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屋上菜園物語

 

〜第4話〜 

<居酒屋>

昭代は店先の灯を消し、暖簾を外して、店の中に入れた。

終電車が通り過ぎていった。

昭代の居酒屋は埼玉県N市の駅の近くにある。今日も一日が終わった。

昭代は夫の信夫と一緒にこの居酒屋を切り盛りしてきたが、半年前、夫が脳溢血で倒れた。幸い軽かったが暫く病院で治療を受け、今は家で静養している。そんな訳で昭代が一人で酒の肴をつくり接客しているが、有難いことに客足は以前と変わりない。
 

「大将には早く良くなってまた店に立ってほしいな。暫く女将さんが大変だけど頑張って。直に戻ってくるよ。」

そう励ましてくれるお客さんの気持ちに励まされて昭代は店に立っていた。
昭代はふと大事なことを思い出したかのように立ち上がって店の外に出た。

 

「そうそう、うっかりしてたわ。

今晩は冷え込みそうだから店の中に入れておきましょう。」
昭代は外の台の上に置いてあったスナップエンドウのプランターを「よいしょ」と店の中
に入れた。外の寒風に吹かれていたスナップエンドウをぼんやり見ながら屋上菜園の講習
会で講師が「本葉が5枚ぐらいになれば氷点下の寒さでも大丈夫」と言っていたのを思い
出した。昭代は市の社会福祉法人主催の有機野菜栽培教室に2年間通い続けた。


それで一通りの野菜栽培のやり方を知ることができた。

その中でやはり手間がかからないものということで、店先で夏はウコンとえごまを育ててお客さんに喜んで頂いた。秋冬野菜ではスナップエンドウを栽培した。そして昭代はスナップエンドウになぜか惹かれた。

昭代はスナップエンドウに声を掛けた。
「スナップエンドウさん、頑張って! 私も頑張っているのよ。春になったらグングン伸
びて花を一杯咲かせて美味しい実を沢山つけてね」


夫が待っている家は店から歩いて5分ぐらいのところにある

昭代は気持ちを切り替えるためもあって店を出る前に、好きな演歌を1つ唄った。

今晩はちあきなおみが唄った「昭和えれじい」。3番の歌詞、

♫死んだつもりでもう一度 待ってみようかねえお酒 いつか来る春 昭和川♫

を唄った後、ふいに涙がこぼれた。「もう一度・・・」とつぶやいた。


昭代は店の鍵を閉め、徒歩で深夜の街を歩き、帰宅した。

アパートの扉を開けると部屋には電気がついていた。夫はテレビを見ていた。

昭代は急いで遅い夕食を作った。夫は一時はすっかり気力をなくしてしまったが、今は早く店に出たいと口癖のように言う。

手足に軽い麻痺があるが、何とか歩き、箸も使えるようになった。

昭代は今日来たお客さんのことを信夫に話した。信夫は黙って聞いていた。


昭代が信夫と会ったのは今から45年前だった。

故郷の岡山から大学入学のための東京に出てきた。実家は農家だった。

私学だったので入学金、学費は高かったが、実家の両親は一人娘のために大枚をはたいてくれた。昭代は両親に生活費と家賃はアルバイトで何とかするから、と伝えた。

当時学生ができるアルバイトは限られていた。

入学後、大学の掲示板にアルバイト募集広告が掲載されていたので、昭代は毎日のように貼紙を見た。

下宿は恵比寿駅近くの川傍の4畳半の部屋を借りた。

いろいろとバイトをやったが、毎月の生活費と家賃を稼ぐことは簡単ではなかった。

同じように地方から出てきて同じクラスの圭子と学食でランチを食べていた時、圭子がふいに聞いた。
 

「昭代、今どこでバイトをしているの?」
昭代は一呼吸置いて答えた。

 

「今はカステラをつくる工場で働いているわ。午後5時から11時迄」

 

圭子「それで家賃を払って食べていける?」
 

昭代は言い淀んだ。

その表情を見て圭子は秘密を明かすかのように昭代の耳元に顔を寄せ囁いた。

 

「私はアルバイトサロンでバイトしているの。時給もずっといいし・・・」
その日はそれで圭子と別れたがバイト先から下宿先に帰ってきて遅い夕食を食べた後、昭
代は圭子に思い切って相談してみることにした。

