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時代小説「欅風」(51) 慈光和尚の人生行路 その一

慈光和尚は穏やかな笑顔で波江を迎え、本堂の隣の部屋に案内した。

「最近、檀家から新茶を頂きましてな。ついてはいつも寺の畑の世話でご苦労をお掛けしている波江さんとご一緒に茶を飲みたいと思っていたところです。お声をかけたいと思っていました。これも御仏のお導きでしょうか」

「こちらこそいつもお気にかけて頂き、本当にありがたいことでございます」

茶を飲んだ波江は思わず、

「美味しい・・・」

和尚は香のものを勧めた後、少し改まった表情で言った。

「今日は宜しかったら少し拙僧のつまらない話を聞いて頂けますでしょうか。私の恥さらしになりますが、若い頃自分の生き方でとても悩みました。自尊心が強いくせに、一方で何もかも自分が人に比べて劣っている。そんな風に思っていましたのじゃ。侍の家に生まれましたので、行く行くは親の跡目を継がなければならない。それもいやでいやでしょうがなかった。自分は自分の道を行きたい。親父とはよく喧嘩をしました。誰も自分の苦しみ、悩みを分かってくれない。自棄になりましてな。若気の到りというか、そんな時、私は家を出て、江戸に向かったのです。江戸に行ったら何か先が見えるかもしれない、と」

そこまで話して和尚は茶を啜った。暫くの沈黙が流れた。

「ところが予想だにしていなかったことが、私が家を出た後、起こりました。私の故郷は福山なのですが、台風が襲ってきた晩、山が突然崩れ、川の土手が切れ、洪水で家々は押し流され跡形もなくなってしまったのです。たった一夜で。私の両親も、住んでいた家も、秋戸千軒と言われた懐かしい町の人々も軒を並べていた町家もこの地上から完全に姿を消してしまったとのことでした。そんなことがあるものかと思いました。まるで神隠しに遭ったような気持でした。私は家のあったところを探し回りましたが、分かりませんでした。私は大地に突っ伏して泣きました。今は亡き両親に謝りました。・・・そんなことがありましたのじゃ」

「大変な目に遭われたのですね。和尚様はご兄弟はいらしたのですか」

「弟と妹がおりましたが、両親と一緒に流されてしまったようです。私も死にたいと思いました。砂浜で夕陽をぼんやり見ていた時、旅の僧が通りかかり、声をかけてくれました。

旅の僧は秋戸千軒が流されたことを知っていました。横に座って私の身の上話を聞いてくれました。旅の僧は、自分はこれから江戸に上る、よかったら江戸迄ご一緒しませんかと誘ってくれました。私は家を出る時、両親の金をくすねて江戸で放蕩しました。江戸ではあまり良い思い出がなかった。しかしもう宛てが無かったので、江戸に行くことにして、旅の僧についていきました」

「それで江戸迄行かれたのですか」

「いや江戸には入れなかった。江戸の手前の鴨宮で足が止まりました。旅の僧に事情を話して、私はここに留まります、と伝えました。旅の僧は私の目をじっと見つめて、南無阿弥陀仏と念仏を唱えてくださいました。『この世で生き抜くためには、称名念仏ができるような暮らしをすることです。南無阿弥陀仏と称えるだけで、何も特別なことはありません。いいですか、生きていてください。生き抜くことです。浄土に行かれたご両親も、ご兄弟もきっとそれを望んでおられることでしょう。』

旅の僧は鴨宮のあるお寺を紹介してくれました。浄土真宗のお寺で、丁度寺男が病で辞めたとのことで、その後に私が入りました。

その寺には畑があり、住職は寺男に農作業をさせていました。それで私も農作業をすることになりましたが、夏は暑く、冬は寒く、汚れるわ、臭くなるわで閉口しましたが、寺の和尚は「それも修行じゃ」と言うだけでした。何とか食べるものはあり、寝泊りするところができて、落ち着いた頃、私は度々夢でうなされるようになりました。高いところから暗い底に落ちていく夢でした。何度も何度も同じような夢を見たので、和尚に相談しました。和尚は『それはオヌシの罪業だな。このまま行ったら本当に暗い罪業の底、無限地獄に落ちてしまって、二度と浮かび上がれないかも知れぬな』と呟くように言ったのです。私は飛び上がらんばかりになって和尚に泣き付きました。和尚は、『自分の罪業に気がついた今この時こそ、阿弥陀仏がオヌシを呼んでいる声を聞くのじゃ。そして信心すれば救われよう』と言ってから阿弥陀仏の念仏を唱え始めました」

