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時代小説「欅風」(71)天岡の村請制と助郷制度改革 

 天岡は氏安から指示を受け、桑名44村の村請制と助郷制度についての改革案をまとめていた。割当てられた石高は検地で決まっている。石高の引き下げは認められる筋合いのものではなかった。石高は常に実際より高めに決められていた。以前九州の天領の一つ、天草で現実を考慮しない余りに高い石高に耐えかねて農民が逃散する、という事件が起きた。解決策は実質的な増産しかない。そのためには稲の品種改良を続け、病虫害、冷害に強い品種を作りだすことだ。米つくり名人の経験と知恵を集めて、少しでも早く新しい改良品種で実績を上げなければならない。天岡は米つくり名人の大会の後、名人達に定期的に集まってもらい、米作りについてそれぞれの地区での取り組みを聞き、どのようにしたら増産できるか、一緒に検討を続けた。その結果を踏まえて、名人の中から五名の者を選び、翌年の種籾の選抜を行なわせた。次に重要な課題が除草であった。除草は特に初期が大事だ。俗に雑草が生えてしまってから除草するのは下農、生え始めに除草するのが中農、生える前に除草するのが上農、と言われている。生える雑草を取り除くために桑名では農家がそれぞれ工夫して「田ころがし」という道具をつくり、使っていた。これは広い面積の除草が出来るので、便利な道具だ。この初期除草を行なうためには、稲の植え付け後、三~四日後に田ころがしを使うのは望ましいのだが、そのためには稲の苗がしっかり活着していることが前提になる。そのような活着の早い苗を作ることが課題となった。また苗を植えた後の水の深さも研究課題だ。ある田圃で通常よりも水を深くしたところ、一番厄介な雑草のヒエが殆ど出なかったと、その田圃の農民から報告があった。ヒエは稲との区別が難しい。深水というやり方でヒエを防ぐことができれば、ねがったりかなったりだ。種籾の選抜と二~三日で活着する育苗のやり方が課題となった。そして毎年被害が出ているイノシシ対策。山に近い田圃は毎年イノシシの被害を受ける。

 助郷制度は宿場を抱える村にとって大きな負担となっていた。人馬を抱えて、世話をし、荷物の運搬に支障が出ないようにしなければならないが、その負担は全て近在の村にかかってきた。年貢を納めた上に、宿場を維持するための負担もかかってくる。近在の村の負担を軽くするために、負担義務を持つ村の範囲を拡げることも考えられたが、他領の村まで侵すことはできない。

 桑名は大きな宿場町だ。助郷制度は今後ともしっかり維持していかなければならない。天岡は藩校の護民塾での検討内容も踏まえながら、助郷制度を支える新しい仕組みづくりに日夜没頭していた。その結果考え出した案は破天荒なものだった。以下がその概要だ。

1.桑名の宿場で商いをしている宿屋、飯屋、物売りは御料地の代官が発酵する切手を現金で購入する。

2.必要な金額は全部で500両。これは差上げ金ではなく、預け金で、満期になったら返還される。期間は5年間。利足金は1割で毎年50両が宿場に配られる。宿場の責任者は宿場の機能が十分維持できるように適切な配分する。

3.5年後には500両が、それぞれの切手の金額に合わせて返還される。500両の運用は御料地の札差が責任を持っておこなう。

4.6年後にはまた5年間の期間で同じやり方で500両を預け金で代官に預ける。

 桑名の宿場で商いをしている者達は、言うまでもなく宿場が栄えることを望んでいる。預け金であれば説得できるはずだが、問題は代官の発行した切手の安全性だ。天領の代官とは別に実質的な担保能力があるところが保証に入らなければならないだろう。

 宿場を利用する者達にとって、宿場の機能が充実していることがありがたいことだ。天岡はこれを機会に、宿場の運営体制を見直すことを考えていた。元気な人馬がいつも用意されていて、しかも安全な宿場なら利用者も増えることだろう。その結果桑名の宿場で商いをしている者達の実入りも増えていくことが十分見込まれる。

 札差は毎年利足金一割、50両を桑名の宿場に配らなければならない。この利回りを確保し、実現するためには、安全かつ一割以上の収益の上がる形で地場産業に投資する必要がある。この運用の仕組みを考えるのが最大の要だ。近頃世の中が安定してきたこともあり、景気が良くなってきた。貨幣の流通も多くなってきている。

 天岡はさらに検討を重ねて、護民塾の皆とも相談してから、藩主に上げることとした。


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