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屋上菜園物語

 

〜第11話〜

<見直そう、人生を>

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風祭明彦はたった一人の息子を16歳の時、交通事故で喪っている。自分とは真反対の快活で、ユーモアに富んだ少年だった。少年から青年になりかかる年齢で突然天国に召された。あれからもう26年になる。明彦は現在73歳、自分では80歳までは生きたいと思うが、こればかりは神のみぞ知る、だ。

御巣鷹山に衝突して多くの犠牲者を出した日航ジャンボ事故が発生したのは1985年。あれから33年経った。家族を突然失った遺族が毎年慰霊の登山をする姿をテレビで見て明彦も悲しみ、辛さを新たにする。他人事ではない。

明彦は生涯で二度大きな喪失体験をしている。一つは息子の死。もう一つは経営していた会社を失ったことだ。この2つの大きな喪失体験が明彦を暗い世界に引きずり込んだ。自分が生きているのか死んでいるのか分からないような現実感覚の喪失状態に数年間苦しんでいた。明るく、冷静でしかも気丈な妻が傍にいてくれたので持ちこたえることができた。(今では妻には戦友のような友情を感じている。)

 

 

そんな時たまたま明彦の住んでいるS市が市民農園の募集をしたので、応募したところ当たった。幅3m x 長さ5mの区画で早速夏野菜の栽培を始めた。何分初めてやる農作業なので、簡単に栽培できるもの、ということで、ミニトマト、ピーマン、シシトウ、モロヘイヤの苗を植え付けた。家から自転車で10分ぐらいのところに市民農園はあった。週に2回ほど自転車を漕いで、菜園に通った。始めた頃は野菜を育てて収穫するということより、畑で作業しているといつの間にか無心になれる、というのがありがたかった。野菜は日毎に生長していく。明彦はその時、生命の力というものを野菜に見たような気がした。それが明彦の野菜栽培との長い付き合いの始まりだった。

 

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明彦は親友の柿本と久しぶりに会った。JR恵比寿駅の近くのビルの6階が飲食店街になっていて、そこにカフェもある。


二人ともアイスコーヒーを頼んだ後、明彦が言った。
風祭「まずお互い近況報告から始めないか」
柿本「そうだね、どっちから?それではボクからしよう」
柿本「ボクは今年で75歳になった。キミも知っての通り、自分は親父が始めた会社を傾かせてしまった。それから必死に立て直しのために頑張ってきたが、この歳だ。いつどうなるか分からない。それで息子に会社を任せることにした。個人商店みたいな会社だから、最初は息子も嫌がっていたが、何とか継ぐということで納得した。一度は会社を整理しようと思ったんだ。しかし、お客さんから止めないでほしいとメールが入ってきた。こんな会社でもそんな風に言ってくださるお客様がいる。自分がやってきた仕事の意味を改めて考えさせられた」

風祭「そうか。でも良かったじゃないか。息子さんにバトンタッチできて」
柿本「そうなんだけど、暫くは後に立って見守ることにしている。できれば1年間で見守りも終わりにしたい。まだまだ気は抜けない。でも息子が継いでくれることになったので、心配と同時に、正直嬉しさもある。・・・」
 

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柿本「ボクの方の近況報告は以上だけど、今度はキミの近況を聞かせてほしいな」

 

風祭「最ボクの方は仕事というより人生というものを考えているんだ。自分の人生とは一体何だったんだろうか。そしてこれからの人生をどう生きていったらいいのか。というのは言葉で言うのは難しいんだが、最近は空虚感に苛まれている。それと同時に現実遊離感のような感じもあるんだ。そういう年頃なんだろうか。高齢者になる、というのは初めての経験なので少々戸惑っている。こんなの初めてだ。」
柿本「見た感じは元気そうだが、そうなんだ。そういえば空虚感というのは自分にもあるし、分かるような気がするけど、現実遊離感というのはどんな感じなんだい」

