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屋上菜園物語

 

〜第18話〜

<銀座屋上葡萄園>

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冬の日の夕暮れ、南部稔に電話があった。「初めてお電話しますが、私は高居と申します。南部さんの所属されている一般社団法人のホームページを見て、屋上でブドウを栽培していることを知りました。実は私も自分のビルの屋上でブドウを栽培しています。電話では話が長くなりますので、一度来ていただけないでしょうか。詳しいお話はその時させて頂きます。場所は銀座7丁目です」
高居さんはビルの住所とそのビルの10階に住んでいると伝えてくれた。訪問する日時を決めた。1週間後だ。

1週間後の金曜日、南部は高居さんのビルの前に立っていた。鉛筆ビルほどではないが、小ぶりの古いビルだ。1階は店舗が入っている。脇のエレベータで高居さんの住いのある10階迄上がった。ドアのベルを押すと、年配の女性が出てきた。部屋の中に入ると車椅子に座っている高居さんがいた。

「今日はよく来てくださいました。どうぞそちらにお座りください。家内です」
「南部です。お声をかけてくださりありがとうございました」
「今日来て頂いたのはブドウのことなんです。実は急に足腰が立たなくなってしまい昨年まで自分で世話していたのですが、来年はどうも自分でブドウの世話をすることができそうもありません。このブドウは私にとってはとても大切なブドウなので、来年もなんとか続けられないものかと思っていたところ、そちらのホームページを見て、屋上でブドウ栽培をしていることを知り、そこでお願いできないかと思った次第です。」
「高居さんのブドウの木を拝見させていただけますか」

 

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10階の半分は住居になっていて、住居スペースの前にはウッドデッキが張ってあり、その先に庭が広がっている。陽当たりの良い庭の真ん中にブドウの木が一本植わっている。高居さんは奥さんに車椅子を押してもらい、ブドウの木の傍らに来た。


「このブドウの木はここに植えてから5年目になります。あることを記念して植えました。種類はマスカットベリーAです。友人の山梨県塩山市のブドウ農家に頼んで植えてもらいました。植えた翌年から房が付き始め、今年は40房ほど収穫できました。嬉しかったですね」
「ブドウ栽培の仕方はどのようにして覚えられたのですか。都市の中での栽培ですから農薬は使えないですよね」
「そうなんです。有機的栽培ということになりますか。塩山市の農家に栽培のことを相談しましたら、農薬なしにブドウ栽培はできませんよ。もしできたとしても3年目頃からうまくいかなくなる、と言われました。農薬を使わないのなら栽培指導はできないと言われて、後は自分なりにブドウの有機的栽培の仕方について本を読んで、失敗をしながら何とかある程度できるようになりました。ビルの屋上という場所は案外ブドウの有機的栽培に向いているのかもしれませんね」
「私もそう思います。私たちの屋上ブドウ園でも病気は殆ど出ていません。出たとしても葉に出るべと病、幹に出るうどん粉病です。問題なのはコガネムシです。完熟期になるとやってきます。うどん粉病には竹炭を根元に撒いておけばほぼ防げます。コガネムシ対策は袋掛けですね。私たちが栽培しているブドウは高居さんと同じようにマスカットベリーAです。ブラックビートも少しやっています。ブドウは芽かき、花穂の整理、房づくり、摘心、摘房、摘粒と細かい作業がありますが、お身体が不自由なのによくおやりになりましたね」
「今年はなんとかできましたが、来年はもう無理だと思っています。それで助けてくださる方を探しているうちに、南部さんの団体に行き着きました」

あくる年の1月から月2回、高居さんのお宅を訪問し、一緒にブドウ栽培をすることになった。高居さんは午後から病院に行くとのことで、作業時間は朝9時から11時迄とした。実際の作業は1時間ほどで終えて、その後は高居さんの希望で懇談の時とした。

