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時代小説「欅風」(43) 天岡 大阪で学者を探す その1

久宝寺町の狭野藩宿舎についた文七郎は、部屋に落ち着くと早速懐から紙を取り出し、思案に入った。

「殿からはあのように言われたが、我が藩に相応しい学者がいるものだろうか。まずは明日、懐仁堂に行って徳庵殿に相談してみよう。それからだ」

懐仁堂の屯倉徳庵には既に手紙を出し、訪問の趣きは伝えている。徳庵とは長い付き合いで昵懇の間柄である。

明くる朝、尼崎町に向かう天岡の姿があった。

徳庵は喜んで天岡を迎えた。

「天岡様の狭野藩でのご活躍振りはここ大阪にも聞こえています。さてお手紙でご訪問の趣旨は承っておりますが、お役に立てますかどうか。

近頃商人の気質も随分と変わって参りました。かつては堺の天王寺屋道叱、京都の茶屋四郎次郎、長崎の末次平蔵、博多の鳥居宗室など豪気な商人が綺羅星のようにおりましたが、いまや幕府の強大な力に封じ込められ、昔年の面影など消え失せてしまっております。今では、わたしども商人は士農工商の下、まるで日陰者扱いです。だからこそ、これからの商人の生きる道を見つけるために、5人の仲間でこの懐仁堂を始めました。

これから商人も学問に励み、世の中にとって商いがなくてはならない真っ当な仕事であることを、胸を張って言えるようになりたいと考えています。わたしたちの悲願、とでも言ったらよいでしょうか。」

徳庵の率直な話しぶりに文七郎も思わず引き込まれて言った。

「あの関白秀吉様に面と向かって『武士は嫌いだ』と言い放った博多の鳥居宗室も大阪夏の陣の前、既に徳川幕府の経済政策の下、牙を抜かれたようになったと聞いたことがあります。」

徳庵は声を少し低めて、言った。

「これから幕府の締め付けはますます激しくなることでしょう。石見銀山も幕府のものとなり、外国との貿易も幕府が独占しようとしています。幕府は巨万の財を蓄えて、経済と政治の力で各藩を、そして商人の活動を抑えつけようとしています。これからあらゆる面で息のつまるような世の中になるとわたしは見ております」

「徳庵殿、確かにこれから陰に陽に締め付けが強くなるのでしょうな。しかしどのようになっても、我われは生きていかなければなりません。幕府は全国300藩の生殺与奪の権を持っていると言っても過言ではありません。何が改易の理由になるか、知れたものではないのです。幕府のお咎めを受けぬよう注意の上にも注意し、そして自力で藩を守っていかなければならなりません。我が藩は小さな藩ですが、藩主と領民が心を合わせ、力を一つにするには丁度良い大きさでもあります。

大切なことは、経済の力と教育とわたしはかねがね考えてきました。しかしわたしだけでは余りにも力不足です。どなたか、我が藩の経営に良き助言をしてくださる先生はおられないでしょうか」

徳庵は暫く考え込んだ後に、言った。

「高名な先生方は既にしかるべき藩の藩主の客分になっていますから、まず難しいでしょうな。狭野藩は聡明な藩主と有能な天岡殿がおられるのですから、ここはこれから藩としてなんとしても解決したいという個別的問題について助言者を得る、というのが適当かと思いますが、いかがでしょうか」

「わたしなどはまだまだ能力の足らぬ者ですが、個別的問題について助言者を得るということですか。」

「例えば税の問題、藩の中での貨幣の流通の問題、運搬のための船舶の利用、領民のための施療、寺子屋の建設、運営などいろいろとあるのではないでしょうか」

「恐れ入りました。」

「わたしは天岡殿が狭野藩で取り組まれている改革策の詳細については知る由がありませんが、その成功を期待している者の一人です。有体に言えば幕府の統治は「何も与えず、奪い続ける」を根本にしています。先ほど鳥居宗室の話がでましたが、今度は藩主を幕府にただただ追従する腑抜けにしようとしているのです。まさに一将功なって万骨枯る、ということでしょうか。その中で小藩ながら、狭野藩は奪われ強い、奪われても踏みにじられても新しい芽を伸ばし、立ち上がってくる強かさを持とうとされている」

文七郎は徳庵がそこまで見ていたことに感銘を受けたが、一方で恐れ慄き、心中呟いた。「世の中の人々はそのように見ているのだ。そして幕府の狭野藩への圧力はこれからますます大きくなるに違いない」

文七郎は話を戻した。

「我が藩ではこれから江戸向けに絹布を販売したいと考えております。今迄外国に輸出しておりましたが、これからはご承知のように輸出が出来なくなりますので、国内での販売に力を入れていきたいのです」

「そのためにはまずは運搬手段が肝要です。貴重な絹布を安全に運ぶためには、やはり舟運が良いでしょう。舟運については誉田利明が『舟運秘策』という本を著しています。誉田利明は諸国を巡り歩いている経世家です。今度大阪に来た時に会われたらいかがでしょうか。もうすぐ来ると聞いております。わたしの手元に『舟運秘策』の抜粋がありますので、よろしかったらお貸ししましょう」

「貴重な書物をありがとうございます。それではお言葉に甘えて暫くお借り致します。徳庵様ですから申し上げますが、我が藩では、切手を生産増強のために発行しましたが、現在切手の量と藩内で流通している貨幣の量を合わせたものと物資の量との均衡を計り、物価の安定を図る必要が出てきました。生産活動が活発だからと言って、ただ闇雲に貨幣の量を多くしますと物価が上がってしまいます。まずは領民が徒にお金を溜めずに必要なもの、欲しいもののためにお金を使うようにしたいのです。お金が藩の外に出ずに藩の中を回るようにすれば物価も安定するのではないでしょうか」

徳庵は表情を引き締めて言った。

「天岡様、そのためには領民が安心して暮らせるような藩にしなければなりません。人がお金を溜める本当の理由は、自分達のこれからの暮らしに不安を感じるからなのです。不景気になったら、やはり頼りになるのはお金だ。病気になったら、薬を買うにしても医者にかかるにしても先立つものは、やはりお金だ、ということになります。必要最小限のお金を持っていれば良いと領民に思わせるにはどうしたら良いでしょうか。最近このことについて書いた本がでました。中野善好という、これもやはり経世家です。本の名前は『政事第一の仕方』です。

生憎手元にはありませんが、近々手に入ることになっています。

また税の問題は非常に大切です。現在の経済は米で成り立っていますから、士農工商と百姓は武士の次ですが、その分、年貢も重くなっています。一方商人には税は掛けられていませんから、百姓に負担が集中してしまいます。もっとも商人は冥加金を納めていますから、実質的には税のようなものを払うことになっていますが、やはり不平等感は免れないと私は考えています。

ところで天岡様は久宝寺町にお泊りとのこと、大阪滞在は三ヶ月間とのことですから、これからゆっくりお話を続けることができます。難しい話はこのくらいにして、お昼の食事をご一緒にいかがでしょうか。近くにちょっと旨い卵料理の店があります」

天岡は徳庵の話を聞きながら、徳庵の話が一つ一つ的を突いてくるのを感じた。

「徳庵殿、貴重なお話、誠に身が引き締まる思いで聞かせて頂きました」

「いやいや、町人の私にはこのくらいのことしか申し上げられません」

それから暫く経って、懐仁堂を出てすぐ近くの料理屋に向かう二人の姿があった。

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