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屋上菜園物語

 

〜第30話

<屋上菜園にかける夢>

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答える人:緑川 光人
インタビューアー:青山 彩香
場所:北千住の屋上菜園
時期:7月


(1)屋上菜園普及の経過とこれからの方向性
1.屋上菜園が始まったきキッカケと8つの特徴


―今日は屋上菜園のことについてお話を伺わせていただきます。よろしくお願いします。ここの屋上菜園ではトマト、ナス、キュウリなどの実物野菜の花が咲き始めていますね。緑川さんは屋上菜園の仕事を始めてから、既に17年経ったとどこかで書いていらっしゃいます。17年間、よく続けてこられたと思いますが、緑川さんはどんなキッカケで始められたのでしょうか。


 最初は野菜ではありませんでした。都市の緑化を進めようということで屋上に芝生を張り、木を植える仕事に取り組みました。屋上緑化のメインは芝生だったんです。キリン草を使った屋上緑化もありました。屋上緑化の目的はビルの一部を緑化してビルの環境面での効果をPRすることだったように思います。屋上が芝生で緑化されると屋上に上がってきて気分転換をするビルの入居者の皆さんもいたことはいたのでしょうが、安全面から自由に屋上に出るのは難しい、という問題がありました。その意味では芝生による屋上緑化は人のためというよりビルの環境面の効果に限定される結果になったのではないでしょうか。

 東京の北部に位置するこの商業ビルの屋上はかなり広い面積で、全面芝生が張られ、また低木も植わっています。屋上は高いフェンスで囲まれていて、ガードマンによる巡回もあり、安全対策面では問題がありません。屋上が制限付きですが、一般開放されていて買物客が屋上に上がってきて芝生の上で休憩していました。ある時、その商業ビルの施設管理部長と話している時に芝生の一部を菜園に変えたらもっと多くの買物客が屋上に上がってきてくれるのではないか、という話になりました。問題はありましたが、試しにやってみようということで「実験菜園」が始りました。ダメなら1年で終わりにする、という条件付きでしたが、1年経ってある程度野菜ができ、買物客も多く菜園を見にきてくれたので、それならもう1年やってみよう、ということになりました。屋上に菜園ができたことで、芝生だった時に比べて、期待どおり多くの買物客が屋上に上がってこられました。
「屋上でも野菜ができるんだ」
「でもできるのは葉物野菜だけじゃないかな」
そんな声も聞こえてきました。
初夏になって、トマトの花が咲き、ナスの花も咲きました。そして7月には実がつきはじめました。屋上ですから重量制限があります。軽い土で、それも土の深さ18cmを限度にして栽培しました。


―屋上で、それも薄い土でトマトなど実物野菜ができるのを見て、買物客の皆さんは驚いたのではないでしょうか。今目の前に広がっている屋上菜園の土も18cmの深さなんですね。野菜には根物野菜もありますよね。ダイコンとかニンジンもできるんですか。それからサツマイモとかジャガイモはどうですか。
 

 ダイコンもニンジンもできますよ。それからサツマイモとかジャガイモなどの根物野菜もできます。特にサツマイモは人気があるので毎年栽培しています。安納イモと紅あずまの2種類を栽培しています。形のいいサツマイモが収穫できます。屋上菜園で使っている土は高品質の有機的土壌です。だから野菜の味もいいですよ。土壌は群馬県のある工場で製造しています。この有機的土壌はとても軽い土です。ですから18cmの深さが可能です。最初の頃はピートモスの有機的土壌を野菜栽培に使っていましたが、野菜の成長が今一つでした。この現在の有機的土壌を使うようになってから、屋上菜園の野菜栽培は全体的にうまく行くようになりました。
化学農薬・化学肥料を使わないで安全・安心な有機野菜を育てる・・・それが私たちの栽培のやり方です。

 

