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屋上菜園物語

 

〜第15話〜

<天空果樹園カフェ>

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市川純一は自分の小さなカフェを開いた時から将来は銀座の真ん中で、それもデパートの屋上にカフェをつくりたいという夢を持っていた。今その夢が実現しつつある。屋上果樹園・菜園の中にあるカフェ。

純一は5年前パリに行った。伝統ある農業祭を視察するためだった。2月末にパリに入り、3月初め迄滞在した。まだ時折みぞれが降る日もあった。ベルサイユの農業祭には3日続けて通った。夜はホテルの近くの小さなレストランで牡蠣料理をツマミにしてワインを飲んだ。日本の牡蠣に比べ随分身が薄い。このレストランは通路にテーブルを出しているが、頭上にはネットが張ってあり、ブドウの枝葉が拡がっている。街中でブドウの木を見るとやはりパリだと思う。
純一は海外に出ると街中を散歩するという習慣を持っていた。地図を見ながら歩き回る。ブダペスト、ベオグラード、アテネ、リスボン、ロンドンと歩き回った。アテネの憲法制定広場ではオレンジの木がたわわに実をつけていた。純一は日本とヨーロッパの都市を果樹で比較してみたことがある。日本の都市には緑が少ない。ビルばかりだ。パリではマビオン通りまで歩いた。
ある時銀座でパリ在住の日本人画家の展覧会に行ったことある。作品の一つに「マビオン通り」というのがあった。純一はその絵になぜか強く心惹かれた。マビオン通りのある場所の地下1階には昔、日本人の製本家が住んでいたと何かで読んだことがある。今は道路から階段を下りていったところに庭があり、その奥にレストランがあった。

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Aデパートは以前、夏場はビアガーデンとして屋上を使っていたが、夏場以外の季節は特に何もしていなかった。買い物客が買い物した後に一息つけるようにベンチとテーブルを並べていた。ベンチに座っているのは年配の女性だ。それもチラホラだった。飲み物はベンディングマシーンで買うようになっていた。このデパートの屋上はどこか寂しげな場所、という印象だった。


純一は九段でカフェを経営している。オーガニックカフェ、「シャルダン デザンジュ(天使の庭)」という名前だ。開店してから4年、経営も軌道に乗ってきた。純一は以前期間限定でAデパートの地下レストラン街にカフェを出し、主にスイーツを販売した経緯がある。それ以来デパートの担当者とは時々会って話をすることがある。前回はデパートからの話でそれに乗った形だったが、今回は自分の方から働きかけてみようと思った。屋上である程度のスペースを確保して小さな果樹園をつくり、その中にカフェを開く。屋上の場合、室内と比べ家賃は安くなる。午前10時から午後5時迄はスイーツカフェ、午後5時から午後8時迄はワインも出す、というのが純一の考えだ。果樹園の周りはモリンガの林で囲む。空気の汚れている都心の真ん中できれいな空気を吸いながら、ゆっくりとしたひと時を過ごす。
以前からこのアイデアを温めてきたが、実現するためには具体的段取りとそれを実現してくれる協力者、パートナーが欠かせない。簡単なプロジェクトではない。その協力者たちと出会い、意気投合する迄にはやはり時間がかかった。

 


純一は京都府宮津市に生まれた。ところが純一が10歳の時、両親は車で外出中に事故に遭い、死亡してしまった。その後は叔母に引き取られて中学生迄世話になったが、高校に進むかどうか迷っていた時、遊びに行った友人の家でおやつにプリンを頂いた。プリンを食べたのは生まれて初めてだった。こんなに美味しいものがあるなんて、純一は心の中で驚嘆した。その時純一は菓子職人になることを決めた。叔母には高校には進学しないで、東京で菓子職人になると伝え、中学卒業後、東京の菓子工房に職を見つけることができた。
経営者のMさんは純一の境遇を理解してくれた。
「菓子職人になるための修行は厳しいぞ。頑張れるか」
「ハイ、頑張ります」

