時代小説「欅風」(80)狭野は桃源郷
叡基による狭野藩の領地利用計画の案が出来上がった。全領地を調査、測量して作った正確な地図が元になっている。そのために一年を費やした。
叡基は手書きの、丁寧に細かく描かれた地図を氏安の前に拡げた。
「心がけたことは現状をできるだけ尊重しつつも、狭野の領民にとって住むのに良く、働くにも良く、商売をするにも良く、狭野の地に観光でやってくる大坂、京都、堺の人々にとっても良い、この四つの良い、を実現するために領国内の割り振りを考えました。
まず狭野の中心を通る街道。ここは人と牛馬、馬車の往来が一番多いところですので、道路の幅を拡げて、広々とした道にします。そうすれば、ぶつかり合うこともなくなり、人も安心して歩くことができるようになります。先日、子供が馬車に轢かれるという事故が起こりました。馬車は真ん中の道を使います。牛馬、人は脇の道を使うということにして、人の歩く道には片側は桜の並木を植え、春には桜見物ができるようにします。もう一方の側には梅の並木を植えます。そして歩き疲れた時には気軽に座れるように椅子をところどころに置くこととします。」
氏安が言った。
「人々の歩く様子が目に浮かぶようです」
一呼吸置いて、叡基が続ける。
「この街道と交差している道があります」。
叡基はこの十字路を大きく広げて真ん中に空き地をつくると説明した。
「ここは何のための場所になるのですか」
「ここは祭の場所です。季節折々の祭のための舞台になります。住民も、観光で、また商売で狭野に来られた人達にも 楽しんで貰える場所となりましょう。街道には狭野の物産を売る店を左右に揃える予定です。店の地代は、間口の幅で徴収することします。今迄この街道を狭山往還道と呼んでいましたが、これからは狭山梅桜街道と名付けたらいかがと存じます。」
氏安は言う。
「良い名だ、狭山梅桜街道」
叡基は続ける。
「梅桜街道と交差する道は花の名をとって、道の片側に桔梗を、反対側に躑躅を植えることにして桔梗躑躅道。この桔梗躑躅道には旅籠、商人宿、飲食店などを並べることにします。街の中心には初春には梅、春には桜、夏には躑躅、秋には桔梗が咲くことでしょう」
叡基は、地図の別のところを指して言った。山の方だ。
「近頃はどの藩でも新田開発に力を入れております。そうしますと、今迄田畑でなかった雑木林、森を切り開くことになりますが、そこには農民の入会地というものがあります。
入会地は村や部落などの村落共同体で持っている土地で、そこで畑のために落葉を集めて腐葉土をつくったり、煮炊きのための薪を拾ったりしています。農民にとってはなくてはならない場所なのです。従い、そのような入会地ではない、空き地を新田にしていくなら差し支えないでしょうが、農民の入会地を侵すことだけは避けるべきと考えます。以前薬草を栽培するために山の中腹の森を拓く時に、自分達の入会地が侵され、奪われるのではないかと農民達が心配したことがありました」
氏安が尋ねる。
「その時はどうなりました?」
「そこは川の源流に近い森で、入会地ではなく、藩の直轄地でしたので、事なきを得ました。そこから少し下がったところに入会地があります。入会地をどうするかで藩の領民に対する姿勢が右か左かはっきりします。つまり農民の生活・仕事を大切にするか、あるいは目先の利益で農民をダメにするか。従い、新田開発を慎重に行なうこと、それは
とりもなおさず新田開発は最小限に留めて、稲作の面積当りの収量を引き上げる方策を採るということになるかと。後々のことを考えますとその方が賢明かと存じます。
これから多くの人々が狭野の地に来てくれるようになることでしょうから、野菜、果樹も栽培して、物産店向けの加工品にして、また旅籠、商人宿、飲食店向けの料理の食材として、販売することができましょう」
氏安が聞く。
「木綿、生糸などの換金性の高い作物はこれから増産していくことになりますが、どこで栽培することになりますか」
「木綿は荒地でも栽培できますので、領内で農民が耕作を放棄した畑を藩で買い上げて使うこととしますが、生糸のためには桑の木が多数必要になります。畑地にもなりにくく、入会地でもない山の傾斜地に桑の木を植えるのが良いかと思います。山を持っている地主が狭野にも何人かおりますので、地代を払えば使うことができます」
