私の徒然草 第7話「一日一日を区切って生きる」
今回は「一日一生」というテーマで書きたいと思いますが、これはネットで調べると割と出ています。この言葉の語源は何かと思って調べてみたのですが、すぐには見つかりませんでした。ネットなどの解釈を見ると「今日を最後の1日と考えて、悔いのないように生きましょう」というものがありました。日々そのように考えると1日1日を大事に生きられるのではないかということなのですが、「今日が最後だ」というように思いながら生きようとすると、なんとなく疲れてしまうような気がします。
もちろん、それはそれで良いとは思うのですが、私の場合は少し緊張してしまいます。私の考える幸せな状態というのは、リラックスをしていながらも引き締まっている状態です。自分の実感としては緊張すると萎縮してしまい、脳の働きが悪くなってしまうのです。「今日は最後の1日」と思ってしまうと、なんとなく「後がない」という切羽詰まった感じがあります。 「今日が最後」というネットの解釈が多かったのですが、それよりも私は「希望の明日に繋がるように、これからの人生が更に幸せになるように、1日1日に区切りをつけて生きていく」という解釈にしたいと思います。
「毎日が一生で、終わったら切り替えて次に行こう」というのが私の考えで、これはサイコ・サイバネティクスのマックスウェル・マルツの考え方とも近いのですが、要するに「昨日あったことを引きずらない」ということです。 過去に戻っても修正できないのだから、終わったことは終わったこととして1日を区切って生きるということが大事ではないでしょうか。未来に対して不安を抱いたり、過去を引きずって後悔するというのは、今を生きることにおいては損だというイメージがあります。この考えが私は好きなので、毎日を区切るという意味では、「一日一生」を次のように解釈したいと思います。「毎日、新しい人生を生きる」このほうが個人的には好きです。また実行可能な感じがします。
もちろん「毎日の努力を積み上げる」という考え方でもいいですし、いろいろな考え方があってもいいと思います。 しかし、私は疲れてしまうのが少し苦手で長く続かないので、もう少しリラックスの要素を入れたいのです。 「今日は新しい人生だな」というほうが、これからの1日に対して可能性が開けるようなイメージがあります。 リラックスしながらも頑張るというイメージです。緊張はしていないのです。 自然な状態ではあるけれど引き締まっているという感じです。「自然体で生きる」と言ったら良いでしょうか。
菜園の野菜たちも「一日一生」の思いで毎日成長しているのではないでしょうか。野菜も植物ですから太陽の光を求めて枝葉を伸ばしていきます。光合成です。そして最後は人の食べものになって人の活動と健康を支えていきます。菜園の野菜たちを見ながら、野菜にも自分にも朝から晩迄の一日が与えられていることに感謝していました。
(阿部)
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