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屋上菜園物語

 

〜第19話〜

<わが家の灯り>

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大空明美は専業主婦だ。小さな子供が3人いる。最近夫の様子が少し変だ、仕事で何か大きな問題を抱えているのだろうか。帰宅した時、アルコールの臭いがする。どこかの居酒屋で一杯飲んできているようだ。遅い夕食も殆ど会話もなくただ食べているという感じだ。明美はたまらずに夫の義雄に話かける。

明美「どうしたの?仕事でなんかあったの?」
義雄「・・・。ちょっとね。でも心配しなくていいよ」
そんな会話がそれから1週間ほど続いた。義雄の表情が段々暗くなっていった。
事態は悪くなっているようだった。

ある晩、夕食後明美はたまらずに聞いた。
「ほんとにどうしたのよ。毎晩そんなあなたの顔を見ているととにかく心配よ。こっちまでおかしくなるわ。一体何があったの?」
義雄は絞り出すような声で答えた。
「自分は商売には向いていないのかもしれない。頭の回転が遅いんだ。そしていつも何かした後で後悔する」
明美「何か失敗したの?」
義雄「実はそうなんだ。注文したある原料に問題が見つかった。仕入れ業者からは99%大丈夫ですと言われて、注文したんだけど、問題が見つかって、販売先のお客さんが引き取りを拒否するという事態になったんだ。仕入れ業者は「残りの1%が出たんですね。ただ注文は注文ですからキャンセルはできませんよ」と言われた。」
明美「それでどうなるの?」
義雄「結局うちの部の部長が販売先の部長と交渉して大幅な値引きをすることで引き取ってもらうことになった。100万円ぐらいの損害が出る。」
義雄は明美に申し訳なさそうに言った。
「今度のボーナスに影響が出るかもしれない。それと課長から「何か心配な時は自分で決めないでオレに相談してくれ。オレも部長から注意されたよ。それも厳しくな」と叱られた。」

 

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義雄は中堅商社に勤めていた。就職してから商社の仕事はどうも自分には合わないなと思いつつ早くも3年が経っていた。最近以前から付き合いのあった人材育成会社の社長から誘われたが、転職するまでには到らなかった。義雄は人材育成会社に転職する気持ちにかなり傾いたが、明美の反対で商社を辞めないことにした。明美は義雄の弱さを知っていた。義雄は組織によって守られないと仕事ができないタイプだ、ということを見抜いていた。それもあり、会社の中で出世できる可能性は低いのではないかとも見ていた。
妻の明美は義雄のサラリーマン人生に、つまり出世を期待しないと半分諦めの気持ちで自分の考えを整理した。そして決めた。子育てが一段落したら私も仕事を持とう。

義雄はこの問題が発生してから、職場の同僚、上司が自分のことを馬鹿にしているのではないかと思うようになった。自分のか弱さがつくづく厭になったが、そのうち、ノイローゼ気味になった。家族のいる自分は引きこもりになることはできないが、もしそうできたら一時的には楽だろうとさえ思ったりした。

上司の課長は「一人で決めるな。商談を決める時は必ずオレに相談しろ」と釘を刺してきた。「二度と同じことはやらないように」

 


ある日、部長から呼ばれた。転勤の辞令だった。子会社への出向だった。観葉植物を事務所にレンタルする会社で営業を担当することになった。部長からは「新規事業だ、頑張ってほしい。大空くんに合った仕事ではないかな」と言われたが、実際はこの手の営業マンは部においておくと将来のリスク要因になると見たのだろう。

この観葉植物を扱うという仕事が義雄に一つの転機をもたらした。観葉植物を事務所に届け、設置すると事務所で仕事をしている人が喜んでくれる。観葉植物にも人工と自然と2種類ある。採光条件を見ながら、種類と植物を決めていく。
義雄は今迄植物と触れる機会を人生の中で持つことが無かった。観葉植物を扱いながら義雄は段々自分が元気を取り戻していくのを感じていた。毎月の給料は親会社の時より減ったが、何よりも元気に働けるのがうれしい。明美には苦労をかけるが・・・。

 

 

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仕事が休みの、ある土曜日の朝、明美は夫に声をかけた。
「この団地の中に住んでいる竹山さんのところで昼食会があるの。予約をしておけばこの団地の住民なら誰でも参加できて、昼食会の後はオープンカフェよ。私も1回行ってみたけど楽しかった。今日子供も連れて一緒に行ってみない?」
義雄は休みの土曜日の午前中は団地の近くの図書館で本を読んで時間を潰していた。

昼時間に竹山さんご夫妻の家に家族全員で行った。3階建ての団地の3階に竹山さんの家はあった。竹山さんの奥さんと団地の奥さん達が親睦を深めるために開いた昼食会に最近は夫婦同伴で、また家族連れで参加する団地住民が増えてきた。

義雄は竹山さんのご主人とは面識はあったが、話をしたことは無かった。昼食代は大人1人200円、子供は半額の100円だった。皆で食事をしながら自己紹介をした。世間話に花を咲かせた。竹山さんのご主人から、今この団地の中で小さな菜園をつくり、野菜を栽培しているとの話があった。

竹山さんのご主人

「約10m2ぐらいの畑で季節の野菜を無農薬、無化学肥料で栽培しています。今は私一人でなんとかできますが、できたらどなたかにお手伝いして頂ければ助かります。今日の昼食会のサラダで出たレタスは実は畑でとれたものです」
竹山さんのご主人がそれとなく義雄に顔を向けた。
義雄は思わず言った。「レタス、美味しかったです」