―サツマイモも出来るんですね。凄いですね。私もサツマイモ食べたい!・・・ところで屋上菜園だからこそ実現できることってなんでしょう。
 

 そうですね。青山さんは東京の風景をどんな風に見ていらっしゃいますか。私はビルだらけの砂漠ではないかと思っています。東京オリンピックが1976年に開催された後、前川清が「東京砂漠」を歌ってヒットしましたが、当時に比べて東京のビル砂漠化はさらに進みました。私は屋上菜園はビル砂漠に湧き出た緑のオアシスだと思っています。憩いと癒しのオアシスというイメージですね。


―本当にそうですね。電車の窓から外を見るとビルばかりです。特に最近はマンションビルが増えているように感じます。ビル、ビル、ビル・・・。
 

 屋上菜園だからこそ実現できることは何か、というご質問ですね。適切な、そして鋭いご質問ありがとうございます。少し長くなりますが、大事なことなのでご説明させて頂きますね。

 まず第一に上げられるのは自然条件です。野菜の有機的栽培に有利な条件があります。一つは通常の畑の土と違い、ずっとそこに住み着いている細菌、悪玉微生物などいない、ということです。もう一つは屋上ですので、風通しが良いということです。野菜の病気の7割はカビ類です。風通しがいいとカビが発生しにくくなります。
 野菜の有機的栽培に適した自然環境ということですね。

 

―ちょっと意外でした。屋上は有機的栽培に適した自然環境なんですね。ということは東京はビルだらけですから、屋上菜園に使えるスペースは沢山あるということですね。


 そうです。将来東京に飛行機で来られる旅行客は東京を空から見ると緑の畑で埋まっている、というようになればいいですね。
第二に上げられるのは市民農園と違い、住んでいる、あるいは仕事をしているビルの屋上ですから、直ぐにいくことができます。有機的栽培はある意味で手間がかかりますが、屋上であればその都度対応することができます。私も耕作放棄地になった市民農園を借りていますが、その市民農園には自転車で約30分かかります。往復60分です。その点、屋上菜園は気になった時、直ぐに行くことができますし、場合によっては1日の内で必要があればまた行くこともできます。直ぐに行くことができる近さ、便利さ、でしょうか。特に有機野菜を栽培する場合は、できれば毎日栽培作業ができるといいですね。野菜は毎日成長していきますから。


―ほんとにすぐ行けるというのはいいですね。遠いとやはり億劫になります。
 

 第三に上げられるのは気軽さです。屋上菜園は面積がそれほど広くないので野菜栽培を楽しむことができます。私が借りている市民農園の場合、面積が広いのでやはり農作業という感じがしますね。気分的にちょっと重たい時もあります。
その点、屋上菜園は面積も限られていて、気分的に負担になることは少ないと思います。野菜栽培を「楽しむことができる」。これが3番目の特徴になりますね。

 

―それ、とても重要なポイントだと思います。農作業というとちょっと構えてしまいますよね。野菜の世話をする、という感じでしたら、楽しみながら出来そうです。
 

 第四に上げられるのはビルの屋上ですから、同じビルに住んでいる人達、また仕事をしている人達と一緒に栽培作業をすることができる。そこに自然とコミュニケーションの機会が生まれてきます。都会に住み、仕事をしている人たちはどうしても独り、孤独になりがちです。屋上菜園の野菜を一緒に世話することで仲間意識が生まれてくるのではないでしょうか。4番目の特徴はゆるやかな、生活感のあるコミュニティが生まれる、ということだろうと思います。
JVECはジャパンベジタブルコミュニティの略です。野菜栽培を通じてコミュニティを創っていこうとの願いを込めてこのような社名にしました。


―コミュニティはこれからの時代、特に求められているような気がします。今は孤独な人が増えています。人生を一緒に歩ける友が欲しいですね。友と友の集まり、そこからこれからの時代の新しいコミュニティが生まれてくるといいですね。日々の生活に密着した野菜が新しいタイプのコミュニティを産み出すーワクワクしてきました。


 第五に上げられるのは小さな面積ですが、屋上菜園があることで都市の緑化、自然環境の改善に役に立つ、ということです。植物は光合成のために炭酸ガスを吸収して酸素を出します。屋上菜園はまだまだ少ないですが、増えてくれば、都市の自然環境改善の一助となる可能性を持っています。街に緑が増えてくるとそこに住む人も来る人もうれしいですよね。フランスのパリ市はパリ市の緑化を実現しています。第5番目の特徴は都市の緑化に貢献する、ということです。


