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時代小説「欅風」(64)波江 養護院始める

 波江は慈光和尚の助けを受けながら、寺子屋を続けている。子どもたちが将来世間でしっかり仕事をし、生きていけるようにしたいというのが二人の願いだった。波江が読み書きを教え、また炊事、洗濯、食事など家事について教えている。慈光和尚は仏の教え、偉人の話を子供達に分かりやすく話した。この二人の働きに惹かれるようにして、才蔵が郷助一家に自分の思いを話した。郷助は言った。

「是非おやりください。和算はこれから身分に関係なく、大事な学問になります。私どもは我流で覚えましたが、才吉さんは筋道立てて学んだことでしょうから、子ども達もさぞ喜ぶことでしょう。そして農作業については波江さんがいらっしゃるので余計なことかもしれませんが、ウチの孝吉もお手伝いさせたく思います。いいな、孝吉。」

 郷助は隣に座っている孝吉を見て、言った。

「子どもたちに農作業の楽しさを教えるんだ」

「分かりました、おとっつさん」

 話を聞きながら、次郎太が言った。

「もし俺で良かったら、ソロバンと商いのコツだったら子どもたちに教えてあげられるんだが、兄やん、どうだろうか」

「おお、そうしてくれ。」

 寺子屋で教えることが増えてきたが、教える者達は日中畑で働いている子どもたちにとって負担にならないように、また興味を持って講話を聞き、実習ができるよう工夫した。また子どもたちそれぞれの理解力も違うので、特に個別指導に力を入れた。

 才蔵は波江の寺子屋を訪れ、郷助のところでの話を伝えた。そこにやってきた慈光和尚は話を聞き、手を合わせて言った。「ありがたいことじゃ」

 波江が出してくれたお茶を飲みながら、三人は暫くこれからの寺子屋の運営について話合った。青物のひき売り、直売所での販売に一層力を入れることにした。

 話が一区切りついたところで和尚が思いがけない話をした。

 それは赤ん坊の間引きの話であり、捨てられる嬰児の話であった。最近の不作で特に農村で増えているとのことだった。

「間引きを止めることはできないが、捨てられる嬰児が不憫じゃのう」

 慈光和尚はため息をつきながら言った。その時、波江が即座に言ったものだ。

「そのような子がいたら私が育てましょう」

「波江さんが、ですか。嬰児の場合、乳が必要です。どうされますのか」

「乳はご近所の母親に分けてもらえばなんとかなります。もしなければヤギの乳でも代わりになるかと思います。京司さんと菊枝さんのところでヤギを飼っていますから、事情をお話すれば、分けてくださることでしょう。」

 慈光和尚はいささかあっけに取られて、波江の顔を見た。

「この齢になって、私は赤子を育ててみたいと思うようになったのです。もう自分の子は産めないでしょうから、そのような捨てられた子を育て、母親になりたいのです」

 慈光和尚は言った。

「寺の納戸なら空いておりますじゃ。そこで嬰児を育てたらいかがかな。捨て子の嬰児が増えてくると波江さんも忙しくなりますが、大丈夫でしょうかな」

 波江は言った。

「千恵ちゃんにも手伝ってもらいます。そして寺子屋の子どもたちにも」

「そうですな、それがいい」

 平戸でかつて波江は夫ともに暮らしていた。しかし子宝に恵まれることはなかった。夫の実家からは「お子はまだですか」と絶えずせっつかれていた。夫は波江と床を共にすることがなかった。夜更けに帰宅した時、夫から香の匂いがした。どこかで女子と遊んできたのかと思ったが、それを聞く勇気がなかった。夫は殆ど口を気かなくなっていた。夫と一緒になった時、二人の間に子どもを授かることができれば、夫も変るのではないか、そう思い、夫が出かけた後、ゼウスに何度も何度も祈り、願った。

 そしてある晩、波江が着物の中に隠し持っていたクルスに気が付いた時、離縁を申し渡された。その後、母親を平戸において波江は逃げるようにして江戸に出てきたのだった。

 そしてそのような話が出た翌日寺の門前に小さな粗末な竹かごに入れて嬰児が捨てられていた。

 千恵が見つけ、急いで波江と慈光和尚に伝えた。二人は竹かごから赤子を抱き上げた。赤子は目を醒まし、大声で泣き始めた。産後間もないようであった。衰弱しているようだった。

 波江は赤子を抱き、あやした。

「可愛い小さな手をして・・・。口をもぐもぐさせて。お腹が空いているのね」

 慈光和尚は波江に聞いた。

「まずは重湯を作って飲ませたらいかがですか」

「そうですね。それからオムツを取り替えてあげましょう。気持悪かったでしょうね」

 波江は赤子を抱いて、寺に中に戻り、寝かせてオムツを取り替えた。それから身体を隅々までさすっていた。千恵を京司・菊枝のところに走らせ、ヤギの乳を貰いに行かせた。

 千恵から受け取った乳を暖かい重湯で薄めてから、小さな茶碗を使って波江は赤子に飲ませた。

 一段落した後、波江は慈光和尚に言った。

「和尚様、赤子は、夜は私の家に連れていきます。赤子は夜泣きをしますから。申し訳ありませんが、日中はお寺の納戸で世話をしたいと思います。」

「拙僧に上手に赤子の世話ができるか、心もとないところもありますが、精一杯やってみますじゃ」

 波江は千恵の捨て子の赤子を育てるために、農作業と引き売り、直売所での野菜の販売について相談した。

 千恵は言った。

「お母さんはできるだけ家に居た方がいいと千恵は思うの。だから引き売りは私と男の子で行きます。直売所も私と男の子でやります。」

「千恵ちゃん、そんなにやって大丈夫?」

「お母さんと一緒にやってきたから、やり方は分かるわ。大丈夫よ」

「でも大変だ、無理だと思ったらいつでも言ってね。千恵ちゃんが倒れたら大変。約束よ、必ず言ってね」

 波江は慈光和尚と今後のことについて話合った。お寺で捨て子の嬰児を引き取って育てているということが知れれば、今後嬰児を寺に捨てにくる若い母親が増えることだろう。そのままでは増える一方でいずれ世話ができなくなることが予想される。そこでどうするか。

 慈光和尚は言った。

「赤子を捨てる親もいれば、欲しくても子宝に恵まれない母親もいる。そこでですじゃ、拙僧と波江さんが身元引受人になって赤子を欲しがっている親達に紹介し、実の親になってもらう・・・というのはどうですかな。当寺の檀家の中にも子どもを欲しがっている若い夫婦がいるはずと拙僧は思いますのじゃ」

 波江は和尚の気持が良く分かった。静かに頷きながら

「そうですね。・・・元気に育てて新しい両親に託す、それが赤子にとっては一番いいのかもしれません」

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