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時代小説「欅風」(57)新之助 商売に励む

新之助が店でいつも考えているのは「売れる商品」をどうやって早く見極めるか。もう一つは売れている商品の在庫切れをどのようにして防ぐか、だった。お客様が買いたいと言うのに商品がないのでは話にならない。それではお客様に申し訳ない。かと言って必要以上に仕入れて売残りを出すわけにはいかないので、ことはそう簡単ではない。そこで新之助はまず2つのことを考え、実行していた。

まず第一は毎日の品物を項目毎に分けて、売れた数字とどんな人が買っていったかの記録をつける。それを1週間毎に表にした。売上が伸びている品物もあれば、減っていく品物もある。購入客については、絵文字を考え、売り場では懐に入れた紙にその都度項目別に絵文字を書き、記録した。目的は品物の売れ行きの傾向をつかむことであり、もう一つはお客様の客層の増減の把握であった。

もう一つはお客様について良く知ることだった。お客様の名前、家族構成、体型、年頃、住んでいるところ、店との付き合い、品物の好み、その他気がついたことを「知客帖」と名付けた帳面に書き付けていった。目的はお客様の購買傾向を知ることであった。

新之助のこの考えは誰から教わったものでもなく、彼自身の下屋敷での青物栽培の経験から着想したものであった。

青物の栽培について当時世話になっていた郷助から次のように教えられたことがあった。

「新之助様。青物は種を播いてから収穫し、そしてまた種を採る迄には随分かかります。子供の成長と同じでドンドン変っていきますだ。そこでその都度その様子を月日と合わせて書き付けておくと役に立ちます。例えば種播きです。いつ種を播いた、いつ芽が出てきた、芽はどの程度出たか。種を播いたからと言って全部が全部芽を出すわけではありません。発芽率と言いますが、良い場合と悪い場合があります。また去年採った種の方が一昨年採った種より良く芽が出ます。」

郷助の家に呼ばれて夕餉を一緒にとった時、郷助が奥の部屋から紙をとじ合わせたものを持ってきて、新之助に見せた。

「私はこんな風にして毎回、毎年青物の栽培を書付けてきました」

分厚い大福帖のようなものだった。

「中を見せてもらってもよろしいですか」

「どうぞご覧になってください。何しろ忙しい中書き付けていますので、字とか数字が汚なくて読みにくいでしょうが・・・まあ自分が分かればいいということで書いていますのでご容赦ください」

新之助は紙を繰っていった。ところどころ絵を描き添えたものもあった。新之助は顔をあげて郷助に言った。

「それにしてもこと細かく記録しているもんですな。ヒバリが鳴いたとか、蜘蛛が巣を張ったとか・・・」

郷助は良く気がついてくれたと言わんばかりに、

「新之助様。お侍さん方にとってはヒバリとか蜘蛛は日々のお勤めには何の関係もないでしょうが、百姓にとっては大有りなんです。私らは山の姿、桜、蛙などの小さな生き物、そしてヒバリなど鳥の様子などを農作業をする上で、それぞれ大切な印にしています。蜘蛛は野菜をたべる害虫を食べてくれる益虫です。皆さんにとって蜘蛛はちょっと陰気な生き物でしょうが、私らにとっては大切な味方です」

「そうなのか。百姓は自然と共に生き、仕事をしていると聞いたことがあったが、本当にそうなんだな」

「それはそうとして、新之助様。記録をつけることです。天気も季節も毎年少しづつ違います。10年間農作業をすれば殆どの変化が分かるようになると言われていますが、その変化をすべて会得すれば、一人前です。そしてもう一つ大切なことは青物、根物のそれぞれの特徴を知り、どうしたらうまく育ち、沢山収穫できるかを学ぶことです。水を沢山欲しがるもの、水を枯らし気味にした方が良いもの、それぞれ違います」

新之助は狭野藩の江戸下屋敷で青物組の一人として日々のお勤めの前と後、前栽畑で農作業をしていた。郷助の家で夕餉の後、話を聞いてから、早速青物の栽培記録をつけるようになった。「この青物は殿が下屋敷に来た時食べるのを楽しみにしておられる」。青物組頭の高田修理からは度々そのように言われていた。失敗は許されない、ということでもあった。新之助は栽培記録をつけるようになってから、青物栽培にやりがいを感じるようになった。日々の青物の生長を観察する目付きも変っていった。二人一組の相手は木賀才蔵だった。当時の木賀は気をやんでいたが、新之助には「記録を取ることはいいことだ。問題はそれを続けられるかだ、頑張れよ」と言ってくれたことを思い出す。新之助は記録をとりながら自分なりにいろいろと創意工夫をした。素人の侍がやる青物栽培だ。表をつくったり、絵文字をつくったりした。幸いなことには新之助には絵心があった。作業の段取り、流れを絵巻物のようにつくり、そこに書き込みをしていた。

新之助は日本橋の呉服商「萩屋」二階の自分の居室で当時のことを懐かしく思い出し、呟いた。「あの時は農作業の後に記録をつける、というのは辛い仕事だったが、今こうして役にたっている。人生はなにがどこで役にたつか、分からないものだ」

新之助は番頭の繁蔵付きで店の仕事をしていた。一日の商いが終った後、繁蔵は新之助と短い時間だったが、毎晩話し合った。これは繁蔵の方から言い出したものだ。最近の新之助の仕事振りを見てのことだ。何をどのくらい仕入れるか、そして何を新しく仕入れるか、この二点について繁蔵は新之助の意見を聞いた。新之助の記録がモノをいいはじめていたのだ。繁蔵が言う。

「新吉さんの見通しは良く当ります。売上は増えるし、在庫は減るし、今迄無かった新しい品物も加わりお店の帳尻も大分良くなってきました。」

繁蔵は新之助の「知客帖」を見て、びっくりして言った。

「このようなものは今まで見たことはありません。新吉さんはどこでこのようなやり方を学んだのでしょうか」

新之助は答えた。青空の下の畑で学んだことです。そして百姓の皆さんからも実に多くのことを教えてもらったのです。それがこの呉服のお店で商いに役に立とうとは思ってもみませんでした。」

繁蔵が新之助に言った。

「新吉さん、私にも表の作り方と読み方を教えて貰いたいのだが」

新之助は即座に答えた。

「喜んで。まだまだ改良していかなければと思っています。もしよろしかったらこちらこそいろいろご指導をお願いします。」

隣の部屋で主人の徳兵衛が二人のやりとりを聞いていた。

「新之助さんは侍にしておくのは勿体無いないお方だ・・・さてさて」


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