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阿栗 満(Agri‐man)氏の農的人生(4) 日常生活に喜びと幸せを感じる

阿栗は仕事人間だ。仕事をしている時は仕事に集中していく。以前仕事中心の生き方をしていた時は特に感じなかったが、仕事の量を減らして自由な時間が増えてくるにつれて、日々の生活と向き合う機会が多くなってきた。そこに一つの戸惑いが生まれた。仕事の場合は自分に与えられた責任を果たした達成感、報酬さらには新しい人達との出会いもある。しかし、日々の生活は、毎日ほぼ同じことの繰り返しとなる。阿栗はそのことで悩んだ時期があった。毎日同じのことを繰り返し、段々歳をとっていく。そしてある時期に死を迎える。

「毎日同じようなことをしながら、朝起きて、朝、昼、晩と食事をして、夜は風呂に入って、布団に横たわる。こうした生活に一体何の意味があるのか」。呟くことが多くなった。


 しかし、一つの出来事を通じて、考え方が変わり始めた。それは<味覚、嗅覚>がある時から無くなったということだった。食べ物の味がしない、匂いがしないというのは想像以上に大きな問題だった。それまで公私ともに忙しく、また自分では気がついていなかったが、大きなストレスを抱え込んでいたのだろう。ストレスが原因で味覚、嗅覚障碍になったようだ。味が分からない、というのは本当に辛いことだ。耳鼻科医院で出してくれている薬(錠剤)」を朝昼夜の食後に飲んでいる。味覚、嗅覚が少しづつ戻ってきているという感覚はあるが、まだ食べ物自体の味は分からない。

特に仕事の分野では、創業者として屋上菜園の事業に過去18年間、ひたすら取り組んできた。軌道に乗せるまでは気が抜けない。特に有機栽培の農作業は手間がかかり、天候の影響を受けやすい。企業のビルの屋上で展開している屋上菜園は企業に対して一定の成果を提供することが求められている。責任がある。

食べ物の味が分かる、ということをそれまでは当たり前のこととして、特に考えることもなかった。しかし、味覚、嗅覚を失ってはじめて、それらを当たり前のことではない、与えられた能力として感謝すべき感覚であることを痛感することとなった。日常生活を満足に送るためには、味覚、嗅覚、それから視覚、聴覚は欠かせない。心臓、肺臓など内臓が健全に働くということも、当たり前のことではない。24時間休みなく活動している自律神経の働きがある。有り難い、感謝すべきことなのだ。両足で自由に歩くことができるのも、当たり前のことではない。有り難い、感謝すべきことなのだ。

 

阿栗は早朝、散歩に出る。大体30分程度の散歩だ。今朝は嬉しいことに自分の住んでいる町に、親近感を感じることができた。初めての感覚だった。ただの街並みではない。自分が今まで40年以上過ごしてきた町に、親近感のようなものを感じた。あるいは受け入れてもらっている、と言ったらいいかもしれない。そのような感覚は今まで一度も無かった。嬉しい経験だった。今後このような嬉しさの経験が増えていってほしい。町の風景と共にある自分の存在。自分の居場所がある、そんな感覚、と表現したらいいかもしれない。

 

最近、家事を手伝っている。食後の食器洗い。布団を敷くことも含め、押し入れへの上げ、下ろし、風呂の準備、雨戸の開閉、洗濯物の取り込み・・・。家内がやっている家事は殆どが毎日同じことの繰り返しのように思える。新聞広告のチェック、買いものに出動、調理、食事の準備、後片付け、洗濯と洗濯したものをバルコニーで干す作業。まだ他にもあるだろうが、そのほとんどが毎日、ほぼ同じことの繰り返し作業、ではないだろうか。そのような繰り返しの作業を手抜きしないできちんとやっていくモチベーションはどこから出てくるのだろうか。毎日の生活のための作業を一つ一つやり遂げていく。それがあるからこそ、毎日の生活が支障なくできる。

今朝、布団をたたみながら、布団に向かって「ありがとう」と声を掛けた。布団があるからこそ、ぐっすりと眠ることができた。自分の生活を支えてくれるもの、一つ一つに感謝の言葉を掛ける。以前はただの道具としてしか見ていなかったものに感謝の言葉を伝える。感謝の言葉は喜びにつながっていく。

ある老人ホームで屋上菜園のミニトマトを見た高齢のおばあさんが、ミニトマトに声を掛けていた姿が忘れられない。「頑張っているね。しっかり実をつけるんだよ。私も頑張るからね」

最近、畑に生える雑草についても考え方が変わってきた。今までは「邪魔者」として見つけ次第、抜いて処分していた。しかし今は、電車の線路の脇に生えている雑草、道路のアスファルトの裂け目に生えている雑草。それらの雑草を見ると「置かれたところで必死に生きている雑草の姿」に感動する。

自分は置かれたところで真剣に生きているだろうか。雑草の種が風に乗って、たまたまそこに落ちたのだろう。そんな思いもあり、自分が現在農作業をしている畑では出てきた雑草は抜いて、処分しないで、他の野菜の残滓と一緒にして腐葉土にしている。ゴミにしないで今度は肥料になって畑で活躍してもらうためだ。

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