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屋上菜園物語

 

〜第14話〜

<バトンタッチ>

14-2.jpg

ここは神田のビルの屋上菜園。90cm角の木枠が10セット置かれて、培養土が20cm近く入っている。今日はトマトの横のジャガイモ掘り。黒石美奈子は息子の健太と一緒にジャガイモの周りの土を手で掘り始めた。ジャガイモが1個、2個と出てきた。

土寄せは1回しかしていない。最初はあんまりないのかなと美奈子は思ったが、深く掘っていくうちに健太が「下の方にたくさんあるみたいだよ」と声をあげる。二人は力を合わせてジャガイモの茎を引っ張りあげた。12個以上の中ぐらいの大きさのジャガイモが姿を見せた。二人は思わず叫んだ。「ジャガイモがたくさん採れたよ~」
「屋上菜園では露地の畑のようにジャガイモの土寄せを2回すれば本当はいいのですが、そのためには新たに土を購入して追加する必要があります。そうもいかない場合は、1回で済ますために敢えてジャガイモの種芋を深植えします。通常の露地栽培の場合、土の深さ5cmのところに種芋を置きますが、屋上菜園の場合15cmぐらいの深さのところに種芋を置くと1回の土寄せで大丈夫ですよ」と栽培指導のYさんがアドバイスしてくれたのだ。それをやってみた。屋上菜園の場合、土の下は耐根シートが張ってあり、水はけはいい。屋上菜園ならではの裏技のようだ。
他の区画でも親子でジャガイモを掘っている。大体7~8個ぐらいは収穫できている。

声を聞いて他の区画の家族が美奈子と健太のジャガイモを見に来た。健太はちょっと誇らしげだった。美奈子は健太のその顔を見て嬉しかったが、健太の視線がいつの間にか種芋に注がれているのに気が付いた。健太は黙って腐りかけた種芋を見ていた。

収穫したジャガイモ 北千住ルミネ写真2.jpg

健太は最近落ち込んでいた。家で長いこと飼っていたスピッツ犬のマミーが死んだのだ。
マミーは健太になついていた。健太はマミーを可愛がっていた。健太の傍にいつもいたマミーが突然いなくなったのが健太には信じられなかった。その時健太は死というものを実感した。そしていのちあるものは必ず死ぬという恐怖に襲われた。死は自分の大切な存在を突然奪っていく。それに対して自分は何もできないという無力感にも打ちのめされた。
ある晩のこと、家族が寝静まった頃、健太は布団から抜け出てリビングルームに行き片隅で祈り始めた。「かみさま、お母さん、お父さん、それに妹の美智子を死なないように守ってください」。健太はかみさまがどんな方なのか知らなかったが思わずそう祈った。祈らずにはいられなかったのだ。そして自分にできることはかみさまに祈ることだけだった。そんなことが毎晩続いた。ある晩のこと、美奈子は健太が夜中にリビングルームに行くのに気がついた。起き上がり戸の隙間から様子を見ていると、健太が泣き声になって祈っていた。その姿を見た。「かみさま、お母さん、お父さん、それに妹の美智子が死なないように守ってください」。何度も何度も繰り返していた。美奈子は思わず健太に駆け寄って抱きしめたい衝動に駆られたが、こらえて自分の布団に戻った。暫くして健太が戻って
きて布団の中に入った。
美奈子は布団の中で考えた。「健太はかみさま、と祈っていた。かみさまがどんな方か健太は知らないはずだ。だけどかみさまが私たちにいのちを与えてくださっている方だということは本能的に知っている。健太の祈りが本当の祈りなのかもしれない」健太は子供心に「死」について考えていたのだろう、元気のない日々が続いていた。そしてポツリと言った。「ぼくも死ぬんだね」
                    *

 

 

​ 

 

 

健太は生まれつき感受性の強い子供だった。他の子供より深く出来事を受け止めてしまうところがある。道端に咲いている小さな花を見つけそこにしゃがみこむことがよくあった。
「おかあさん、この花見て。きれいだよ。香りもするみたい」
健太は自分の考えが相手に受け入れられるかどうか、いつも気にしていた。美奈子は自分ではそう思っていなかったが、口うるさい母親なのかもしれないと思ったことがある。健太が何か言うと「そうじゃないわ」「それではだめよ」「それはこうするの」と言っている自分がいたことにある時気が付いた。それは健太が悲しそうに「おかあさんはぼくが何を言ってもダメっていうんだね。何を言っても、何をやってもダメなぼくなんか生きていてもしょうがない」と言った時だった。
美奈子は慌てて「健太が失敗して辛い思い、悲しい気持ちにならないようにと思って言っているのよ。健太のことをダメだと思って言っているんじゃないの」
健太はちょっと抗議するような表情をして「だったらおかあさん、おかあさんがぼくに3つ言ううち一つは「健太の言う通りよ、やってみたらいいわ」って言ってほしい。失敗し
ないと前に進めないとぼく最近気が付いたんだ。いつまでも立ち止まってしまって一歩が踏み出せない」

 

美奈子が中学生の時、親友のM子ちゃんが飛行機事故で突然死んだ。ショックだった。暫くは学校に通う道に、突然M子ちゃんがひょっこり出てきて「美奈子、おはよう」と言うのではないかと思い、あたりを見回すことが度々あった。暫くはM子ちゃんが死んだことを受けとめきれなかった。
M子ちゃんのお葬式はキリスト教の教会であった。牧師先生はM子ちゃんは教会に通い、洗礼も受けているので、この地上の人生は終わったけれども、今は天国で神様から永遠の
いのちを頂いている、と告別式の説教で話していた。しかし今一つピンとこなかった。美奈子が疑問に思ったことは、「なぜ神様は中学生のM子を天に召したのか、なぜ人生の途中で、これからという時に地上の人生を突然終わらせたのか」ということだった。考えても分からなかった。それから高校入試のための受験勉強が始まり、死について考えることからいつの間にか遠ざかってしまった。