―パリ市は最近、大都市でありながら、緑溢れる街になったそうですね。来年の春、ヨーロッパに旅行で行きます。パリの町を歩いてみますね。それに引き換え、東京は緑が更に少なくなっています。残念です。
 

 パリは一歩進んでいますね。さて第六の特徴は人は野菜を見たり、触れたり、また世話したりすることによってストレスホルモンが減り、幸福ホルモンが増えるということです。医薬は病気を治すことはできますが、人を幸せにすることが難しいのではないでしょうか。ところが野菜を栽培しているとそれができることが最近医学的に実証されました。素晴らしいですね。
第6番目の特徴は野菜を栽培して幸せになろう、ということです。

 

―野菜を栽培すると幸福ホルモンが分泌される。すごいです!身体だけではなく心にも栄養を与えてくれるんですね。以前から園芸療法というのはありましたけど、医学的に実証されたというのはうれしいですよね。


 第七の特徴は自分たちで安全・安心な野菜栽培をすることによって人間の健康を支える食べ物をつくることの、大変さです。それは食べ物を大切にする意識と共に食べ物を栽培している農家の皆さんに対し感謝の気持ちが生まれてくることです。多くの先進国の中で、日本の食料自給率は最低水準です。農業従事者の数はドンドン減っています。昭和60年(1985年)に350万人いた農業従事者は令和2年(2020年)には半減以上の140万人に減っています。一方高齢化が進み令和2年には70歳以上が50%を越しています。第7番目は食べ物を栽培している農家の皆さんに対し感謝の気持ちを持ち、さらに日本の農業に関心を持つ、です。
 

―私たちは食べ物を栽培している農家の皆さんのことを考えずに食べ物だけを見ていますよね、そして美味しいとかまずいとか。安いとか高いとか。そんな気持ちで申し訳ございません。


 第八は野菜栽培を通じて、日本の自然、日本の地方に関心を持ち、そのために何かをする、ということです。JVECは美しい日本の山林を守るために山梨県の山のヒノキの間伐材を屋上菜園用木枠として使わせて頂いています。山の森を守るためには間伐することが欠かせません。日本の美しい自然を守るために屋上菜園の普及が必要なのです。第8番目の特徴は屋上菜園を増やして、日本の森、山、自然を守る、です。
長い話になって失礼しました。

 

―日本の美しい自然を守る、ですね。心に刻みます。ご説明ありがとうございました。屋上菜園だからこそ実現できることって沢山あるんですね。これから楽しみです。さて今後屋上菜園が増えていく方向として、考えられるのはどんなことでしょうか。


2.3つの方向性   
 

 そうですね。大きく分けて3つの方向性があるかと思います。
1番目の方向性は先ほどお話したようにビル砂漠の都会に緑のオアシスをつくるということだと思っています。憩いと癒しのオアシスです。小さいですが、田園風景を見ながら、青空を眺めながらしばらくゆっくりして頂ければと思います。自然の中で気分転換ができるのではないでしょうか。
2番目の方向性は都会に住み、働いている皆さんはストレスを溜めていますから、屋上菜園を眺めながら、できたら野菜に触れながらストレスを発散し、幸福ホルモンの分泌を実感して頂きたいですね。できればオフイスビルの屋上が使えるようでしたら、是非屋上菜園を設置して皆さんで野菜栽培を楽しんで頂きたいですね。野菜に触れているうちに気分が変わっていきます。
3番目は食材としてレストランで使って頂く。有機的栽培の野菜を料理してお客様に食べて頂きます。収穫したての有機野菜ですから味も抜群だと思います。お店にとっても今後セールスポイントの一つになるのではないでしょうか。

