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時代小説「欅風」(78)慈光和尚の願いと天岡の帳合への取り組み

 今日も夜明けから波江が畑に出て農作業をしている。千恵と幸太が一緒だ。波江が収穫するキュウリ、ナス、ネギ、インゲン、春ダイコンを受け取ってそれぞれ篭に入れている。形の良いものは行商で売るもので、自分達が食べるものは小さなもの、形の悪いもの、虫食いのあるものだった。畑で大体の仕分けをして、家に戻ってからもう一度仕分けをして、値段をつける。千恵と幸太はそれを天秤棒の前と後ろに下げた篭に入れて早朝の行商に出かけた。その間波江は赤ん坊の世話をしながら、自分と千恵、それに慈光和尚と孤児院の子供達の食事を用意した。毎朝大忙しの日々だ。千恵と幸太が行商から戻ってきてから朝餉をとった。

 波江と千恵と幸太は手製の岡持ちで食事をお寺に運んでいる。

 和尚は言う。

「今日の味噌汁はうまいですな。ナスに加えて豆腐。拙僧は暖かいご飯と味噌汁があれば十分ですが、いつもいろいろと料理を用意してくださって、ありがたいことです」

 豆腐は昨夕行商に行った千恵と幸太が豆腐屋で安く分けてもらったものだ。オカラの入った袋がいつの間にか篭の中に入っていた。馴染みの店なのでおかみさんは「いつもご苦労さんね」とねぎらいの言葉をかけてくれる。

 波江は卯の花料理が得意だった。今朝のおかずはオカラにニンジンと木耳とシイタケそれに菜っ葉を細かく刻んで入れたあえものだった。山椒の葉が乗っている。そしてキュウリの漬物。波江は千恵に言う。

「オカラっていうから何かカラを食べているような感じがするけど、オカラは料理の仕方次第では贅沢なものにもなるの。あわびのオカラ和えとか、鯛の煮汁でオカラを味付けして、鯛の身をほぐしていれたり、とか」

「お母さん、うちのオカラだって贅沢よ」

「ありがとう、千恵ちゃん。オカラ料理って沢山あるの。覚えておくと役に立つわ」

 ご飯は、以前はくず米で炊いていたが、最近は少しでも節約をしたいということで芋を半分ほど、ある時はヒエを半分ほど混ぜていた。幸い和尚も子供達も芋が好きなので、喜んで食べてくれている。和尚からは毎月自分と孤児院の子供達のため、ということである程度の食費を頂いている。できるだけその範囲に納めたいが食事で子供達に貧しい思いはさせたくない。「ここが私の腕の見せ所だわ」と波江は思っている。

 食事の時間は楽しい時だ。和尚は子供達といつも一緒に食事をしながら、声をかけ、話を聞いていた。朝餉の後、子供達にはいつものように今日一日の日課が始まる。

 午前中は農作業。昼食後から1つ半は寺子屋、そしてその後は再び畑に出て農作業。夕餉の後、波江と千恵は自分の家に戻るが、子供達は寺で和尚と一緒だ。和尚は消灯の時刻迄お釈迦様の教えを、そして和尚の創作物語「けん吉とかち子の冒険噺」を毎晩寝物語のように子供達に話して聞かせる。子供達は目を輝かせて聞いている。

 和尚はそんな日々の中でこころに強く思っていることがある。

「私は波江さんと千恵さんを自分の命を掛けても守らなければならない。そして才蔵さんの良き相談相手になり、気の病から完全に立ち直れるように助けたい」ということである。波江を守るという気持ちにはどこかに愛しさという感情が含まれていることを和尚は自覚していた。そして才蔵にはどこか昔の自分の姿を重ね合わせていた。

 寺にはキリシタン禁教のお触れが度々回ってくるようになった。それだけではなく、檀家の人別帳に名前が載っていないものがいないか、載っているものの中で不審なものはいないか、役人が調べにやってくる。どうも密告者がいるようだ。和尚には密告するものとされる者に心当たりはあるが、それはまったく与り知らぬことにしていた。

 ある晩、波江が赤ん坊を抱いて、貰い乳を飲ませている時、和尚が波江と千恵の家にやってきた。夜分に和尚が来るというのは初めてのことだった。

「夜分突然伺って申し訳ありませんが、ちょっと急ぎのことがありましてな」

 それは朝のお勤めについてのことだった。檀家の者たちも寺に来てお勤めをしているが、同じ時間に波江と千恵も来るように、皆と一緒にお勤めを守ってほしい、ということだった。波江は答えた。