1週間後の土曜日の午前9時、菜園で竹山さんと一緒に農作業をしている義雄の姿があった。作業が一段落した休憩の時、竹山さんのご主人が義雄に打ち明けるように言った。

「大空さんを見ていると私はなぜか自分の若い頃を思い出します。私は今年で75才になります。そんな私ですが、何か大空さんの助けになりたい、そんな気持ちなんです。もしご迷惑でなかったらいろいろとお話を聞かせて頂きたいと思いますが、いかがでしょうか。」
義雄は少し声を詰まらせながら答えた。

「ありがとうございます。こんな私ですが、いいのでしょうか。」
 

竹山「どんなお仕事をしているんですか?」
義雄「今は観葉植物を事務所関係に設置する仕事をしています。以前は貿易の仕事をして
いました。今の仕事について何か等身大の仕事が出来ているように感じます。以前の仕事は何か背伸びしてやっていたような気がします。」
竹山「それは良かったですね。植物の緑には人を元気にする力がありますね。植物を見ているとすべての生き物は「生かされて生きている」という言葉が実感として分かります。自分だけの力で生きようと思うとついつい肩に力が入って空回りします。大きな力によって生かされていると信じて肩の力を抜けば、本来の力が出てくるのではないでしょうか。大変お恥ずかしい話ですが、私もこの歳になってやっとそうしたことが分かってきました。」


義雄「竹山さんはどんなお仕事をされてきたんですか。」
竹山「私は大学を出た後、地元の会社に就職し、そこで定年迄ずっと勤めました。土木工事用の資材を販売する小さな商事会社でした。日本の高度成長期、インフラの整備が国の重要な政策になっていました。現場事務所に行くために山奥迄行ったこともあります。65歳で定年を迎えた後、思うところがあって便利屋になりました。その便利屋も体力的に限界が来て、2年前にやめました。今は特に仕事はしていません。平凡といえば平凡な人生です。」


義雄「竹山さんは私を見ていると自分の若い頃を思い出しますと仰ってくださいましたが、どんなふうに思い出されるのでしょうか」
竹山「そうですね。一言で言えば、自分の本当の生きる意味、自分が活かされる場所を探し続けている、ということでしょうか。もう一方で自分の人間としての器の大きさがまだ見えていない。失礼なことを申し上げるようですが、若い時の私はまさにそのようでした。しかし、私が若い時にはそのような思いを聞いてもらえる人は周囲にはいませんでした。一人で悶々としていました。」
義雄「竹山さんの言われる通りです。今の私はそのような状態にあります。どうして私の今の状態が分かったんですか。竹山さんが私のようなものの人生の同伴者になってくだされば、私は独りよがりの狭い部屋から出ることができます。」
竹山「不思議なというか、齢を取ってくるとそうしたことが直感的に分かるようになるんですね。齢をとるというのは悪いことばかりではないようです。それではこれから大空さん、お互い心の中のことについて折に触れて話合うようにしましょう」

 

 

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義雄が団地の菜園で農作業に加わり始めてから竹山さん宅での昼食会ではサラダの量も、また料理で野菜のメニューも増えた。竹山さんは食事が始まる前、いつも言う。
「これからの時代は薬で病気を治すだけでなく、安心安全な食べ物を賢く食べて病気を予防する時代です。特に生活習慣病は正しい食生活で予防することが基本です。」

 

 

ある日、2人は菜園の雑草を抜いていた。梅雨時には雑草の生え方が凄い。早く抜かないとアッという間に繁ってしまう。雑草を抜きながら竹山は考えていた。雑草は誰からも期待されていないのにドンドン生えてくる。この生命力は一体どこからくるのだろうか。竹山は40歳の頃、仕事で行き詰まったことがあった。一つは自分のサラリーマンとしての限界が見えたことだ。それと裏腹だが、自分と同年代の同僚が出世していく。自分の居場所のようなものが無くなっていくような気がした。

竹山は義雄に声をかけた。
竹山「雑草を抜きながら大空さんはどんなことを思っていますか」
義雄「最初は面倒だなと思いながら抜いていましたが、途中からそんなことも思わずに無心になって抜いています。すごい生命力ですね。私も見習わなくてはと思いました。畑作業を始めてからお蔭様で気持ちが変わってきました。土に触っているとなぜか気持ちが落ち着いてきます。野菜って不思議ですね。自然は「自ずから然り」とも読みますが、野菜を見ていると「自ずから然り」という感じがします。」

竹山「大空さん、凄いですね。私も最近野菜を育てていてそういう感じがします。」

今では、義雄は観葉植物のレンタル会社で元気に働いている。お客さんの声を聞きながら義雄なりに新商品の開発にも力を入れている。近い内に2つの試作品モデルを製作してお客さんに使ってもらう予定だ。「開発に協力するよ」とお客さんに言って頂いた。

明美は子供達を保育園に預けた後、近くのカフェでアルバイトを始めた。もともと接客は好きな方だ。義雄の給与が減った分はカフェのアルバイト料で穴埋めできる。これから子供たちが大きくなったら養育費もかかる。

義雄は残業を終えて帰路についた。駅を降りて団地迄15分だ。団地の前は以前は畑だったが、今は整地されて分譲地になっている。わが家は2階だ。義雄は足をとめて2階のわが家の灯りを見た。あの灯りの下に妻と子供がいる。自分の帰りを待っている。義雄はそこに暫く佇んでわが家の光を見つめていた。幸せの光。

 

 

​ 

(完)
 

 

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