 

日本は高度成長期に入っていた。もはや戦後は終わったとも言われた。

働けば豊かになれる、そんな素朴な楽観的気分が時代を覆っていた。

サラリーマンにとってアルバイトサロン(アルサロ)は気軽な気分転換のための場所だった。あちこちにアルサロがあった。


昭代がアルバイトサロンで働いていた時、ムード歌謡のグループが定期的にやってきた。
バックコーラスの中に信夫は居た。ある晩、アルバイトサロンがある駅前のスナックで昭
代は一息入れていた。大学の授業に出席するため、下宿は毎朝7時半には出ていた。

そろそろ帰ろうかという時に信夫が店に入ってきた。
先に信夫が声を掛けてきた。

 

「アレ、さっきのサロンで働いていたお姉さんじゃないかな
それがキッカケになり、付き合いが始まった

信夫はムード歌謡の仕事がない時はカラオケスナックで店員として働いているとのことだった。そしていつの間にか二人は同棲するようになった。

二人の稼ぎを合わせても生活はカツカツだった。それがもとで喧嘩することも度々だった。何が面白くないのか、信夫が酔っ払って帰ってくることが多くなった。

そんな日々が続いていたある日、信夫が京浜東北線ガード下の居酒屋が後釜を探しているという話を聞きつけてきた。


それから45年、二人は居酒屋の主人と女将として生きてきた。

結局昭代は大学には3年間通って中退した。ささやかな結婚式を東京で挙げた。

せめてもの親孝行のつもりだったが、来てくれたのは母親だけだった。

父親は「水商売の男と結婚させるために昭代を大学に入れたんじゃない」と昭代の結婚を認めようとはしなかった。


昭代が30歳になって居酒屋の経営も軌道に乗った頃、妊娠した。男の子だった。

店の準備があるので、どこかに預けなければならかった。

その苦労が尾を引き、結局子供は一人しかつくらなかった。

今息子はサラリーマン生活をしている。水商売は夜が遅く、また家族の時間が持てないことを息子はいやというほど知っていた。結婚して子供が2人いる。

冬が終わり、3月。店先のスナップエンドウはグングン伸び、支柱に絡んでいる。

花も増えてきた。2月に信夫が店に復帰してお客さんに元気な姿を見せていたが、脳溢血が再発し、信夫は店の中で倒れた。

入院した病院の医師からは症状が重く、もう仕事は無理と宣告された。

父親の病状を息子に伝えると、1週間後、息子から思いもよらない返事が来た。

 

妻と相談した結果、息子が居酒屋を継ぐことにした、とのことだった。

但し妻は居酒屋の女将にはならず、今の仕事を続けるという条件だった。


息子が店にやってきたので、昭代は聞いた。「お父さんの後を継いでくれるのは嬉しいけ
ど、本当にいいの?水商売なのよ」

 

息子は言った。

「どんな仕事であれ、僕はお父さんとお母さんの仕事を継ぎたいんだ」


昭代は言葉が無かった。
昭代は灯を消し、暖簾を外して、店の中に入れた。

そして店の中に入れた背丈の大きくなったスナップエンドウを見つめた。

スナップエンドウは暗がりの中で話しかけてきた。
 

「昭代さん、頑張られましたね。お店の外で私はいつも昭代さんの声を聞いていました。
私たちは冬に芽を出し、寒さに耐えながら少しづつ大きくなり、3月には花を咲かせ、沢
山の実をつけていきます。私はスナップエンドウです。

一番上の兄はグリーンピース、次の兄はきぬさやです。

私はちょうど両方の特徴を持った新しい品種としてアメリカで開発されました。

でもなかなか日の目を見ることがありませんでした。私にも長い冬の時代がありました。

これからは息子さんと一緒にお店に立つんですね。どうか息子さんが一人前の居酒屋のご主人になるまで、昭代さん・・・、身体に気をつけて息子さんと一緒に新しい店づくりをしてくださいな。居酒屋はひとりぽっちの人が多いこの時代、そんな皆さんのための暖かい、

なくてはならない居場所なのですから。」

END

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