風祭「現実との距離が以前に比べて広がったような感じなんだ。もっと言えば以前は自分は現実の中にいた。今は現実の外で現実を見ているような感じなんだ。まるで観客のように。」
柿本「空虚感は辛いが、現実遊離感も辛い、という感じがするの?」
風祭「辛いという感情はあまり無いけど、自分はなぜここにいるのか、という違和感に似た感情はいつもこみあげてくるね。そしていつこの世から消えてもいいような・・・」

 

柿本はゆっくりアイスコーヒーを飲んだ後、「違和感かぁ」と言った。「そう言えば自分もどこかで、微妙に自分の人生にずっと違和感のようなものを感じてきたのかもしれない。」
柿本のそんな表情を見ていた明彦がちょっと笑いながら、「いきなり深刻な話になって悪かった。ただ今の自分の感じていることを聞いてほしくて言ったんだ。キミだったら聞いてくれると思ってね」
柿本「大丈夫だよ。これからは時々こんな話もいいね。何をしているかだけでなく、今どんな気持ちでいるかも話そうよ。今迄はそんな話はあまりしてこなかったけど、これからは必要だね」
風祭「そう言ってもらうとうれしいね。実は今ボクは高齢者向けの精神的コーチング、ということを考えている。簡単に言うと、高齢者が自分の人生を互いに語り合って、自分の人生と向き合い、見直し、受け入れていく、という人生見直しプロジェクトなんだ。今から人生をやり直すことは難しいけど、見直すことだったらできる。そして自分のように空虚感、現実遊離感に悩み始めている高齢者が出てきているんじゃないかと思っている」

 

柿本「さすが風祭さんだね。転んでもただでは起きない。他に近況報告は?」

 

風祭「最近ハーモニカと水彩絵の具を買った。自分が子供の頃を思い出してね。散歩がてら家の近くを流れる川の土手に行って、ハーモニカを吹いたり、風景画を描いている」
柿本「いいね、ちょっと絵になるな。ハーモニカか。そういえばボクらが子供の頃はハーモニカが流行ったよね。親父がハーモニカは肺に良くないと言って続けさせてくれなかった。肺門リンパ腺で肺に影があったんだ。ハーモニカと言えば、ボクが小学生の頃だったか、長島愛生園の青い鳥楽団の演奏会に行ったことがある。ライ病で手が不自由で視力を失った人たちがハーモニカで演奏していたっけ。すごく感動したことを覚えている。人間てすごいなと思うと同時に、想像を絶する努力をされたんだなと思った」
風祭「長島愛生園の青い鳥楽団の演奏会のことはボクも知っていたけど、残念ながら実際に聞いたことはなかったね。川の土手で夕焼け空に向かってハーモニカを吹いているといろんなことを思う。自分の73歳迄の人生、そして戦後73年経った日本の辿ってきた道とか。吹ける曲はまだ少ないので、少しづつ練習をしてレパートリーを増やそうと思っている。絵の方は我流だけど、描いているうちに無心になれるのがいい。吹いてくる風を感じながら描いている」

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そう言ってから明彦は高齢者向けの精神的コーチングの構想を図解したシートを柿本に渡した。「こんなふうに考えているんだ。次回会った時、柿本さんの感想、アドバイスを聞かせてほしい」
柿本は暫くシートを見てから「分かった。ボクも一歩間違えると世界一孤独なオジサンになるね。ところで屋上菜園の仕事は最近どんな感じ?」
明彦「最近老人ホームから屋上に菜園を作ってほしい、という話が来ている。今後老人ホーム向けの仕事が増えてくるんじゃないかと思っている」
柿本「風祭くんの今迄の苦労と努力が報われるといいね。そういう時代になってきているのかもしれない。ところで近い内にどこかキミの関係している屋上菜園を見学させてくれないか。」
風祭「了解。それでは神田の屋上菜園がいいかな」

 

