、江戸向けに染めたり、模様、柄をつけて販売する。大阪、江戸の好み、流行を知るために大阪、江戸に小売の店を開設する。松前藩向けの草鞋。松前藩に出掛け、実際に使っている漁民から話を聞き、更に使いやすいものにしていく。水に濡れると鼻緒が切れやすいのでもっと丈夫なものにしてほしいとの要望も来ている。

米ぬかボカシ。藩内の泥炭の鉱脈を調査する。そして埋蔵量を正確に掴む。米ぬかボカシはまず藩内の農産物の増産のために使うことを優先する。


今後の特産品として薬草の栽培に力を入れる。薬草は加工して薬種にして薬湯にも使えるようにする。狭野藩の東は緩やかな傾斜の山間部になっているので、ここの東の斜面で薬草を栽培するようにする。標高に合わせ、それぞれの高さに適した薬草を育てていく。薬種はまず領民の病気治癒用を優先する。


三番目の観光産業についてはこれからの狭野藩にとって最大の産業になる可能性があり、藩政府として大いに力を入れていく。観光の目玉として考えらえるのは温浴施設と飲食店だ。狭野藩には自然の温泉も鉱泉もない。それではどのようにして温浴施設をつくるのか。

そのためには薬湯を売り物にする。病気毎の薬湯だ。このために大きな温浴施設を作る。


湯治客には藩で採れた美味しい農産物を料理したものを食べて貰う。農産物はやはり運搬していると味も落ち、傷みも出てくる。美味しいものを地元で採れたてで食べて貰うのが何と言っても一番だ。飲食店は藩内価格で米を始めとして農産物を買う。京都、大阪、和歌山から湯治客を呼ぶことにしよう。観光の収入が増えれば、温浴施設だけでなく、農産物を生産している農民も潤うことになる。

温浴施設で使う薪は山間部の間伐材を計画的に伐採して使うこととした。


また春夏秋冬、それぞれ1回づつ、祭を催す。春は花見。そのために桜と桃を狭山池の周囲にそれぞれ1000本植える。寒い冬の生活の中で春を待ち焦がれる湯治客のために早咲きの桜を植える。夏には推古天皇時代からの古代祭り。当時の風俗で笛の音に合わせ若い女性達が舞いを踊る。食べ物は狭野藩の山奥の鍾乳洞で採れる氷を使った菓子を出す。秋には山葡萄祭り。山葡萄から作られた酒がふるまわれる。そして狭野藩の領地で採れた農産物を使った各飲食店の名物料理大会。そして冬には民家が家を開放して囲炉裏端に湯治客を招く囲炉裏端食事会だ。狭野藩の領民も湯治客を家に招き、おもてなしをする。

毎回の祭りでまずは千人以上を目標としよう。

湯治客を狭野藩に呼び込むために春夏秋冬、大阪、京都、和歌山の目抜き通りで瓦版を配ることも決めた。


新之助と天岡、叡基が目指したのは、平凡でも安心して、希望が持てる、そして生きがいある日々を狭野藩の領地に生きる領民にもたらすことであった。そこには搾取があってはならない。

その一方で農産物にしても、工芸品にしてもより良いものをつくるための研鑽を怠らず、絶えず向上を心がける、というものだった。このため藩校の中に匠部を新設することにした。農産物と工芸品の改良と人材の育成を目的とする。


藩内最低価格は世間の相場よりも高くなるだろうが、それはそれで構わない。物は物価の高いところに流れてくる。万が一米が大不作になった時にも各所から米が流れてくるので飢饉の恐れは少なくなる。

お互いの仕事を守る、そのためには領民は外から流れてくる安物を買うことは控えるだろう。もしそういうことをすればいずれ領地にはいられなくなるはずだ。


新之助、天岡、叡基の三人は飯野家老に経済政策をまとめて差し出した。そしてそれは飯野家老から氏安に上がった。

ある日、飯野家老から藩主に直接説明するようにとの知らせがあった。

三人は藩主から質問が出てきそうな事柄について事前に打ち合わせを持った。問題はどこから手をつけたら良いかであった。一遍に全部を始める訳にはいかない。またこの経済政策を実施するためにどの程度の費用がかかるかであった。小さな成功の積み上げが大事だ。


氏安は3人の説明を聞いた後、こう言った。

「すぐに始めるが良い。一つだけ言っておきたいことがある。貴公らの考えは優れていると思う。だがそれを領民に押し付けてはならない。領民の言い分、悩み、希望を十分に聞いてほしい。その声を磨きの砂にして貴公らの案を更に磨き上げて行ってほしいのだ。本当に光を放ち、輝くような案にしてほしい。私は狭野藩を幸せな生活が出来、しかも経済的に豊かな藩にしたいと思っている。しかし豊か過ぎて傲慢になることが無いように、また貧しくて卑屈になることがないような品格のある藩にしたいと願っている」

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