 JVECの場合はこの方向性に沿って、現在栽培管理・指導をしている菜園を具体的に分類していくと、以下のようになります。
1の方向性は、北千住の商業ビル、神田の事務所ビル、2つの老人ホーム
2の方向性は、お茶の水の事務所ビル、千葉県印西市の事務所ビル
3の方向性は、銀座のレストランということになります。
今後どの方向性の屋上菜園が増えていくのか、まだわかりませんが、三つともこれからの時代が求めているように感じていますが、その中でも今後老人ホームの屋上菜園が増えていくのではないかと見ています。屋上菜園で一緒に野菜の収穫をすると入居者の皆さんがとても喜んでくださいます。

 

―今のお話を伺っていて、将来こんなことができたらいいなと思ったのは、屋上菜園のある屋上に小さな木造建てのレストランを作って、そこで食事をする前、屋上菜園で今日の食事の野菜をお客さん自身が収穫するというのはどうでしょうか。

 

 それもできます。グッドアイデアだと思います。できれば銀座にあるレストランの屋上でやってみたいですね。
 

(2)屋上菜園の価値


―緑川さんはどこかで屋上菜園の野菜を見ていると、その一生がどこか人間に似ていると書かれていました。どんなところが似ているんでしょうか。
 

1)野菜の束の間の命が教えてくれること
屋上菜園の野菜は天と地の間、まさに天空の菜園で栽培されます。屋上は地上に比べ風が強く吹きます。そして夏は地上より暑く、冬は地上より寒く、ハウス栽培とは違い、厳しい自然条件に晒されています。そして病虫害と闘いながら葉を拡げ、花を咲かせ、実をつけていきます。与えられた自然環境をそのまま受けとめ、不平不満を言わず、力を尽くして、出来る限りの最善を大切にしながら、さらなる成長を目指して努力していきます。もちろん野菜ですから、健康的な成長のために、肥料と病虫害を克服するために人の助けを受けます。人の助けは特に有機的栽培の場合には重要です。そして最後は人に食べられて人の健康のために役立つーそして野菜としての一生を終わります。私は屋上菜園で野菜を有機的に育てているうちに、いつしか野菜の一生と人の一生の間には相通じることがあると思うようになりました。それは野菜の覚悟、というべきことかもしれません。

 

―覚悟ですか、かなり厳しい言葉ですね。そういえば最近覚悟という言葉は殆ど使うことがありませんね。重たく、深い言葉ですね。その野菜が持っているという覚悟を是非聞かせてください。
 

 全部で5つあります。私なりに野菜と向き合っているうちに野菜から教えられたことです。
 

第一の覚悟 与えられた環境がどのような状況でもそのまま受けとめて、その場で不平不満を言わずに「それでも生きていく」「何があろうと生き抜いていく」 野菜も自然の大いなる何かによって生かされ、導かれていると信じている


第二の覚悟 逆境に直面しても失望しないで坦坦と乗り越えていく「害虫、病気など逆境を乗り越えて成長していく。深い味が生まれてくる。恰好は気にしない。
 

第三の覚悟 太陽の光に向けて葉を伸ばしていく、常に光を、希望を求め続ける。「光よ、あれ」 今どんなに暗いところにあっても、光を求め続けて伸びていく
 

第四の覚悟 成長して、食べられて人の役に立つ 逆境に耐えたからこそ力のある栄養素そして美味しい 「私を食べてどうぞ元気になってください」 「今迄世話してくださってありがとうございます。大きかったり、小さかったりするものもありますが、そして形がいびつなものもありますが、同じように皆んな食べてくださいね。


第五の覚悟 今日一日を生きる。今日収獲されるかもしれない。そうであれば「今日一日を大切に全力で生きる」

2)毎日野菜栽培ができる
栽培は先ほど有機野菜を栽培する場合は、できれば毎日栽培作業ができるといいと言いました。毎日野菜の成長を見ながらタイミングを逃さずに必要な作業を現場で判断しながらやっていくことが、美味しい野菜を育てて収獲するためには重要です。現在は費用のこともあり、JVECとして現場の屋上菜園に栽培管理に出動するのは週1回ですが、お客様のご理解・ご協力を頂きながら、まずは週2回出動できるようになればいいと思っています。貸出菜園の場合、熱心な利用者の方は毎日のように屋上菜園に来て、作業をしていますよ。