 

 

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中卒と言うことで店ではもっぱら小間使いの仕事をやらされた。純一は月に1回しか休みを取らなかった。実際に菓子作りにタッチできるようになったのは3年後だった。純一は菓子工房の寮で生活していた。経営者のMさんには子供がいなかった。そんなこともあってか、純一の成長を暖かく見守ってくれた。
ある時Mさんの自宅に呼ばれて一緒に夕食を食べた。Mさんは優しい眼差しで純一を見ながらこう言った。

「市川くんも18歳になったんだね。18歳と言えばもう大人だ。そこで今日は世間を生き抜いていくために大事なことを教える、いいかな。第一は朝の挨拶を元気良くすること。第二はハイとはっきり返事をすること。第三は後始末をキチンとすること。これを続けて行けば地に足の着いた素晴らしい人生を送ることができる。天国のお父さんお母さんも市川くんがそのような人生を送ることを願っておられるのではないかな」
純一は今でもMさんの言葉を実行している。そして三つのことを教えてくれたMさんへの感謝の気持ちを忘れたことはない。

 


純一は鋭い味覚と嗅覚を持っていた。そしてちょっとした美的センスも。25歳を超した頃には30種類ほどの菓子の製造責任者に抜擢された。
仕事を終えて寮に帰ってきてからも菓子づくりの研究を続けた。そしていつしか菓子づくりの本場であるフランス、イタリアに行って修行してみたいと思うようになったが、それは叶わぬ夢だった。28歳の頃には100種類以上の菓子の製造責任者となった。毎月新しい菓子の発表会があった。純一は食べ物の世界にオーガニックの波が来ていることを感じていた。それで新しい菓子を10品出す中に必ずオーガニックの材料を使ったものを入れていた。ただ問題だったのはオーガニックの材料を使うとコストが上がり、販売価格が高くなることだった。お店に出しても売れ残ることが多かった。それでも純一はオーガニックの菓子の製造を続ける道を選んだ。
その結果Mさんの店をやめて独立することになった。自分の信じる道を歩きたいというのが純一の思いだった。純一はMさんの自宅に呼ばれた。純一はまずMさんに詫びた。

「今迄長いことお世話になっていながら、私のわがままでお店を辞めさせて頂くことになりました。誠に申し訳ありません。」純一は頭を上げることができなかった。
Mさんはやさしく受けとめながら、
「市川くんがいなくなるのはとても寂しい。だけど、自分の道を進みたいという市川くんの気持ちもよく分かる。頑張ってほしい」
 
 

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純一は将来のことを考えて貯金をしてきた。早速不動産屋に依頼して物件を探したところ何件かあたった後、九段の住宅街の元カフェを紹介された。カフェの厨房設備、お店の椅子、テーブルなど少し手を加えれば居抜きで使える。純一は貯金の全額をこの店に使ったが、内装工事関係のための資金がなく、友人にも手伝ってもらって自分達で内装工事をやった。店の看板にはオーガニックカフェと謳った。しかし実際はすべてオーガニックの材料を使うというわけには行かなかった。できるところはオーガニックを心掛けて菓子を作った。最初の頃は物珍しさもあったのだろう、売上は順調だったが、店のスタッフの出入りが多く、人事問題で頭を悩ませることがしばしばあった。

それを救ったのはやはり純一の菓子の美味しさだった。リピーターのお客様が増え、売上が右肩上がりで伸びていった。その手ごたえを確かめてから、純一はスタッフの給与レベルを思い切って引き上げた。それからはスタッフの出入りはめっきり減った。
あれから4年。純一も35歳になった。九段店の他に新しい店を出したい、できれば銀座で勝負してみたいという気持ちがいつしか湧いてきた。

 