 

高校、大学、就職そして結婚。夫とは職場結婚だった。そして2人の子供に恵まれた。 
美奈子はこの際子供の健太に死についてキチンと教えないといけないと思っていた。子供が理解でき、そして前向きになれるような教え方はないものか。図書館にも行っていろいろな本にあたってみたが、これはというのは無かった。夫にも相談したが、自分にはそんな難しい話はできない、とうまく逃げられた。


今年の5月、近くのショッピングセンターの屋上菜園でイチゴ収穫とトウモロコシの種まきイベントがあった。先着20名ということだったので、美奈子は健太を連れてイベントに参加することにした。開始は午後2時だったが、屋上に上がってみると既に10人ほどの行列ができていた。並んで整理券をもらい、まだ時間があるので屋上でゆっくりした。
ここの屋上はとても広く、芝生が張られている。花壇もあり、木も植わっているので公園みたいな雰囲気だ。屋上の一部が菜園になっている。
午後2時。整理券を持った人たちが屋上菜園の前に集まってきた。屋上菜園で栽培管理をしていて、今日のイベントの進行役の人Aさんが説明を始めた。アシスタントのスタッフが2名、整理券と番号札とを交換している。
「これから皆さんにイチゴを収穫して頂きます。イチゴにそれぞれ番号札をつけていますので、その番号のところに行ってイチゴを収穫してください。イチゴは5月上旬から下旬にかけて収穫していきます。真っ赤になっているのが完熟したイチゴです。」
スタッフに誘導されて参加者はイチゴを収穫していった。若い家族も多く、子供が主役だ。「イチゴってこんな風にできるんだね」と子供の声。
美奈子はイチゴ収穫イベントの後のトウモロコシの種まきイベントを健太と一緒に見ることにした。一定の間隔にあけられた小さな穴にトウモロコシの種が参加者の手で撒かれていく。              
イベントの後、美奈子と健太は屋上菜園にとどまり、他の野菜が育っている区画を見て回った。そんな様子を見て、屋上菜園で栽培管理をしている人が美奈子に声をかけた。
「楽しかったですか。イチゴの数に限りがありますので、そんなにたくさんはとれませんが、収穫の体験をご家族でして頂きたいという思いからこのイベントを企画しました」
美奈子は答えた。「こんな経験はめったにないので子供も喜んでくれたと思います」

 

突然健太がイチゴの区画を指さしてAさんに聞いた。
「収穫した後、イチゴはどうなるんですか。枯れてしまうんですか?」

 

Aさんは微笑みながら「坊や、どうしてそういうことが気になるの?」
 

健太「なぜか気になるんです。死んでしまうんですか?」


Aさん「難しい質問だね。坊やは今イチゴの株から粒を収穫したね。その株を親とすると
今年実をつけた親からリードというツルが伸びてきていくつも子株ができるんだ。来年は
その子株を育てて子株に実をつけさせるんだ。」


Aさんは菜園のイチゴのリードを見せながら「バトンタッチなんだよ。親から子へ。バトンタッチをちゃんとやっていくと毎年良い実がたくさんつくんだ。坊やの名前、教えてくれる。・・・健太くんだね。健太君、イチゴもその一つなんだけど自然の世界もバトンタッチなんだ。人間の世界もバトンタッチだとオジサンは思っている。人はそれぞれ何かをやりとげて次の人にバトンタッチする。難しいことばだけど人にはその人に使命が与えられているんだ。その人だからこそできる、その人にしかできないことがある。それに取り組むことが人間の場合とても大事なんだ。自分の走る道を走り抜く、オジサンも今そうしている。健太君にもすごい使命が与えられているんだよ。そして健太くんのバトンを待っている人がいる。どうせ死ぬんだったら何をやっても意味がない、なんて思っちゃいけないよ」


Aさんが立ち去った後、美奈子と健太はもう一度イチゴの区画に戻った。
健太がイチゴに声をかけた「イチゴさん、ありがとう。それから頑張ってね」
イチゴが答えた。「健太さんのこれからの人生は長いです。いつも明るいこころを持ち続けてください」
何かに気付いたのだろう。それから健太は夜更かしはきっぱりやめて早寝早起きになった。
            

 

         

 

 

美奈子はジャガイモの種芋を見詰めている健太に声をかけた。美奈子「健太、いまどんな気持ちなの?」健太「種芋が腐っているみたい。だけど種芋は自分のいのちを使って茎を伸ばし、葉をつけて新しい沢山の芋を生みだしたんだね。ぼく今、種芋さんに『頑張ったね』と心の中で声をかけていたんだよ」美奈子は健太を思わず抱きしめた。「そうだね、種芋さん、頑張ったね。そしてそう思える健太もえらいわ」。神田のビルの屋上菜園でも夏野菜の収穫が終わり、秋冬野菜の準備が始まった。土の中から夏野菜の残った細かい根を取り除き、ゴミも拾い出し、きれいにしてから堆肥、元肥を入れ、有機石灰を撒いて、2週間ほど待ってから秋冬野菜の苗の植付け、種まきをする。秋ジャガイモの種芋も準備した。

秋晴れの下、いよいよ秋冬の野菜栽培が始まる。

 

 

END

 

 

 

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