 

―ところで緑川さんが農作業を始めたキッカケを伺わせて頂けますか。それまでは農作業をまったく関係の無い仕事をされていたとどこかで書かれていましたね。
 

 私は50歳代の頃から市民農園を借りて、有機野菜の栽培を始めました。自分が経営していた鉄鋼特約店を自主廃業して、自営業者になったのを契機に「半農半X」生活が始まりました。その時は農に気分転換的要素を求めていたような気がします。正直自分が経営している会社の倒産の不安・恐怖に晒されながら、自主廃業業務を1年半続けてきたため、心身共に疲れ果てていました。心ががらんどう、空虚になっていました。虚無感というのでしょうか。そのころ誘ってくださる方がいて、市民農園での農作業が始まりました。土に触れると気分転換になるといいますよね。確かにそうです。農作業の手を休めて土の上に座り、青空を眺めていると心の中の空虚感、モヤモヤが少しずつ小さくなっていきました。土は私たち人間の帰るところという実感がしました。旧約聖書の創世記に「土から取られたあなたは土に帰るまで額に汗して糧を得る。あなたは塵だから、塵に帰る」(創世記3:19)」とあります。この言葉は人間が死んでどこに還るかを示していますが、生きている間、土に触れることがどんなに元気を与えてくれるかも教えてくれているような気がします。


―そういう大変なことがあったんですね。そして5つの覚悟についてお話くださり、ありがとうございました。
 

 野菜の一生は通常3~4ヶ月、長くても6ヶ月、束の間です。種を残して次の世代にバトンタッチしていきます。最近は人間の世界も人生80年、90年の世の中になってきましたが、考えようによっては束の間です。ところで私たち人間はどのような種を残していくのでしょうか。今私はどのような種を残していくか、大きな課題に向き合っているところです。
 

―人間の場合、種に相当するものってなんでしょうか。
そもそも種ってなんでしょうか。種を播くと芽を出し、双葉をつけ、根を伸ばし、本葉をつけ、茎を伸ばし、さらに葉をつけ、実を結んだり、根を太らせたりする。あの小さな種の中にその野菜の遺伝子と成長プログラムが全て詰め込まれているんですね。人間の場合、 野菜の遺伝子に相当するのは「志」とか「使命感」と言えるかもしれません。成長プログラムに相当するのはその人の生き方、人生そのものと考えたらどうでしょうか。

 

3)種を残し次世代にバトンタッチ、最後は人の役に立つ、人の一生に通じる
―緑川さんの世代の方々は「志」とか「使命感」という言葉は普通に使うのでしょうが、私たち若い世代は、最近はあまり使いませんね。その代わりと言ったらどうでしょうか、「自己成長」とか「存在価値」という言葉を使うことが多いですね。自分が自分らしく生きていく、ということでしょうか。それでも私たちは他の人との関係の中で生かされている・・・
上手く言えませんが。
 

 時代の変化と共に、私たちが使う言葉も変わっていきますね。それが自然ですし、当然だと思いますよ。
 

(3)コミュニティの形成

―最近都会に住んでいる人の中で孤立して孤独な気持ちでいる人が少くないと言われています。結婚しないで独身のままの男性と女性も増える傾向です。また一人暮らしの高齢者も増えています。緑川さんは生活の場での人と人のつながり、コミュニティ化を提案されていますね。屋上菜園は都会の中でのコミュニティづくりにどのように役に立つのでしょうか。
 

