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屋上菜園物語

 

〜第5話〜 

<こころの再起>

仙台発の夜行バスが上野に着いた。

一組の夫婦が人目を避けるようにして上野公園の中に消えていった。

公衆便所の中で健二も美津子も用を済ませ、顔を洗った。昨晩は着の身着のまま仙台から夜行バスに乗って夜逃げしてきた倒産者夫婦だ。

健二は1冊の本をボストンバックの中に入れていた。「倒産者を救う会」の野崎会長が書いた本だ。会の事務所が上野駅近くにある。事務所が開く迄時間がある。二人はぼんやり朝空を流れる雲を見ていた。


健二が言う。「どうしてこんなことになっちゃったんだろう・・・。もうだめだ」
美津子はそれには答えずここ2週間のことを思い出していた。


3週間前、健二の会社は債権者集会を開いた。厳しい質問が相次いだ。しかし、健二はま
ともに答えられなかった。代わりに弁護士が今後のこと、弁済率について説明した。その
後暴力団関係者から毎日のように電話があった。


健二が社長になったのは突然だった。兄が社長で弟の健二は専務だったが、兄が突然脳出
血で倒れ、昏睡状態が2日続いた後、亡くなった。

同族会社ということもあり、専務の健二が急遽兄の後を継いだ。会社は食料品卸で規模は小さかったが、経営は順調だった。

 

長年の得意先にも恵まれ、健二は「会社経営は現状維持」を最優先で考えていた。そこに降って湧いたような不渡り事件が起きた。

兄が商品相場に手を出し、会社の経理部に無断で、独断で手形を発行していたのだ。商品相場の大幅な下落で大損を被った。その損を埋めるためにまた手形を発行し、その結果現在の会社の力では手形が決済できず、不渡りという事態になった。倒産だ。

 

会社の社員は、本業は順調で、利益も出ているので、不渡り、倒産と聞かされた時は全員呆気に取られていた。一番呆気にとられていたのは社長の健二だった。不渡りの金額が大きかったのでどこからも助け船は出なかった。


健二は兄に裏切られた思い、倒産後のもろもろの処理、暴力団関係者の脅しで憔悴してい
た。発作的に手首を包丁で切って死のうとした。

痛みで呻いている健二に気付いた美津子が風呂場に駆け込んできて、救急車で病院に運ばれた。健二はうわごとのように「死にたい、死なせてほしい」と言っていた。

 

 

 

そんなこともあり、「倒産者を救う会」の野崎会長に会いに行きましょう、と言って夫を連れてきたのは美津子だった。夫は「会ってもどうにもならない」と乗り気ではなかったが。
野崎会長はにこやかな笑顔で二人を迎えてくれた。

 

美津子の話を暫くじっと聞いた後で、
「まだ朝食を食べていないんじゃありませんか」と言って、会長は2人を近くの食堂に連
れていった。普通の定食だったが、昨日の朝から何も食べていなかったので、二人は黙っ
て食べ続けていた。食べ終わってから美津子が言った。

「ご飯がこんなに美味しいなんて」

朝食後会長から「ここ暫くは東京で落ち着いた静かな生活をしたらどうですか」ということで、住む場所と当面の仕事について話があった。

住む場所は会長の友人が近くにマンションをもっているが古い建物なのでいずれ取り壊す予定にしている。空き部屋があるので、そこで暮らしたらどうか、ということだた。

仕事の方は、健二は飲食店の皿洗い、美津子はビジネスホテルの清掃の仕事を紹介された。
 

2週間後の朝、健二がマンションの屋上に初めて上がってみるとオーナーの鈴木さんが屋
上菜園で野菜の手入れをしていた。


「おはようございます。何をしているのですか」
 

「小松菜の間引きをしています。・・・元気になられましたか」
 

「ありがとうございます。御蔭様で」
 

菜園の一部が塔屋の日陰になっているが、そこに植わっている野菜がある。
「この野菜は何ですか」

 

「ルッコラです。ゴマの味がする野菜というかハーブですよ。日陰でも育つけど、若干苦
 味が強くなりますね」

 

健二と美津子にとっては慣れない仕事だったが、余計なことを考えずに一日を終えること
ができるというのが何よりの救いだった。身体を使うので疲れるがその分ぐっすり眠れる。健二が仕事を終えて夜遅く帰ってきて美津子と夕食を共にする時、美津子は必ず缶ビールを1本、健二の前に置いた。


「今日もお疲れ様」

健二の仕事柄、朝は時間があったので、鈴木さんの屋上菜園を手伝うようになった。

屋上に木枠が置いてあり、その中に土が入っている。土の深さは15cmくらい、フカフカしている。「こんな薄い土でよく野菜ができますね」
 

「屋上での野菜づくりを指導しているある団体のサポートを受けていろいろな野菜にチャ
レンジしているんですよ。ジャガイモもサツマイモも大根だってできる」


「すごいですね」


「大北さん。私が野菜を栽培していて一番うれしいのは土に播いた種が一斉に芽を出す時
なんだ。いじらしいというか健気というか、なんとも言えない」


健二は今迄野菜を栽培したことなどなかった。野菜を栽培するようになってから、美味し
い野菜を食べるだけでなく、いのちの力、野菜の一途な生き方に少しづつこころが惹かれ
ていった。


あれから2年、倒産した会社の経済的・法的処理も野崎会長が紹介してくれた弁護士、公
認会計士の力を借りて完了した。

健二は自己破産の手続きをとった。東京での生活は平凡だが、軌道に乗りつつあった。健二は、現在旅行会社の営業マンとして、主に高齢者向けの旅行企画の販売で頑張っている。

美津子は健康食品の会社で経理を担当している。

今は鈴木さんのマンション近くのアパートを借りて2人は住んでいる。


ある晩、夕食の時、健二は美津子に言った。


「自分からこんなことを言うのは気が引けるけど、平凡だけどやっと幸せになれたと思う。
 美津子には心配、苦労の掛け通しだったけど、今は本当にそう思う。だけど心の片隅で
会社が倒産してあれだけ多くの人たちに迷惑をかけたから、自分たちは幸せになってはい
けないんじゃないか、という後ろめたい気持ちもあるんだ」


美津子はそれに答えて、
「あなたの気持ちはよくわかります。私も今は幸せという気持ちです。私たち2人の間で
そう思っていればいいんじゃないしら。

私が今一番うれしいのはあなたが、『もうだめだ』と言わなくなったことよ」


「確かにそうだね。屋上菜園の野菜たちを見ているうちになぜか自分も頑張らなくちゃ、
メソメソウジウジしていられない、という気持ちになれたんだ」


翌朝、健二は久しぶりに鈴木さんのマンションの屋上菜園に行った。小松菜が元気だ。
 

健二は小松菜に声を掛けた。「元気だね」


小松菜も健二に声を掛けた「大北さんも元気そうですね」


健二はある時鈴木さんから小松菜について話を聞いたことがある

鈴木さんはこう話してくれた。


「私は小松菜が好きなんです。平凡な野菜かもしれませんが、栄養価が高く、できるだけ
毎日食べるようにしています。そして私が、小松菜が好きなもう一つの理由ですが、小松
菜はほぼ一年中栽培して、収穫することができる。私も小松菜のように平凡な人間だが、
繰り返し繰り返し、少しでも人様のお役に立てるような生き方をしたい」


健二は小松菜に伝えた。
「私も小松菜さんのように生きていきたいと思うようになりました」

END

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