帰り際、南部は高居さんに言った。
「銀座7丁目といえば、昔シャンソン喫茶の銀巴里がありましたね。私は若い頃、時々、銀巴里に行き、シャンソンを聞いていました。小海智子、大木康子、津軽弁の工藤勉が好きでしたね。」
「嬉しい話ですね~。銀巴里をご存知なんて。私も時々ですが、行ってましたよ。当時はメケメケの丸山明宏も出ていましたね。今度銀巴里の話もしましょう」

 


1月下旬、南部は高居さんのお宅に伺い、ブドウを栽培している木枠の中の土に竹炭を撒いた。この竹炭はポーラス竹炭で千葉県いすみ市の竹炭研究会でつくっている。竹炭散布の後、枝の剪定作業をした。高居さんは傍で見ていた。作業の後、部屋に戻った。奥さんがお茶と菓子を持ってきた。「どうぞごゆっくりなさってください。私はちょっと買い物に行きますので」

高居さんはブドウの木を見ながら、ポツンと言った。

「私は大腸ガンなんです。ステージ4で転移が進んでいるのでそう長くは生きられません。でも二度とない人生ということで自分なりにやりたいことをやってきましたので、特に悔いはありません。勿論、私も人並みに自分の人生の意味とか生きがいが分からなくて悩んだ時期もありましたが、ある時、凡人である自分などそんな哲学的問題に関わる必要はないと割り切ってとにかく目の前の問題だけに取り組んでいくという、良く言えば一日一日を大切にする、悪く言えばその日暮しの生活をしてきました。あのブドウの木は私の一人息子を偲んで植えたものです。息子は学生時代、フランスに行ってワイン農家に民泊させて頂いたことがキッカケになって、日本に帰ってきてから山梨県勝沼市のワイン会社に就職し、将来は自分で日本産ワインの会社を起こしたいと考えていました。そして7年前縁あって結婚しました。結婚式はハワイであげました。・・・あのころが私たち家族にとって一番幸せでした。その息子が奥さんの実家がある宮崎に飛行機で行った時、飛行機が墜落し、二人とも天国に行ってしまいました。妊娠の報告のための帰省だったんです。それから半年間、どうやって毎日を過ごしていたか、思い出せません。・・・いやいやすっかり暗い話になりました。話題を変えましょう」

「大変な経験をされたんですね。その大変さは私にはとても想像もつきません。」

「その後私は父の時代からやってきたお酒の販売店ですが、品揃えにワインを加えるようにしました。私の齢ですから今からワイナリーを立ち上げるのは無理ですが、販売ならできます。息子が果たせなかった夢を少しでも叶えてあげたい、そんな気持ちでした。今では店の売上の三分の二がワインになっています」

「天国の息子さんもお父さんのお店を応援されているのではないでしょうか」

「そうだと思います。」
 

 

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それから二人は話題を変えて、銀巴里の思い出を語り合った。高居さんは遠くを見るようにして言った。
「私は金子由香利が好きでした。彼女のレコードを買って何度も何度も聞きました。彼女が銀巴里の舞台に出る時は、できるだけ都合をつけて行ったものです。特に好きだったのは「再会」でした。話すような、歌うような彼女の歌い方がなんとも言えなかった。南部さんは小海智子、大木康子、そして工藤勉がお好きだったとか」

「そうなんです。シャンソン歌手には大人の女性というイメージを抱いていました。ちょっと手の届かない女性、ということでしょうか。最初に行ったのがなにしろ浪人時代。現役で大学に入った連中は女子学生と腕を組んで歩いている。それに引き換え、こちらは2浪。ほぼ毎日予備校通い。母からは来年こそ志望校に入ってよ。隣近所から息子さんはどうしていますかと聞かれて肩身の狭い思いをしているんだから、と言われていました。小海智子さんの明るさに救われたような気持ちになったことがありましたね。
工藤勉さんの津軽弁のシャンソンには地方に生きる人の深い悲しさ、逞しさを感じました。大木康子さんには自分もそれなりの大人になったら大木さんのような女性と付き合いたいと思わせる雰囲気がありましたね。浪人時代でしたので、使える小遣いも少なく、そんなには行けませんでしたが、大学に入ってからは家庭教師のバイトもやっていたので、1ヶ月に1回くらいは行ってました。私は工藤勉のレコードを買いました。」

