時代小説「欅風」(44) 郷助、次郎太と孝吉と才蔵に青物市場談話
郷助は作業所の建設が一段落した後、青物市場について話しておきたいと夕餉の後、三人を集めた。次郎太、孝吉、才蔵を前にして、郷助は話し始めた。
「今迄、俺がやってきたことを三人に話しておきたいと思うだ。今日は青物の取引について話すので、聞いてくれ。最近いろいろな変化が生まれているだよ。
俺達青物を作っている百姓、つまり村のことを市場では山方と呼ぶだ。以前は山方に商人がやってきて、現金で青物を買っていた。つまり俺達から仕入れるわけだ。商人は仕入れた青物を持って武家とか料理屋とか青物屋に売る。それでも余ったものは行商、世間でいう棒振りに売るだ。天秤棒の前後の籠に青物を入れて売るから棒振りという訳だ。
ところが最近、お江戸の人口がドンドン増えているので、それに伴い、山方からの買い付け量がこれもドンドン増えているだ。今迄の商人は山方からの荷集め専門の仲買となり、問屋に持ち込む。問屋の先には市場というものがあり、そこにも仲買が集まっていて、仲買は武家とか料理屋に直接売ったり、小売で青物屋に売り、棒振りにも売る。」
郷助はここまで話して、一呼吸入れた。
才蔵が聞いた。
「郷助さん。こんな風に考えて良いのでしょうか。つまり今迄の商人は、農家、つまり山方から自分の金で青物を仕入れて、武家とか料理屋とか青物屋に売る。つまり仕入れと販売の両方をやっていた、しかし、今では客への直接販売はできなくなり、販売は問屋とその先の仲買と青物屋がやるようになった、と。」
「才蔵さん、その通りだ。今迄の商人はお客さんにこの青物は何々村の何とかどんが作った青物だ、と伝えることが出来た。言い換えると、お客さんはその商人の野菜なら間違いないと思って買うことが出来ただ。商人を介して、山方とお客さんがつながっていただ。しかし今では市場(いちば)が出来て、それぞれ手分けしてやるようになったので、そんなつながりは切れてしまった。山方ー仲買ー問屋ー仲買ーお客、という流れに変っただ。山方の仲買は少しでも安く買おうとする。お客さん方の仲買は少しでも高く売ろうとする。問屋は口銭を少しでも多く取ろうとする。みんな金のことばかり考えるようになった。以前は大体話合いで決まった価格も、最近ではそうじゃない。山方の仲買は、何々村からはもっと安く仕入れることができる、などと抜かすようになった。
それからもう一つ厄介な問題がある。ここお江戸の周りの山方は両御丸(江戸城の本丸と西丸)への青物のご用達をしなければならない。俺達の村でも慈姑(くわい)がご用達品になっている。これには御定値段というのがあって、相場よりも安く、必ず損が出る。それで損を被っても何とかなる大問屋がご用達品の請負人、つまり納人というのだが、差損を引き受けている。しかしご用達を担当すれば、損が出るが、旨味もそれ相当あるんだろう。だども、損を少しでも減らそう大問屋は仲買に因果を含め、俺達山方に安値を要求してくるだ。葵の紋所をちらつかせてくるので何とも厄介なのだ。
才蔵がびっくりしたように聞いた。
「幕府の皺寄せが私たちのところに迄来ているというわけですな。こうした場合何か手立てはあるのですか」
郷助は苦々しげに答えた。
「葵のご紋にかかわりの無い争いごとであれば幕府評定所に訴えることもできるが、ご用達品の場合はそうは行かないだ。泣き寝入りだよ」
郷助が続けて言う。
「だから俺達山方は御両丸のご用達は別として、その他では団結しなければならないだよ。仲買にいいようにされては駄目だ。ただ一人だけ俺達の気持ちを良く分かってくれる仲買人がいる。以前は山方から仕入れてお客に売っていた昔堅気の商人だ。惣次という名前の仲買人だ。惣次には昔からの客がついている。そこで山方の俺達は惣次には青物、土物を目立たない程度に売っている。惣次の客の中には棒振りが多いのだ。小太郎という子供の棒振りの父親は青物渡世だが風疾でろくに働けず、母親は病気がちで、小太郎が一家を背負うような形で身を粉にして働いている。仕事の合間に不動様へ病気回復を願って日々祈願に参詣し、無駄使いすることもなく、遊びごともしないで律儀に商売に励んでいる・・・と惣次から聞いたことがある。」
孝吉は黙って聞いている。
次郎太が口を開いた。
「兄やんがここらの村の山方のまとめ役をやっていたことは知っていただが、大変なことをやっていただな。このまとめ役は俺達には直ぐには無理だ。」
郷助は言った。
「次郎太。直ぐには無理なことは俺も分かっているだ。だども山方の寄り合いとか仲買との交渉の時は、次からお前にも出てほしい。少しづつやり方を覚えていけばいいだ。
それからもう一つある。是非取り組んでほしいのは卵だ。鶏に青物の屑を餌にして与えると黄身のしっかりした卵を産む。鶏を飼って卵を取って、青物と一緒に売ればいい。結構いい値段が売れるはずだ。卵は滋養があるということで近頃人気が出てきている。
そして最後に薩摩芋だ。『薩摩芋は高くて、おまけに毒もある』ということで以前はあまり食べる人もいなかったが、今は貴賎を問わず食べる人が増えてきている。
いずれ薩摩芋が主食になる時代がくるだろう。特に薩摩芋は焼くと旨い。だから俺達も薩摩芋の作り方を研究して、どこにも負けないものをつくるようにしたいと思っているだ。」
才蔵がちょっと言いにくそうに言った。
「郷助さん、毒があるというのは屁のことですか。確か薩摩芋を食べると屁が出ると聞いたことがあります」
郷助は笑って答える。
「薩摩芋を食べると屁が出るというのは本当だよ。だから俺は思っている。御両丸のご用達ものに薩摩芋はならないと。特に薩摩芋は女達の好物だ。大奥が大変なことになるだろうよ」
郷助も次郎太も孝吉も才蔵も大笑いした。
郷助は話を締めくくるように言った。
「これからの時代、なにがどうなるか、一寸先も分からないが、世の中がこれからどうなっていくか、どう変わっていくか、百姓の俺達も眼(まなこ)をしっかり開けて、耳の穴もかっぽじって見極めていかなければならないだ。」
才蔵はため息交じりに言った。
「お百姓さんも大変ですな。いや、その大変さを今日初めて知りました」
郷助は前を見据えて言った。
「大丈夫さ、俺達には農民魂がある、それもでかい魂が」
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