純一は東京に近い山梨県でオーガニックの食材を栽培してくれる農家のパートナー探しを始めた。友人に紹介された山梨県甲府在住のSさんは地元の農家に強い人脈を持っている。昨年の秋、純一は山梨県の身延町から南部町と回った。Sさんと夕食の後別れて旅館に戻る帰り道、満天の星を見た。その瞬間、自分は孤児の気持ちを心の中に抱えながら生きてきた、ずっと一人で生きてきたんだという思いが突き上げるように湧いてきた。涙が止まらなかった。自分の気持ちを聞いてもらえる友が自分にはいなかった。実際は自分から友を求めたことが無かったのだ。他の人と親しい、深い関係をつくることをいつも避けていた。それが菓子づくりに打ち込む原動力になっていたのかもしれない。しかし、今は違う。いつの頃からか人々を幸せにするために自分は菓子をつくっているのだという気持ちになった。それはお店で純一の菓子を笑顔で食べているお客様の姿を見てからかもしれない。あるいは子供の頃、プリンを食べた時の喜びを思い出したからかもしれない。とにかくいつの間にかそんな気持ちになったのだ。そして純一はそんな気持ちになれた自分が嬉しかった。
山梨県ではオーガニックの果樹の材料の調達に奔走した。ブドウ、桃、ブルーベリー、リンゴ、クルミ。そして思いがけず果物のような味のする伝統野菜も見つけた。またこれらの果樹をパレット付き木枠セットで栽培し、デパートの屋上に持ってくる。純一は果樹の実際の姿も都市に住んでいる人たちに見てもらいたいと思っている。

 


天空カフェは夕方5時からはワインも出すことにしている。純一はワインのことを調べているうちに「日本ワインの父」と言われる川上善兵衛氏のことを知った。現在の新潟県上越市に「岩の原ブドウ園」がある。そこでワインも作っている。創業してから130年も経っている。純一は11月のある日、「岩の原ブドウ園」を訪れた。少しゆっくりしたかったので、北陸新幹線で向かった。上越妙高駅で降りてタクシーで「岩の原ブドウ園」についた時は午前11時だった。早速ワインの樽の貯蔵室を見学した。樽はフランスの樫の木製だ。貯蔵室は夏でも室内温度が15℃以上にならないようにあらかじめ冬の間に貯蔵した雪を使っているとのことだった。見学の後は川上善兵衛記念館で川上氏の遺品、記念品を見た。生涯約16,000種のぶどうの人工交配をした川上氏の業績に触れ、純一は創業者精神の神髄に触れたような思いがして心が震えた。ワイン工場の背後に迫っている丘の中腹にブドウ園が、また丘の上にブドウ園があった。丘の上からは遠くアルプスの山々が見え、その前に高田の町の風景が見えた。雲一つない青空の下、何か夢を見ているようだった。天空果樹園カフェには「岩の原ブドウ園」のワイン、特にマスカットベリーAを中心にしてコーナーをつくろうと純一は決めた。

モリンガの林づくりは静岡県の農家が協力してくれることになった。果樹と同じように木枠セットでモリンガを栽培し、それをパレットに載せてデパートの屋上迄運んでくる。

 


純一は京都府の宮津市の里山で生まれた。10歳で両親と死に別れした。それから叔母の
ところでの生活。そして菓子職人としての道を歩き、今ではカフェのオーナー、パティシエとなった。そしていよいよこれから銀座のデパートに出店する。これは大きなチャレンジだ。今回銀座のデパートに出店するにあたり純一はクラウドファンディングという仕組みを使った。全部で200万円集まった。

 


純一は雨の日、打ち合わせの後、黄色くなったイチョウ並木の脇の道を歩きながら天国の
両親に呼びかけた。「お父さん、お母さん、ぼくはここまでくることができました。これからも見守り続けてください」
純一の心の中でブドウの木が声をかけてくれた。「一緒にがんばりましょう」

 
 

(完)
 

 

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