 

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2月にはもう一度剪定作業をした。3月中旬に入るとやっとブドウの芽が出てきた。萌芽だ。ただ3月は天候不順の日が続き、展葉迄時間がかかった。4月上旬になると一斉に展葉が始まった。展葉の芽かきは3回に分けて行った。高居さんは南部の作業をじっと見守っていた。病状は明らかに進行していた。車椅子に座っているのが辛い時には簡易ベッドを庭に置いて、寝ながら作業の様子を見ていた。
そして4月も下旬になると新しい枝が伸び葉を拡げ、アッという間に沢山の花穂がついた。新しい枝、梢についた花穂を2つ残すか、1つだけにするか。判断しながらの作業となる。


 

6月にはいよいよ房づくりだ。種あり栽培と種なし栽培とでは房づくりのやり方が違ってくる。高居さんのブドウは種ありなので副穂を切り、先端も詰めて主穂の長さを10cm、支梗は15段ぐらいにする。房づくりが終わったら袋掛け作業だ。雨に濡れないように、またコガネムシ対策も兼ねてやるこの袋掛け作業は重要だ。

 

南部は高居さんに報告した。
「ブドウの袋掛け作業が完了しました。7月、8月と見守って行きます。9月初旬には予定通り収穫できそうです。ご一緒に収穫しましょう」
「南部さん、ありがとうございます。私が世話していた時よりブドウが生きいきしている感じがします。収穫が楽しみです」

 

暑い、雨の降らない夏の日々が続いた。南部は乾いたブドウの土に水やりしながら、袋掛けの中のブドウを覗いた。以前他の屋上菜園で夏場の水不足でブドウが萎んだことがあった。

8月下旬、高居さんから久しぶりに話がしたいとのことだったので、作業は早々に切り上げて高居さんの居間に向かった。今日は元気そうだ。なぜか高居さんは座布団に正座して待っていた。私が座る座布団も用意されていた。高居さんと向き合うように座り、目の前のお茶をお互い一服飲んだ後、高居さんが言った。

 

「南部さん、一つ頼みがあります。私のいなくなった後のブドウのことなんです。誠にご迷惑なお願いになりますが、私のブドウを引き取ってもらえないでしょうか。屋上でも露地でも南部さんがご都合の良いところでお世話していただければ有難いのですが、いかがでしょうか。」

 

南部は以前から漠然とだったが、高居さんのブドウの身の振り方について考えていた。大切な息子さんの形見のようなブドウの木だ。おろそかに扱うことはできない。屋上で育てることもできるが、もっと落ち着いたところで育てられないかと考え、友人が山梨県の南部で最近ワイン用のブドウ園を始めたので、相談したところ、もしそうなった場合は喜んで引き受けさせてもらいます、という返事を受け取った。
南部はその話を高居さんに伝えた。高居さんは涙を流しながら、何度も何度も頷いていた。「南部さんに出会えて良かった。本当に良かった・・・・」

 


9月上旬、高居さんの屋上葡萄園のブドウを初収穫した。高居さんはもう起き上がることもできない状態だったが、南部が高居さんのブドウの木から収穫し、持ってきた3房のブドウを渡すと、胸に抱きしめるようにして、息子さんの名前を呼んでいた。
南部は高居さんの耳元に寄って声をかけた。
「息子さんのブドウの世話は私の友人と一緒にやっていきますよ。」

 

それから二人は声を合わせて金子由香利の「再会」を小声で歌った。

 

 

・・・息子さんに天国で再会できますように。

 

 

(完)
 

 

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