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屋上菜園物語

 

〜第17話〜

<パソコンの前から屋上へ>

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高山美香はデザイナーだ。彼女の特技は写真をデフォルメして超現実的な画像を創り出すことだ。大手も含め広告関係の注文が多い。仕事の方は順調だが、締切に追われることが多く、睡眠不足になりがちだ。また仕事時間中はほぼ椅子に座りっぱなしなので腰に度々痛みが走る。おまけにパソコンの画面を見ているためストレートネックになっているのだろうか、やたらと肩が凝る。忙しい時には昼食もデスクでパソコンの前で仕事をしながら食べることが多い。

ただ最近気になっているのは身体的なことよりも神経的、精神的なことだ。言葉では適確に表現できないのだが、パソコンの画面ばかり見ているうちに現実の世界にリアル感を感じられなくなっている自分に気がついた。それに気がついたのは新入社員の女性が花瓶の花をミーティングテーブルに置いた時だった。花というよりも何かモノが置かれているとしか感じられなかった。花というよりもモノだった。その一方でパソコンの画面に映っている花は花と認識することができる。

画面の花は香りもしないし、触れることもできないのに・・・。

 

この逆転現象は何を意味するのだろうか。美香は不安になった。何か人間として、とても大事なことのバランスが崩れ始めているのかもしれない、と。そういえば最近頭痛にも悩まされている。

 

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​美香は以前仕事をしていた桃川オフィスの桃川氏のことを思い出していた。桃川氏が米国に活動の拠点を移すことになった時、美香は米国迄ついていけないので、今のデザイン事務所に移った。その桃川氏が5年振りで米国より帰国し、現在青山の前の事務所で仕事をしていると聞いた。


午前12時少し前に桃川事務所に電話を入れたところ桃川氏が出てきた。
「高山です。高山美香です。ご無沙汰しています。桃川さんが帰国されたと聞きましたので久しぶりにお会いしたくて電話をしました」
「お電話ありがとう。久しぶりだね~。お元気ですか?そう、それは良かった。それでは急な話だけど今週土曜日朝7時半私の事務所に来ませんか」
「朝7時半ですか?そんなに早く」
「そう。来てもらえば分かるよ」

 

 


翌朝美香はいつもより早く起きて手早く朝食をとってから駅に向かった。降りたのは千駄ヶ谷駅、歩いて3分の、4階建てビルの4階に桃川事務所がある。桃川はこのビルのオーナーでもある。1階はカフェ、2階は美容クリニック、3階はアパレルショップの本店が入っている。桃川の事務所のドアのベルを押すと、小柄な女性が出てきた。桃川氏の奥さんだ。奥さんも一緒に米国に行っていたと聞いていた。

「お久しぶりです。高山さん。今日は朝早くからごめんなさいね」
「お元気そうでなによりです」
屋上に上がる階段から桃川が降りてきた。
「高山さん、おはようございます。ちょっと上にあがりませんか。見てほしいものがあるんです」
美香は階段を上がってびっくりした。ビルの屋上全体が畑になっている。
「すごいですね。いろんな野菜が育っている」
桃川は区画毎に説明してくれた。「ここの区画はみんなキャベツ。ぼくはキャベツが好きだからね」「こっちはビーツ。ほらボルシチなんかで使うカブ。色がとってもキレイなんだ。」桃川は次から次へと区画の野菜について説明してくれた後で、思い出したように、「それでは下に降りてお茶にしましょう」

 


美香「桃川さんがこんなに野菜好きとは知りませんでした。いつから野菜栽培をするようになったんですか」
桃川「実は米国に行ってパートナーのオフィスでデザインの仕事を始めて間もなく、体調を崩してしまったんだ。パートナーの期待に応えようと思って頑張りすぎたのかもしれない。1日15時間以上もパソコンの前に座っていた。家に帰るのは寝るだけのようになってしまった。家ではちょっと大げさに言えば抜け殻みたいで家内には随分心配をかけた」


美香「奥さんは大変でしたね」


桃川「そんな時、パートナーがちょっと気分転換をしませんか、と彼の別荘に連れて行ってくれたんだ。彼は週末はこの別荘に来て、畑仕事をしているとのことで、私も手伝った。一泊二日で少し気分が変わったような気がした。それを彼に伝えると『それは良かった。土は人を癒すと言われているが、やはり本当なんだね。そしてミスター・モモカワ、私の期待に早く応えようと頑張りすぎないように。ゆっくり、ゆっくりやってください。その方が結果的にクオリティの高い仕事ができます』


美香「パートナーの方、素晴らしい方ですね」


桃川「それからはパソコンの前に座りっぱなしということの無いように心掛けるようにした。30分パソコンの前で仕事をしたら3分間デスク椅子から立ち上がって歩き、ストレッチをする、ランチタイムはデスクを離れて外の景色を見ながら、ランチテーブルでゆっくり味わいながら食べるようにしたんだ。そして1ヶ月に1回ぐらいだったけどパートナーの別荘に泊まって農作業をするようにした。」


美香「効果はどうでした?」


桃川「3ヶ月経った頃には体調も回復し、元気になった。最近の流行の言葉でいうと自律神経のバランスが回復したということかもしれないね」


美香「良かったですね。ところでニューヨークではブルックリン地区の大きなビルの屋上が菜園になっているというのを何かの記事で読んだことがあったんですが、本当にそんなところがあるんですか」