「少し散歩しないか」柿本が誘った。二人は駅のコンコースを出て駅前広場を抜け、街路を歩き始めた。「若い人が多いね」明彦。「そうなんだ。それでいて隠れ家的な店もある。次はそんなところで一杯やろう。聞いてほしいこともある」と柿本。「了解」と明彦。

 

 

ある晴れた日、明彦と柿本は神田のビルの屋上菜園に上がって行った。ドアを開けると屋上菜園。それほど広くはない。菜園用の木枠がいくつか並べられている。
柿本「へぇ~。こんな風になっているんだ。トマトもナスも元気に育っているね。小玉スイカも出来ている」

風祭「屋上菜園はちょっと箱庭風に見えるかもしれないね。それでもこの90cm角の木枠でできた菜園なら3畝つくることができる。太陽に向かって背丈の低い順に野菜を栽培するんだ。建物に重量的に負担を掛けないように土の深さと重さを制限している。」
柿本「土の深さはどれくらい?」
風祭「約15cm。それも軽いフカフカの土を使っている。ブドウとかブルーベリー、オリーブなどの果樹の場合は土の深さを30cmにしている。やはり15cmじゃ無理だ。」

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各区画の野菜の様子を見ながら、ブドウのところに来た。
柿本「ブドウもやっているんだ。なんていう種類のブドウ?」
風祭「マスカットベリーAっていうんだ。日本で作出された生食もワインもOKのブドウで有機栽培に適している品種だね。最近気が付いたんだけど、欧米、中近東ではブドウは殆どワイン用。だから生食用の場合に必要とされる「房づくり」という作業が無いようなんだ。房づくりは手間がかかる。でもワイン用のようにそのまままとめて収穫するんじゃなくて、一つ一つのブドウの房を大切に手入れしていく。大きい房、中ぐらいの房、そして小さな房。ぼくらの場合は商品として販売する訳ではないので、全部の房の手入れをして、完熟になった時に皆で収穫する。ブドウ狩りだ。ブドウは野菜栽培に比べてずっと手間がかかるけど、それだけ収穫の喜びは大きい」

柿本「なんか人生を感じさせるね。栽培者は一つ一つのブドウの房を大事に育てる、だね」
柿本は屋上菜園から辺りの風景に目を移した。大手町と比べて神田はまだ高層ビルが少ない。中小のビルが立ちならんでいる。ブドウの木に柿本は声を掛けた。「今度来るときには収穫して完熟の味を楽しませてもらうよ」

 

 
ブドウは答えた。

「これからの天候にもよりますが、今年は猛暑の日々が多かったので、例年に比べて2週間ほど完熟の時期が早まるのではないかと感じています。私たちを味わう時、この時のために、皆さんに喜んで頂くために、風祭さんたちが1年間私たちを世話してくださったことを頭のどこか片隅でいいので、イメージしながら食べてください。」
 

 
柿本は風祭の傍に来て、こう言った。
先日の高齢者向け精神的コーチングのシートをじっくり読ませてもらった。それで思ったんだけど、キミが言っていた現実遊離感は狭い現実認識からもっと広い現実認識に転換させるために、天の大いなる存在がキミに与えた一種の試練じゃないかと。われわれはビジネス中心の狭い現実感覚の中でずっと長いこと生きてきた。この現実感覚こそ大事だと思って頑張ってきた。しかし、今は仕事だけじゃなくて、日常生活の中で、そして自然との関係の中で、人としての本来の全体的現実感覚を取り戻す機会が今与えられている、そんな風に考えたらどうか、と思った。・・・そしてこれからは深い関係性が大事だと思う。ブドウの木は自然と人間との深い関係性の中で実を結ぶ。人間もそれを見習う時に来ているんじゃないかと思うよ」
 
明彦は黙って柿本の言葉を受けとめた後、ちょっと呻くように言った。「これからボクの新しい生き方が始まるのかもしれないね。」

 

 
ブドウの葉と房を、流れてきた微風が揺らしている。

 

 

(以上)

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