「いつもお心遣いを頂き、ありがとうございます。それでは明日から、そうさせていただきます。」

 和尚は波江の懐に抱かれている赤ん坊を見て、「お腹一杯になったようですな、よく寝ている。どれどれ拙僧にも抱かせていただけないでしょうか。可愛い顔をして・・・」

 波江は赤ん坊を和尚に預けながら、「和尚さんが抱いてくださるって。良かったわね~」と赤ん坊に声をかけて「それではお願いします。私はお茶を」と言って立ち上がった。

「いやいやお構いなく」と和尚は慌てていったが、波江は台所で湯を沸かし始めた。

 和尚は赤ん坊を抱いたが、目を醒まして泣き出さないか、ひやひやしていた。

 二人を見ていた千恵が裁縫の手を止めて、言った。

「なんだかお父さんとお母さんみたい」

 狭野藩の天岡は屯倉徳庵を大阪に訪ねていた。桑名の助郷制度と狭野藩自体の帳合いの仕組みづくりについて相談するためであった。以前徳庵と会食していた際、以前大阪にやってきたイタリア商人から西洋の帳合いの仕組みについて聞かされ、いたく感心したという話を天岡は徳庵から聞いたことがあった。そのことを思い出したのだ。何か参考になるのでは、と思い、徳庵に文をしたためたところ、直ぐに返事がきた。

「西洋式帳合いに関心を持たれるとはさすが、天岡様でございます。実は私のところに西洋式帳合いのやり方について書かれた本があります。何か『スンマ』と呼ばれる帳合法の元本を分かりやすく、使いやすいものにした簡略本です。最近、ある通詞が翻訳して、私達も読めるようになりました」

 天岡は以前から帳合いについて四つのことを考えていた。

1.商品及び諸費用と金銭の流れを一致させるために全て貨幣で、つまり金とか銀ではなく、貨幣に一本化して表示できないか

2.儲けの最終的な額をどのように算出するか。儲けを出すためには元手と同時に汗水を流す人の働きというものがある。そのために賃金を支払う。売上金から仕入れ代と賃金を合わせた額を引いた残りが儲けとなるが、運搬費、利足金、保証金などの諸費用も実際はかかっている。もっと正確に本当の、最終的な儲け額を出したい。

3.儲けが出たら、それをどのように処分するか。借りた金であれば、利足金を除いた後に、残った儲けは元手に組み込んだり、関係者に褒賞金などを払うこともできる。自分の元手を積み上げていけば、他人から金を借りずに自分の力で事業を始めたり、拡げていくことができる。

4.藩の財政はどのような状態が望ましいのか。何を基準に藩の財政、収支状態を把握していくか。それが分れば藩のために短期的、長期的計画を立てることができる。

 徳庵は自分の商売にこの西洋式帳合法を取り入れている、その結果商売の実態を今迄以上に正確に掴むことができるようになり、どこをどう改善していけば良いかも分るようになった、また「スンマ」が発明されたイタリアではこの帳合法を採用した商人が商売を飛躍的に成功させた、自分もそれにあやかりたいという話をした後で、

「商売人には極めて役に立つ帳合法ですが、藩の経営にも役に立つかどうか、私はそのような立場に立ったことがありませんので、何んとも言えませんが、一度天岡様も研究されたらいかがでしょうか。簡略本が私の手元にもう一冊ありますので、お貸しすることができます。」

 天岡は即座に答えた。

「かたじけない。是非、お貸しください。」

 徳庵はこの西洋式帳合法のあらましについて説明してくれた。天岡にとって目から鱗が落ちるような思いだった。天岡は桑名の助郷制度で地場産業を選別し、100両の預け金に対する利足金の受け取りを確実にするために地場産業の経営になんらかの形で介入する必要を感じていたが、この西洋式帳合法であれば、それを使った経営指導という形で介入できるのではないかと思った。一方藩の場合は、徴税が藩の収入になり、藩庁の運営、久宝寺町の出先費用、江戸屋敷の運営、領国のさまざまな普請費用、武士に払う禄高、さらには幕府からの普請、賦役などの支出がある。徴税額の殆どは米作の出来高に左右される。不安定であることは避けられない。不作であれば藩の収入は落ち込み、支払うべきものが払えないという事態が起こる。やはり米の反当りの収量を増やし、一方で節約し、米を備蓄していかなければならない。

 天岡の話を徳庵はただただ頷いて聞いていたが、天岡の話が一段落した後でこう言った。

「天岡さんは大変な役目を背負っておられますな。しかし、天岡さんならきっとお出来になりますよ。」


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