「木綿、生糸の栽培のために人手が必要だが、それはどのように?」
叡基は即座に答えた。
「領国の老人・女・子供達も働きます。狭野では老人も女もある程度年の行った子供も働く、ということにします。家族全員が働けば、家の暮し向きも良くなります」
「氏安様、国を富ませる秘策はありません。国の領民全員が適地適作、適材適所で仕事に励むことによって初めて国は豊かになります。武士も時間を見つけて畑で働くことが求められています。誰一人暇な者がいない国、さらに身体が不自由な者、知恵遅れの者でも働くことができる国、それが狭野の目指すところではないかと存じます。安心して働くことができる、飢えることがない、ささやかでも生き甲斐を持つことができる。それが桃源郷ではないかと考えました」
叡基の指先が狭山梅桜街道のところに戻った。
「ここに楽市楽座を置いてみました。商業を盛んにするためです。またその隣に物品交換所を設けます。それは商売ではなくて、領民が使わなくなった自分の生活日常品を物々交換する場所です。おカネが無くても生活に必要なものが手に入る場所です。交換するものが無い時にはツケにしておきます」
「氏安様は、桃源郷と言われました。文字通り、桃の木も領国のあちらこちらに植えることにします。」
「春には桃の花が咲き乱れる。目に浮かぶようだ。」
叡基は領民の安全を守るために河川の氾濫、崖崩れの普請を早急にする場所にも触れた。
河川二ヶ所の堤の修復。崖崩れの心配のある個所は10箇所。その中で近くに農家のある個所は六ヶ所であった。
間伐の木を細工して、山の傾斜面の要所要所に土留めを作った。叡基は農民に間伐材の利用を奨励した。適切に間伐していけば残された木は大きく生長し、広がった根でしっかりと土を掴み、土の中の岩を抱え込むことができる。
桑名の御料地では稲の選抜と新しい農機具の導入によって、そして何よりも集落同士の競争の結果、大きな増収を実現することができた。御料地ではまず米をつくることが優先された。従い農民達が自分で食べるヒエ、粟などの穀物、野菜は別にして他の換金性のある作物の栽培は極力抑えられた。一に米、二に米、三に米、だった。天岡の計算では今回の増収で、名目の石高に実質の石高が追いつくところまできた。御料地では四公六民となっているので、これで農民の実質的収入も増え、暮らし向きも良くなっていくことだろう。天岡が何よりも嬉しかったのは皆が力を合わせて、知恵を出し合い、新しいことに取り組み成果を出したことだった。自分は殿の指示の元、そのキッカケを作ったに過ぎない。
桑名の宿場の助郷制度では5種類の地場産業が選抜され、それぞれの産業に御料地の札差経由、100両づつ、合計500両の預け金が渡された。預け金は生産性を向上させるための設備投資に、また材料の仕入れ資金として使われる。天岡は新しい帳合法を取り入れることを預け金の条件とした。今迄と違う帳合法に慣れる迄は大変かもしれないが、これは預け金を貸す側にとっても、借りる側にとっても必ずや益になる。天岡は西洋式帳合法について正確に理解するためと導入の仕方を心得るために、その後何度か屯倉徳庵を訪ね、教えを受けた。毎年50両、近隣の農家に助郷制度のための追加の年貢を課すことなく、利足金で宿場の維持・充実を図ることができれば、桑名の宿場にとっても良いことだろう。
西洋式帳合法を導入・活用して、預け金で地場産業を振興させる。これは前代未聞のことであり、実際にやってみなければ分からない、やっているうちにいろいろな問題も出てくることだろう。この仕組みは狭野藩が、元本と毎年の利足金50両を宿場の出資者に対して約束している。絶対に成功させなければならない。天岡は氏安と相談の上、藩
庁の中で西洋式帳合法の普及につとめた。天岡の部下の者が西洋式帳合法を会得して、将来的には天岡に代わって地場産業を指導できるようにしていきたい、それが天岡の考えだった。最初の年が勝負だ。50両の利足金を出すことができれば、地場産業にとっては自信になり、宿場の出資者にとっては励みともなるだろう。更にこの仕組みが有効
