時代小説「欅風」(50) 桑名村の建て直し その一
天岡は部下の松本数馬を連れて桑名村に向かった。今回の狭野藩の立場はあくまで郡代の相談役と言う立場であった。郡代の澁谷達之進はいかにも役人風の男で、実力というより回りの引きで出世してきたような人物だった。口癖は「それは先例があるのか」「波風を立ててはいけない」「それはワシの責任ではない」であった。
天岡は郡代に挨拶をした後、桑名村各村の庄屋を回って歩いた。庄屋達には「桑名村建て直しのご下命を頂きましたので、是非ご協力頂きたい」と頭を下げて挨拶した。庄屋の中には「また無理難題を持ちかけてくるのではないか」と警戒する者も多かったが、天岡の丁寧な態度に好感を寄せる庄屋もいた。池田篤馬はそうした者達を一人一人記憶し、後で覚帖に記した。
天岡は松本に言った。
「侍と農民との身分の違いはあるが、元を正せば同じ人間、役割がそれぞれ異なるということだ。誠意を持って接し、相手の身になって考えれば、こちらの思うところもきっと分かってくれる。オヌシに一つ言っておきたいことがある。農民はお天道様の下で大地と共に、大地に根ざして生きている。人間はその大地に人間の力を加えて農産物の収穫を得る。大地は嘘は言わぬ。大地と共に生きている者は真実の生活をしている。そのような気持で農民と接することが肝要だ。良いな。それからもう一つある。「百姓は生かさず殺さず」そのように大御所様が言ったと伝えられているが、飛んでも無い間違いじゃ。大御所様は「百姓は国の宝だ」と言われた。生かさず殺さずは大久保長安殿が言ったとかで大御所様は「とんだ心得違いだ」と大久保をきつくお叱りになったそうだ」
天岡に命じられて松本は荷車に灘の酒を乗せて、庄屋を一軒一軒回って歩いて渡した。
「どうぞ寄合いの時にでもお飲みください」
天岡は桑名村に一ヶ月程滞在してから、狭野藩に戻ってきた。氏安と打ち合わるためであった。打ち合わせには叡基も同席した。桑名44村の建て直しについて更に詳しく打ち合わせ、方針を決める必要があった。
氏安が最初に口を開いた。
「御料地は徳川幕府を支える大土台である。御料地が栄えれば幕府も安泰だが、御料地の経営がうまく行かないようであれば幕府の将来に影が差すことになる。幕府は御料地を特別扱いにして、年貢も四公六民としている。我藩も四公六民であるが、多くの藩はそれではやっていけないとのことで、五公五民という藩が増えてきている。それどころかこれからは六公四民というところも出てくるやもしれぬ。
御料地では騒動とか一揆などはあってはならない、ということなのだ。このことはしっかりと胸に刻んでおいてもらいたい。良いな。
桑名44村については当然今後とも四公六民で行く。まずしなければならないことは米の生産石高を増やすことだ。毎年洪水で実をつけ始めた稲がそのまま腐ってしまう。そのため農民が「折角丹精込めて育てても今年もまた駄目かもしれない」そんな気持が先立って、農作業に力が入らないと風の便りに聞いた。
そこで叡基殿に長良川、町屋川、朝明川の三川が流れている肥沃な米どころで、決壊しやすい堤防の嵩上げ普請をやって貰いたいのだ。普請にかかる費えは全額狭野藩で負担することになっている」
氏安は叡基にまっすぐに顔を向けた。叡基は即座に答えた。
「畏まりました。藩にとっては大変な負担になるでしょうが、桑名44村の農民のためにまた我藩の将来のために、全力で普請に取り組む所存です。前回殿から三方針が示された後、早速長良川、町屋川、朝明川と三本の川が桑名の地を通り、海に流れ込んでいるあたりを見て回りました。大川の嵩上げは川が一本でしたが、桑名44村には3本の川が流れています。従いどの川の堰堤から先に嵩上げをするか、決めなければなりません」
叡基は懐から絵図を出し、三本の川の位置関係と水田の分布状況を説明した。
「確かに大変なところだな。それで叡基殿の考えはどうじゃ」
「朝明川の海に近い右岸の嵩上げから始めるのが良いかと存じます。そしてその次は朝明川の左岸ということになります。ところで嵩上げに使う土は現地では手に入りません。二里程離れた山で土を採り、荷車で運んでくることになるかと存じます。町屋川の右岸地帯も米どころですが、嵩上げは大規模な普請となりますので、それは将来のこととなりましょう」
一呼吸置いてから、叡基は続けた。
「殿に一つお願いがあります。今回の普請のために土木測量に通じた者を一人、それから普請の費えの勘定ができる者を一人、私につけて頂きたいのです。大川の普請の時は幕府普請奉行所の方で図面と測量資料を作成していましたので、それに基づき普請を致しました。また費えの勘定もやはり幕府普請奉行所勘定係で行っていましたが、此度の普請では測量、それに基づいた普請段取り、人足及び資材の費えの勘定、記帳などを全部自分達で行わなければなりません」
氏安は答えた。
「相分かった。勘定方は藩庁から出すことにする。測量関係については叡基殿の方で当たってみてはくれぬか」
「お願いを聞き届けてくださり、誠にありがとうございます。それでは測量関係については早速当たることと致します」
氏安は続ける。
「米の生産石高を上げるためには洪水対策と併せて、農民の意欲を高めなければならない。
そのためには農民の生活を守り、豊かにすることが第一じゃ。御料地の年貢は四公六民だが、この比率を変えなくとも生産量を上げれば農民の取り分が増える。どのようにして生産量を上げるか、米の味をどうしたら良くできるか。味の良い米は当然値も上がる。
そして米の生産はその年の天候によって大きく左右される。年貢を毎年決められた通りに納めるためには、やはりイザという時の貯えが必要だ。農民も納得させながらどのように貯えていくか。このあたりのことは、難しいところだが天岡に知恵を絞ってもらいたい」
天岡は答える。
「仰せの通りです。桑名44村を回り、私なりに感ずるところ多々ありました。御料地の場合は、一にも二にも米です。米の増産で大事なことは、やはり品種ではないかと存じます。冷害、旱魃、病害虫に強い米が望まれるところです。我藩でも品種改良に努めております。狭山池から流れ出す川の流域では推古天皇の御世から稲作が行われ、米づくりでは長い歴史を持っております。しかしそれぞれの地域でその土地の気候風土に合った稲作が行われておりますので、次回訪問の際には桑名村の米づくりの名人に会う心算でおります。」
頷いて聞いていた氏安が黙って手で天岡の話を遮り周囲を見回した。
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