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時代小説「欅風」(39)新之助 江戸出張

新之助は産物組の組頭代理となって以来、藩内の産物の資料を作成した。どこで何が、いつ頃、どのくらいの量とれるか、把握しておく必要があったからだ。そのため朝から夕方迄出歩いた。農民、商工業者は新之助のお役目を承知していたので協力的だったが、藩内の商人達は警戒していた。藩庁が殖産振興に力を入れるのは大いに賛成だが、自分達の商売の領分が削り取られ、何かとやりづらくなるのではないかと心配していた。

切手の発行以来、輸出用と他藩に販売するものは物産総会所が仕入れ値と売値を決めて一手に取り仕切っていた。切手の発行を通じて藩内の正貨が増え、藩内の経済状態も随分と改善された。特に農民の実入りが増えたので藩内の商いは活発になっていた。また藩内価格が設けられたので、商人達は値引きで勝負することができなくなり、藩内価格を最低価格としてできるだけ品質の良いものを仕入れるようになった。それだけ高く売れるからだ。その結果、農民も職人達も目の色を変えて品質改善に取り組み始めた。

 

 ある日、新之助と天岡文七郎は飯野家老に呼び出された。

「殿からお話があった。新しい経済政策の滑り出しが順調のようで殿も至極喜んでおられる。戸部と天岡が農民、職人、そして商人の中に入り混じって丹念に、分かりやすく説明し、また虚心坦懐に耳を傾けた結果であろうとお褒めの言葉があった。

さてそこで殿から新しいご下命がある。

戸部には近々江戸に出張し、江戸に店を出すための準備をすること。

天岡には近々大阪に出張し、経済運営について我が藩の顧問に相応しい学者を見つけること。

飯野家老が説明した。

「承知の通り、現在ポルトガル、オランダ、エゲレス向けに生糸が輸出されているが、今後幕府の統制が厳しくなり、輸出は出来なくなる。そこでこれからは江戸向けに生糸を染めたり、模様、柄をつけて販売することにしたい。どのような模様、柄が江戸で売れるのか、まずはその調査を目的に、藩庁直轄の店を日本橋に出す。戸部は江戸屋敷の徳田家老付けとする。調査期間は六ヶ月間だ。三ヶ月後いったん帰国し、報告の上、また出張する、ということになる。

天岡には今後の我が藩の経済運営を導くに相応しい学者を探してほしい。実学を旨とする学者だ。殿はこうも言われた。「学問は現実に生きて、問題を抱えているわれわれのために役立たなければならない。その一方でわれわれのこれからの行く手を照らす導きの星となるような高い考えと志も持っていなければならない」、と。こちらは調査期間は三ヶ月間だ。宿舎は久宝寺町に用意する。

「二人とも良いな、頼んだぞ」飯野家老はそう言ってから、殿から直々にお話がある、と二人を藩主の部屋に連れていった。

氏安は笑顔で二人を迎えた。

「戸部、天岡。そちらの働き振りは聞いておる。まずは順調な滑り出しで一安心だ。

苦労をかけるが引き続き頼むぞ。さて二人に話しておきたいことがある。まず商業という問題だ。世の中は士、農、工、商と言われ、商が一番下に来ている。これは商を賤しめる考えだ。商業は他人が作ったものを唯動かすだけで利益を掠め取る行為であり、人を騙したりする不届きな仕事だと世間では思われている。そう思わんか、戸部」

急に話を振られた新之助は

「そのようでございます」と無難な答えで応じた。

氏安は笑顔を消して、次のように言った。

「わしはそのような仕事を戸部にさせようとしている。商業とはそもそもどのような働きなのか。本当に世の中になくてはならない価値のある、誇りを持つことにできる仕事なのか、よくよく考えほしいのだ。その答えが見つかってから江戸に出張するが良い。

江戸に行ったら、狭野藩は商人の藩に成り下がったと揶揄したり、罵ったりする輩が必ずやいる。商業と経済について戸部なりのしっかりした考えを持っていれば、反論することもできるのではないかな。

次に天岡、藩の経済改革は息の長い事業だ。これからさまざまな難題も出てこよう。良き学者であれば天岡の知恵袋となり、また後ろ盾にもなってくれるはずだ。藩主の客分として受け入れるつもりじゃ。」


二人は膝行して氏安の部屋を出た。

新之助は執務の部屋に戻ってから、天岡に言った。

「殿の言われる通りだ。拙者の気持ちの中にも確かに商業を蔑む気持ちがどこかである。江戸下屋敷に居た時は、前菜畑で農作業をした。その時、確かに農作業を『何で侍の俺たちがやらなければならないんだ』。そんな気持ちがあった。百姓に身を落としたような惨めな気分になった。しかし、郷助たちに助けてもらいながら農作業をしていくうちに、農業の大切さ、厳しさ、そして農民魂というようなものに触れて拙者の考えは根本から変わった。しかし、商業の場合、どうしたらいいものか」

天岡が話を引き取り、思いがけないことを言った。

「殿は本当に民のことを考えている。職業の違いを超えて、どんな仕事であれ、誇りを持って仕事に励むことができるようにと心を砕いておられる。

殿はいずれ農民だけではなく、職人にも、商人にも税を納めさせることを考えておられるのではないかな。今は商人の役割を正式には認めていないので、商人達は冥加金を納めているが、これが不正の温床にもなりかねない。

職人達にも、商人にもそれぞれ一定の税を負担させ、農民の年貢の負担を減らそうというお考えではないかと拙者は推量している。

皆がお天道様の下で胸を張ってそれぞれの仕事に邁進する。これからはそういう時代だ。

殿は拙者が藩庁の重役から妬まれているのを心配してくださっている。天岡は殿のご寵愛をいいことに好き勝手なことをしている。軽輩の身でありながら生意気だ、ということで拙者が何かしくじるのを待っている」

「おぬしも大変だな」

「戸部も答えが出る迄江戸表に行けぬ訳だから、そちらも大変だ」

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