であることを実証することにもなる。天岡は部下の者を連れて、5つの地場産業の作業所を定期的に回った。木綿の製糸工場、味醂の醸造所、家具の作業所、和紙づくりの作業所、化粧飾りの作業所が今後の発展性があるということで選ばれた。
足立村の郷助の家では、孝吉がおしのを嫁にもらい、夫婦になった。おしのはタケの家事を助け、また才蔵、次郎太、孝吉と一緒に畑に出かけ農作業に汗を流し、作業所の助手達の洗濯物など身の回りの世話もしている。そして最近のことだが、おしのが身ごもったことが分かった。
タケがおしのに言う。
「元気な赤ん坊を産むにはこれからが大事だよ。無理をしちゃいけねえ。特にお腹にさわるような作業は避けた方がいい」
タケは郷助、孝吉、次郎太、才蔵と相談した。
その結果、身体が落ち着くまでは身体に負担の少ない、軽作業に専念することとした。
郷助がおしのに話した。
「みんなでおしののここ当分の作業について話し合っただ。それで、おしのにはこんな作業をしてほしい、ということになった。まずはタケと一緒に朝昼晩三食の食事づくり。それから作業場の帳簿付け、畑に出て作業するのは暫く休みだ」
おしのは答えた。
「皆様のお心遣い、ありがとうございます。元気な赤ん坊を産むことができるよう、おしのは努めて参ります」
郷助が作業場の帳簿付けをおしのに言いつけたのには訳がある。ある日おしのが作業場で才蔵が帳簿を付けているのを見て、聞いた。
「これは何でしょうか」
「これは帳簿と言って、この作業場で使う材料、薪などの燃料などの仕入帳、義手、義足、車椅子、松葉杖などの販売の内訳を表す売上帳、この2つが基本で、毎日書き込むようになっています」
おしのが才蔵に聞く。
「このようなものは初めてみました。叡基様と一緒におりました時には家計簿のようなものは付けていましたが、作業場ではこのような本格的なものが必要なんですね。私もできることならお手伝いしたいのですが、私にもできるでしょうか」
「家計簿をつけていたのなら、できますよ。おしのさんは字が上手ですし、和算の勉強をしていたのでしょうか、計算も早い」
そんなやり取りを郷助は傍で聞いていた。
孝吉はおしのを嫁に迎えてから、逞しくなった。
「オレがおしのを幸せにする。そして今迄以上に父さん、母さんを助けていきたい」
孝吉はおしのと二人きりの時、おしのにそう言って、おしのを抱きしめた。
ある日、郷助の元に江戸城からの使いが来た。
使者は郷助に文と包みを渡しながら言った。
「土井様からの文と包みだ。ここに確かに受け取ったことを証するために貴公の名前と今日の日付を書くように」
郷助が封を開いてみると二通の文が入っていた。
一通は土井利勝からのものだった。
「娘のために良き義足を作ってくれたこと、感謝申し上げる。娘は祝言の日に誰の助けも借りず、花嫁姿で一人で歩いたのだ。私は自分の目を疑った。涙が出て止まらなかった。お礼の気持ちを込めて金子を包ませてもらった。今後ともよろしくお頼み申し上げる」
もう一通は娘からのものだった。
「良き足をつくってくださり、ありがとうございました。お陰様で五体満足で花嫁姿になることができました。これからも何かとお世話になるかと存じます。琴より」
包みには10両が入っていた。郷助は才蔵と相談の上、今後の開発のために、またいざという時のために、積立金という特別勘定をつくり、その勘定に入れることにした。
波江の家では千恵の考えを実現する準備が始まっていた。波江と千恵の家では、食べ物はほぼ自分達の畑と慈光和尚の寺の畑で賄うことができていたが、現金収入は慈光和尚から頂く孤児院の子供達のための食費、それに千恵と幸太が朝夕の行商で稼いでくる金と直売所の売上げだけだった。
波江は農作業、孤児院の子供達の食事、赤ん坊の世話、孤児院の寺子屋の準備に追われていた。現在の現金収入でやっていけないことはないが、ぎりぎりだった。千恵はある時、波江から家計簿を見せてもらった。
「お母さん、こういうのを付けていたんだね。毎晩寝る前に何をしているのかと思っていたの」
「和尚様から毎月食費を頂いていることは千恵ちゃんも知っているわね。そして千恵ちゃんが幸太と一緒に朝夕行商で野菜を売ってくれている。それから直売所の売上げもあるわ。毎日の売上もこの家計簿につけているの。お米とかお芋などはできるだけ半額の日に買うようにしているわ。今月はいくらおカネが入ってきて、いくら出たかを記録しているの」