桃川「あるんだね。ブルックリンなら近いので、実は私もそこに申し込んで会員になったんだ。毎週日曜日は家内と一緒に農作業三昧の生活をすることができた。そして一番うれしかったのは幻覚のようなものが消えたことなんだ。夜寝ている時に幻覚に襲われることがしょっちゅうあった。そんなこともあって日本に帰ってきてからも屋上で野菜づくりをしている。ナチュラルとアンナチュラルの間でやっとバランスを取ることができるようになったんだ」

美香は桃川の幻覚ということばをゆっくり受けとめてから、思い切って言った。
「桃川さん、実は私の場合は幻覚というよりも何か逆転現象があるんです。」
美香は最近感じている違和感について桃川に話した。
「現実が現実として感じられなくなっているんです。何か現実が遠くなっている、と言ったらいいかしら。」

 

「美香さんは自分で違和感に気付いたんだね。少し休暇をとって旅行でもしたらどうかな。そしてマンションにベランダがあったら何か野菜でもハーブでもいいからやってみるのもおススメだ」

 

 

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美香は桃川に旅行に行くことを勧められたが、デザインの注文が詰まっていてなかなか行けなかったが、2ヶ月後、やっと時間が取れて山梨県の南部に二泊三日で出かけた。知人からそこでスーパーフードの野菜の栽培をしている農家を紹介された。川の上流にある温泉に泊まり、翌朝農家のSさんに連絡した。Sさんは旅館迄来てくれた。


Sさん「わざわざ遠いところまでお越しくださりありがとうございます。何も無いところですが、自然だけは一杯あります」
Sさんの農園に着いてびっくりしたのはその広さだった。
美香「いろんなものを栽培しているんですね」

 

Sさん「主にスーパーフードと言われているものを栽培しています。ちょっとへそまがりなもんで、普通の野菜では面白くない。これからは健康価値の高い野菜、植物の時代だろうと考えてスーパーフード中心の農場で行くことにしました。こっちは今注目されているモリンガの林です。モリンガの原産地は北インドと言われていますが日本でも暖かいところであれば栽培できます。亜熱帯性の植物です。あちらはえごまの畑です。葉っぱも食べられますが、人気があるのは種から搾った油です。最近テレビでもよくえごま油を取り上げています。その向こうはビーツの畑。ビーツは鉄分が多く「食べる輸血」とも言われています。その向こうは雲南百薬。これから段々種類を増やしてスーパーフード農場として売り出していきたいと思っています。私は以前サラリーマンをやっていましたが、不摂生で身体を壊してしまいました。薬もたくさん飲みましたが、ある時食生活を変えたらどうだろうと思いついて、それだったら自分で作ろうと思って農家になりました」
 

美香「随分思い切った決断をしたんですね」
 

Sさん「紹介してくださる方がいてこの町の地主の方にお会いしたら、是非来てください。現在耕作放棄地が増えて畑が雑草だらけの荒地なっている。いくらでもお貸ししますよ、ということでこの町に住み、農作業をすることになりました」

そんな話をしているところへ女性が現れ美香に挨拶した。女性はSさんの奥さんで、後で聞いたところによれば地主さんの一人娘とのことだった。
地方の山間部の町に行くととにかく夜が寂しい。道路の街路灯も殆どなくて車はヘッドライトを頼りに暗闇の中を走ることになる。
Sさんの奥さんは地元の若い人たちと一緒に、たまり場風のカフェを運営している。カフェタイムは午後1時から5時迄と午後7時から9時迄。午後は主に車で移動している旅行客、夜は地元の若い人と旅館に宿泊している観光客だ。暗い町に灯が点る。

 


美香はその日一日Sさんについて農作業を手伝った。実際は足手まといだったかもしれないが、デザインの仕事のことは忘れて身体を動かした。畑で食べた昼食も美味しかった。握り飯、野菜の煮付け、サバの塩焼き、梅干し。初めて飲んだモリンガとエゴマと豆乳のスムージーは独特の美味しさもさることながらなぜかこれで健康になれるという気持ちにしてくれた。

夕方迄畑で作業した後、Sさんは美香を自分の家に招き、夕食をふるまってくれた。
Sさん「また機会がありましたら是非お越しください。」
美香「今日一日畑にいたせいでしょうか、身体は疲れましたが、気持ちのいい疲れです。御蔭様で気分もスッキリしました」
Sさんは美香を旅館迄送ってくれた。美香は身体を動かした後の温泉がこんなにも気持ちがいいことを実感した。

「こんなの初めて~」
ぐっすり眠った。

 


翌日の朝、旅館にNさんが迎えに来てくれた。山の竹を竹炭にするプロジェクトのリーダーのNさん、40代の女性だ。保険会社に勤めていたが、途中退職して現在は山を守るために竹林を伐採して竹炭にして販売する事業を展開している。
山の斜面での作業なので、やはり疲れる。Nさんは無理しないように、見ているだけでもいいですよ、と言ってくれた。さすがに昨日の疲れもあり、Nさん言葉に甘えた。見てみると全部で作業している人達は10名ほどだが、女性はそのうちの半分だった。リーダーのNさんが女性にも積極的に声をかけているのだろう。


その晩は町役場の近くのイタリアンレストランで夕食会があり、美香も誘われて参加した。驚いたことはUターン組、Iターン組が約半分いたことだった。

 

 

美香は東京に戻ってから早速木製プランターを購入し、モリンガとエゴマの苗を植えつけた。

「リアルな現実よ、私に戻ってきて、お願い」
 

そう祈り、手を合わせた。
 

 

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(完)
 

 

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