 コミュニティは日本語に訳すと「共同体」ですね。日本の場合、特に村落共同体と呼ばれる共同体があります。村落の暗黙のルール、また年長者の意向、方針が尊重される封建的な雰囲気があります。それを嫌って村落を離れ、都会に出ていく若者が多くいました。私の父の実家は栃木県の佐野市の農家ですが、父は長男でしたが、村を出て東京で事業を始めました。封建的な雰囲気から離れたいという気持ちがあったように思います。共同体は人と人とのつながりから始まります。一緒に何かに取り組む。そこに一種の親しさ、さらに信頼関係も生まれてきます。これからの時代の「共同体」は上下関係の無い、フラットさを持った「共同体」を目指すのではないでしょうか。言葉で言うと簡単そうですが、実際「共同体」の活動が始まるといろいろと課題が出てくると思います。その点、野菜栽培はお互い栽培者同士で野菜栽培の仕方について情報交換をしたり、また収獲した野菜をあげたり、もらったりしているうちに親しさが生まれていきます。野菜そして野菜栽培という分かりやすい素材また場が徐々に人と人とをつなげていき、段々小さなグループになっていきます。グループと「共同体」は重なる部分もありますが、共同体では信頼関係、また一緒に何かをするという一体感が強いように思います。またグループと違って共同体は自然に根差しているという部分があるのではないでしょうか。これからの「共同体」は何よりもフラットで民主的で、実行面が重要です。そして自然にかかわっていく。貸出菜園でも利用者同士のコミュニティが何か月か経つと生まれてくるようです。また事務所ビルの屋上菜園でも社員同士が部分的にも一緒に作業をすればコミュニティが生まれてくるように感じています。野菜栽培を通じて人と人との自然なつながりが生まれる、というのはとても興味深いことです。その意味でも私は野菜栽培を通じて人と人とのつながりを作っていこう、そして自然の中に身を置いていこうと提案しています。野菜栽培であれば年齢は関係ありません。子供から大人、そして高齢者迄コミュイティのメンバーになっていきます。
 

―共同体というとどこか古い、確かに封建的なイメージがありますが、コミュイティという言葉には明るさとか暖かさがあるように感じます。これからは、菜園コミュニティですね。
 

 確かに「共同体」というとどこか古い、どこか封建的なイメージがあります。コミュニティではメンバーはお互い平等で、相手の人格と価値を尊重し、一人一人の特徴を活かして活躍するという明るさ、自由さ、信頼関係が感じられますね。野菜の世界では王様、女王様というのはありません。果物の世界では果物の王様はドリアン、女王様はマンゴスチンと言われていますね。
 私たちの団体はジャパンベジタブルコミュニティという名前です。野菜栽培を通じてコミュニティを築いていきたいという思いを込めています。
 

―そういうことなんですね。ジャパンベジタブルコミュニティ、とてもいいネーミングだと思いまし。
 

(4)地産地消から一歩進んで自産自消  自分で栽培して自分が食べる
 これからの時代の一つの流れとして、地産地消から一歩進んで、「自産自消」ということで、文字通り自分で野菜、果樹を栽培して自分で食べる市民が増えていくのではないでしょうか。市民農園で野菜栽培をしている人が多くなっていますね。私が借りている市民農園はもともとは農家の田んぼだったようですが、農家がコメ作りをやめた後は建設残土の捨て場になっていました。そのような場所を借りたのですが、最初は赤土で野菜がうまく育ちませんでした。土壌改良をするために自分で枯葉を集め腐葉土を作り、3年間毎年入れ続けたた結果、やっと野菜が順調に育つようになりました。一度自分で野菜を作り始めるとやめられませんね。自分で栽培した野菜を食べる、というのは嬉しいことです。実際に野菜を栽培してみて、農産物を生産している農家の皆さんの苦労が少しですが、分かるようになりました。特に有機的栽培で野菜を栽培し、販売している農家さんは大変だと思います。今後もっと多くの市民の皆さんが市民農園あるいは屋上菜園で野菜栽培をすることになると思いますが、野菜栽培は間口も広く、奥も深いですから、今後野菜栽培をする市民のための何らかのサポートシステムが必要ではないかと考えています。現在そのようなサポートシステムの準備をしているところです。まずは屋上菜園用のサポートシステムから始めます。農作業のポイントは抑えながら、市民だからこそできる野菜栽培もあるのではないでしょうか。野菜栽培は身体の健康ばかりでなく、ストレス軽減、幸福ホルモンの分泌という面で心の健康にも役立ちます。自産自消であれば、一番美味しい時に収獲して食べることができますから最高ですよ。
またレストランの屋上で野菜を栽培して食材として用いていくというのも自産自消ですね。今後このような個人が野菜を自分で栽培するのとは別に業務関係でレストランの皆さんが自分たちで野菜を栽培するというケースも増えてくると期待しています。フランスのパリ市ではそのような屋上菜園が増えてきているようです。

