時代小説「欅風」(77)おしのと孝吉・夫婦へ
晩秋のある日、叡基のもとに一通の文が届いた。開いてみると郷助から送られてきたものだった。過日の訪問の礼が書き綴られていたが、その後叡基を驚かせるような文が続いていた。
「・・・。叡基様にお願いがあります。過日お伺いした時、私と孝吉が大変お世話になりました。その際、孝吉はおしのさんがかいがいしく働く様子を見て、またその後二人で話をしたりして、おしのさんに心を惹かれるようになったとのことです。最近私に孝吉が話があるとのことで聞きましたところ、おしのさんと夫婦になりたい、というのです。私の方からは叡基様のお考えもあろうし、またおしのさんの気持ちもあるだろうから、こちらだけで決められる話ではないが、お前がそこまで思っているなら叡基さまに文を書いてこちらの気持ちをお伝えしよう、ということになったわけでございます。孝吉はおしのさんが好きだと言っております。なにとぞよろしくお願い致します」
その日の夕餉の時、叡基はおしのに文の内容を伝えた。おしのは答えた。
「私のようなものを好きだと言ってくださるのは、本当に嬉しく、ありがたいことです。私も孝吉さんが好きです。ですが、もし私が居なくなったら叡基さまのお世話は誰がするのでしょうか」
叡基は言う。
「おしの、私のことは心配しなくてもいい。私は一人暮しには慣れている。孝吉と夫婦になり、幸せになるのだ。親爺さんの郷助さんも立派な人だ。それに江戸の近くにいれば別れ別れになった兄さんとも会えるかもしれない」
おしのは遠くを見るような表情で言った。
「もし生きていれば会えるかもしれませんが、私は最近兄さんはもう亡くなっているような気がしているのです。先日も夢で兄さんが出てきていうのです。『おしの、俺はもうお前には会えないが、幸せになるんだ。兄さんはお前の幸せを遠いところから祈っているよ』」
「おしの、それでは郷助さんに早速私の方から文を送るがいいか。文面はありがたく孝吉さんのお気持ちを受けとめさせていただきました。おしのは喜んで孝吉さんと夫婦になりたいと申しています、と」
おしのははっきりと頷いた後、泣き始めた。
「叡基さま、もうお世話できなくなって申しわけありません。そして江戸に嫁ぐことをお許しくださり、本当にありがとうございます」
叡基は涙顔のおしのに言った。
「おしの、一つだけ覚えておいてほしい。江戸に嫁いでもここがおしのの実家なのだ。私の他に元吉もいる。」
おしのは言った。
「ありがとうございます」後は言葉にならなかった。そして静かに立ち上がり、外に出ていった。元吉の墓の前にしゃがんでおしのが何かを言っている。
叡基は自分に話し掛けた。
「これで良かったのだ。おしのはきっと郷助夫婦にも可愛がってもらえるだろう。私も江戸に行く機会がきっとある。その時には足立村に寄っておしのに会うこととしよう」
翌日叡基は郷助に文をしたためた。
郷助からの文は折り返し来た。善は急げで年内には祝言を挙げたいということだった。叡基は測量の仕事が一段落する時期を選んで、おしのと相談の上、おしのと一緒に江戸に上ると返事した。
おしのは今までやってきた家事の内容を書き留めていた。特に食事の献立だ。
「叡基様、これが畑で作っている野菜の栽培帖です。これから寒くなりますが、寒さに耐えた野菜は美味しいのです。これから来年の春に向けて特に気をつけることはありせんが、ダイコン、ホウレンソウなどは時期がきましたら、収穫してください。そしてこれが献立帖です。今迄作ってきた食事の中で、叡基さまが特に気にいってくださったものには丸印をつけております」
叡基からの文を受け取った郷助一家は喜びに包まれていた。特に喜んだには郷助の妻、タケだった。
「私にも娘ができた。そして孫もこの目で見られる」
ある晩、郷助はタケとしみじみと話した。
「俺らには幼くして死んだ鉄吉と光枝がいた。子供が死んだ時、俺は生きる力を失いかけたが、お前がしっかり俺を支えてくれたお陰で何とかここまでやってこれた。おしのは光枝の身代わりかもしれない。本当に嬉しいことだ。」
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