千恵が心配そうに聞く。
「足りない時もあるの」
「そんなにはないけど、時々あるわ」
「その時はどうしているの」
「足りなくなった訳を調べて、できるだけ翌月に埋め合わせするようにしているわ」
千恵は思わず言った。
「お母さん、千恵、もっと稼ぐ」
「どうやって?」
「それはこれから考える」
そんなやり取りがあってから暫く経った日、千恵はこんなことを言った。
「お母さん、普請場で働いている人達のためにすぐに食べられるお弁当をつくって売ったらどうかと思ったの。いつも行商にいく町の先に大きな普請場があって大勢の人達が働いているわ。おにぎりとかお稲荷さんと野菜の煮物、それにお漬物を添えて、お弁当にして売ったら売れるんじゃないかと思ったの。野菜はウチの畑でとれるものを使います」
波江は以前小さな屋台のような食べ物屋をやっていた。千恵と一緒に生活するようになってから店をたたんだ。それだけではなく、女が夜遅くまで、一人で店を出しているのは危ないご時世にもなっていた。
「昼間だったら大丈夫かもしれない。それに千恵ちゃんは大人顔負けのしっかりものだから。毎日のお弁当づくりで、私の料理を千恵ちゃんに伝えることもできる。でも無理をさせてはいけない。毎日10食くらいのお弁当で始めてみたらどうかしら」
波江は千恵に伝えた。
「いい考えだわ。まずは10食ぐらいからやってみたらどうかしら。毎日の献立は千恵ちゃんとお母さんが一緒に考える、というのでどう?」
千恵は喜んだ。
「お母さん、ありがとう。千恵、頑張る」
「千恵ちゃん、ありがとうと言うのはお母さんの方よ」
四谷の荒木町の店、「大和屋」で新之助は支配人として商売に励んでいる。店主の順吉は、さすが徳兵衛が仕込んだだけあって、商売の勘働きが並みではない。最近新之助は順吉から今後の商売の進め方について相談を受けた。
「戸部様、これは手前が考えたことなのですが、お店でお客様を待つだけでなく、品物をみつくろってお客様のお宅迄お伺いするというやり方を「大和屋」の売りにしたらいかがでしょうか。先だって伺ったお客様が大層喜んでくださったことで、そう思ったわけでございます」
「良い考えだ。荒木町界隈には多くの呉服屋がある。お客様にウチの店を選んで頂くためには他の店にない、ウチ独自の魅力が必要だと私もかねがね思っていた」
「戸部様、お店は一日中忙しいとは限りません。しばらくの間は今の人数でやりくりできるかと思います。絹は高価ですから、お買い求めになるお客様は限られております。齢をとり、外を歩くのが何かと不自由になっても女の方はお洒落をしたいと思うものでございます。商家のご主人方は何かとお付き合いの多いものです。ですから口から口へと「大和屋」の「お伺い」が広まっていけば、よろしいかと思います」
新之助と順吉は「お伺い」の仕組みと人選を進めた。縮緬の見本帖をつくり、縮緬の反物を包む、肩に背負う専用の袋を作った。お伺いは康吉を担当とした。お客様の話を丁寧に聞くだけでなく、お買い上げいただいたお客様の名前、身の丈、年齢、好み、お客様との話のやりとりなどを、たった一度でもすべて覚えてしまうという特技を持っていた。
「お伺い」を始めてから半年、「お伺い」による商いが店の売上の三割を占めるまでになった。他の呉服屋も「大和屋」の商いのやり方に気付き始めた。
新之助は順吉に言った。
「これからが本当の勝負だ」
狭野の領内を歩く氏安の姿が見える。伴の者を一人連れている。昔部屋住みだった頃、そうしていたように、氏安は領民に声を掛け、話し込んだ。梅桜街道と桔梗躑躅道の普請現場にも度々足を運んだ。
氏安は十字路の真ん中の欅に目を向けた。根元から多くの枝が伸びている。その枝も幹のように太い。その欅を見ながら氏安は心中で自分に語り掛けた。
「時代の烈風はこれからますます激しさを増すことだろう。しかし、わが狭野藩はこのような欅となって烈風を受けとめ、生き抜いていくのだ」
氏安は小田原の方角に顔を向け、祈った。
(完)
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