阿栗 満(Agri‐man)氏の農的人生(8)人々に「農」と自然の中で生きる喜びと希望を与える
屋上菜園は東京のような大都市に畑を造って野菜を育てる、新しい「農」の有り方だ。都市部では地上には畑にできる場所が無いので、家賃の発生しない屋上を使うことになる。
最初屋上菜園が始まったのは15年前、北千住の商業ビルの屋上だった。この商業ビルの屋上は芝生と灌木で緑化されていた。当時はビルの環境対策として屋上緑化が流行っていた。屋上を緑化することによって屋上からビルの最上階の天井が熱くならず、結果として冷房効果が高くなることが期待されていた。またこの商業ビルでは土日は緑化された屋上を買物にきた一般客に利用時間を決めて開放していた。家族連れが芝生の上で食べたり、飲んだりしてくつろいでいる姿も見かけた。このあたりは下町の人口密集地で緑が少ないこともあり、このビルの緑化された緑地は地元の人々にとっては自然に触れる貴重な場所だったのではないだろうか。
そこにこの商業ビルの施設管理部の部長から、緑化された屋上の一部で、芝生の代わりに野菜を育ててみたら、もっと多くの一般客が屋上にやってくるのではないか、との提案があった。この部長は茨城県土浦市にある自宅周辺で畑を借りて農作業をしていた。
私自身地元の埼玉県で露地の畑を借りて野菜を栽培していたので、折角の提案でもあり、この話に乗ることにした。私自身、芝生緑化に何か限界を感じていたこともあったかもしれない。
ただ屋上で野菜を栽培する場合、いくつかの大きな制約条件があった。
重さ制限
ビルには建築基準法に基づき、積載荷重と地震力荷重の制限がある。通常のビルの場合は地震力荷重に基づいて荷重を制限する。
通常は60kg/㎡Maxとなっている。野菜を栽培する土の比重は1.5前後になるので、換算すると100cmx100cmx100cmで1,500kg、1.5トン、10cmの土の深さでも150kgになる。地震力荷重60kg/㎡Maxをクリアーするためには土の深さは4cmとなる。これではとても野菜を育てることはできない。ところが幸いなことに屋上緑化用の土を製造している会社が野菜を栽培できる軽量土壌を開発していたので、相談したところ、比重が0.3の屋上で野菜用に使える土があるとのことでそれを使うことにした。比重が0.3であれば、土の深さを20cm迄できる。これなら何とか野菜を栽培できるのではないか。
有機栽培
屋上で野菜を栽培する場合、一般客も含めて人々が菜園のところにくることになる。野菜に触れたりもすることだろう。今都会に住む人々は野菜がどのように育っていくか、知らない人もいるのではないか。特に子供たちの中にはサツマイモが枝からぶら下がっていると思っている子もいる。
一般の農家の皆さんは病害虫対策として農薬を使っている。屋上菜園では人々に心配と害を与えない、農薬を使わない栽培方法が条件となる。有機栽培だ。現在は有機栽培もかなり普及してきたが、当時はそれほどでもなかった。ということで有機栽培を学ぶために埼玉県小川町で野菜の有機栽培をしている農家が有機栽培の講習会をやっていたので、そこに通って有機栽培のやり方を実習した。また実習の後も有機野菜の栽培についての本を読み続けた。
3.風対策
ビルの屋上は風が吹き抜ける。風が地上よりも強い。野菜を栽培する場合、特に苗の状態の野菜がしっかり根付くように支柱を立て、ネットで覆うがネットが強風で飛ばないようにする対策が必要だ。北千住の商業ビルの場合、ビルの下は電車が走っている。強風でネットが飛ばされ、電車の電線にでも引っ掛かったら大きな賠償問題になる。絶対にネットとか紐などが飛ばないようにしておかなければならない。そのための安全対策も兼ねて、現在JVECが殆どの屋上菜園で使っている「菜園生活セット」が開発された。
以上は屋上菜園に関わる、いわば技術的問題だったが、また別の問題があった。それは「屋上菜園をつくって何のメリット、効果があるのか」という根本的な問題だった。お客様は屋上菜園をつくるために一定の金額の設備投資をし、そして野菜が順調に育つように、栽培管理費を負担する。
現在ではそれぞれの業態毎にメリット、効果を提案できるようになり、お客様も評価してくださるようになったが、その間、数年間は「屋上菜園をつくって何のメリット、効果があるのか」との声を聞くことが多かった。まさに忍耐の期間だった。その間はまた屋上菜園の有機的栽培技術を磨き、野菜栽培の楽しさを開発する期間でもあった。
現在では事務所ビルの場合は社員の福利厚生(特に一日中パソコンの画面を見ていることからくる弊害解消)、商業ビルの場合は集客、さらには地域貢献、老人ホームの場合は気分転換と簡単な農作業参加、レストラン関係ではお客様に喜んでいただく収穫したての美味しい有機野菜のメニュー化・・・などそれぞれの具体的効果が実感、確認されるようになってきた。
最近では屋上菜園を大学生がゼミで研究テーマとして取り上げてくれる時代となった。屋上菜園を「環境経済学」の対象として捉え、屋上菜園の環境経済的意味を明らかにしようとしている。具体的には
省エネ効果(特に夏のビルの冷房コストの削減)。地球温暖化対策
生物多様性への寄与(屋上菜園に鳥、昆虫が集まってくる)
教育的価値(食べ物をつくる「農業」と農家の仕事の大変さについての理解)。田畑が持っている環境的効果。
食料供給上のメリット(食料自給は一国の基本。そのための「農業」の重要さについての理解)
自然の中でのリクリエーションの減少対策
屋上菜園は主に都市部に造られる。コンクリートビルが林立する人工的な都市に自然を回復し、生態系を復活させ、自然の中で人々が自然を大切にしながら生活し、仕事をし、新しいコミュニティを産み出していく。
人口1,000万人の過密都市、東京ビル砂漠でまず屋上菜園を普及させていきたい。東京が先駆けとなっていずれ世界の大都市にも屋上菜園が増えていくことだろう。
最近は環境省が屋上菜園に関する調査の論文などを発表する時代になった。隔世の感がある。
都市の田園化、菜園を中心にした楽しいコミュニティづくり、と屋上菜園の価値が広がりつつあるのは嬉しいことだ。
孤立しがちな都市に住む人々が屋上菜園で自然の中で生きる喜びと希望を持つことができれば、今迄の苦労も報われる。自然の中で有機野菜を育てて食べる素朴な喜び。野菜の生き抜こうとする姿から生命の尊さを学び、自分の人生に希望を抱く。野菜栽培は身体とこころの健康につながっていく大きな可能性を持っている。
Comments