波江は聞いた。

「仏教にも救いはあるのでしょうか」

「話せば少し長くなりますが、黒谷の上人、法然様は、仏教は悟りの宗教ではなく、救いの宗教だと言われました。法然様は南無阿弥陀仏と称え、阿弥陀仏に全てお任せすれば、在家の悪人さえも必ず浄土に往生して仏となれる、と言われたのです。平家の重衡が奈良の大仏殿を焼いた後、訪れた上人に、自分のようなものも救われるかと聞いた時、上人は救われる、と答えられたと平家物語にあります」

「悪人とはどのような人のことを言うのでしょうか。罪人ということでしょうか」

「悪人とは、これは親鸞上人のお考えですが、『自分の悪性を自覚している者』いうことになります」

「多くの人々は自分の悪性も自覚していないのではないでしょうか。人はどのようにして自分の悪性に気がつくのでしょうか」

「多分それは自分の力ではできないことでしょう。御仏が教えてくださるのです。親鸞上人は自分の悪性をトコトン追及された方です。仏に背を向け、逃げようとする罪深い私を阿弥陀仏は後ろから抱きかかえてくださる、と言うのです。」

「それでは救いの完成はどこにあるのでしょう」

「親鸞上人は仏の智慧と慈悲は真実であるが、私はどこまで行ってもニセモノと考えました。そのようなニセモノの私が救われるのは、阿弥陀仏によって私に振り向けられた信心である。その意味では完成はあるが、そこに到る道は難信であるとも言われています」

「難信とは難しいことばですね」

「親鸞上人の称名は念仏を唱えるだけではなく、念仏を唱える自分の心を同時に突き詰めていくので、真なる念仏を称えることができるか、できているかが絶えず問題となります」

「難しいのですね。ところで和尚様はずっと鴨宮のお寺にいたのですか」

「私はまずは自分の救いのために仏の教えを学びたいと思い、和尚にお願いしました。和尚は、経典として「般若心経」を選び、毎日朝のお勤めの後、私に教えてくれました。とても難解で当時の私の理解力をはるかに超えていました。その頃鴨宮にバテレンの教えを広めている琵琶法師がやってきました。和尚の使いで鴨宮の町に出た時、人通りの賑やかな市場の辻のところで大きな声で呼びかけていました。

「人は皆罪人じゃ。滅ぶばかりの罪人じゃ。そんな我らのためにゼウス様のお一人子、イエズス様が我らの地上に降りて来てくださった。我らの罪をその身に担うために、我らの間に来てくださった。イエズス様は我らの苦しみ、悲しみを知っていなさる。我らを救わんがため、十字架にかかってくださった。死に打ち勝ち、甦られた。イエズス様を信じれば、我らは救われる。永遠の命に預かれるのじゃ。イエズス様を信じよ。イエズス様を信じよ」

琵琶法師は叫んだ後、通りかかりの人に諭すように言ったのです。

「私は平戸からイエズス様を皆様にお伝えするために来ました。平戸から江戸迄説法をしながら旅をしていきます。どうぞ皆様イエス様を信じてください」

そう言ってから琵琶をかき鳴らし、平家物語「重衡被斬」を朗々と演じたのです。

演奏が終った後、人々は琵琶法師の前にそっとお金を置いていきました。

私は演奏の迫力にすっかり飲まれて、そこに立ち尽くしていました。いや、そればかりではなかったようです」

波江は平戸からきた琵琶法師と聞いて、心中「アッ」と叫んだ。

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