 

―本当にそうですね。私も一番美味しい時に収獲して食べたい。それも農薬のかかっていない安全な野菜を。そのサポートシステムが出来上がったら是非教えてください。私も自産自消でやってみたいと思います。
 

 承知しました。青山さんも野菜栽培を始めてください。応援しますよ。これからは野菜づくりが若い人の間でも増えていくと私は見ています。
現在都会周辺の市民農園、屋上菜園だけでなく地方に行って農作業体験ができるプロジェクトも準備中です。今迄は地方から都市へという人の流れでしたが、これからの時代は都市から地方への人の流れが多くなっていくと思いますし、またそうあってほしいですね。

 

(3)都市と地方の関係人口づくり
1.都市と農村の交流  逆の流れをつくる(都市→地方)

 私が19歳の頃、「ああ、上野駅」という歌が流行歌になりました。地方から集団就職列車に乗って上野駅に着いた若者を歌った歌でした。当時日本は高度成長の時期に入っていました。仕事を求めて地方の若者が大きな流れをつくって都市に流れ込んできた時代でした。「上野は俺らの心の駅だ」。若者は上野駅からそれぞれの就職先に向かって散っていきました。
 

―そんな時代があったんですね。若者は会社の寮とか下宿先で東京での生活をしていたんですね。寂しい時、辛い時もあったのではないでしょうか。
 

 きっとあったことでしょう。その若者も今では後期高齢者になっていますね。ある老人ホームに今入っている入居者のNおばあさんは山形県の酒田市の北の方にある村から集団就職列車で東京にやってきて墨田区のある食品工場で女工として働きはじめました。25歳の時に縁あって同じ工場で働いていた男性従業員と結婚して、家庭を持ったとのことです。一男二女に恵まれ、夫亡き後、長男の家族と住んでいたが、嫁との折り合いがうまく行かず、老人ホームに入ることになった、「今迄の人生いろいろあったけど、一生懸命生きてきた、悔いは無いさ」と話してくれました。また私の親戚筋の男性は数年前に亡くなりましたが、栃木の田舎町から中央区日本橋・横山町の繊維問屋街に就職し、そこで販売の仕事をして、販売技術を身につけ、後に独立して江戸川区の小岩に衣料店を開き、そこで生涯現役で店頭に立っていました。
仕事を求めて多くの若者が東京に出てきました。さまざまな人生があったことでしょう。都会生活に翻弄され、失敗・挫折した若者も少なくなかったのではないでしょうか。
ここで私が皆さんに伝えたいことは、今迄東京のために多くの若者を送ってくれた地方、町、村に今度は東京が貢献する時が来ているということです。
地方へ移住する人もいます。私の友人はエゴマの栽培のために、埼玉県から島根県に移住し、有機的にエゴマを栽培して、自分でエゴマ油を絞り、販売しています。移住したのはエゴマ栽培・エゴマ油づくりの師匠のような方がいるから、というのも大きなキッカケになったようです。

 

―そうなんですね。私も地方には関心がありますが、移住迄は考えていません。
 移住はかなりハードルが高いですね。

 

 私が今願っていることは、地方でこれからの時代が必要とする付加価値の高い仕事、事業が生まれることです。具体的に私が準備しているのは以下の2つです。
1.アグリ・ヒーリング研修
2.「第二の故郷」プロジェクト
まずアグリ・ヒーリング研修はうつ病対策として考えています。現在都会で生活し、働いている人々の中でうつ病で悩んでいる人が多くいるとのことです。人口の約1パーセントがうつ病に悩まされているということで、東京の場合は122,000人というデータが出ています。人口の約1%です。100人に一人ですね。ただ実際はもっと多いのではないかと思います。やはり、人口が多い都市にうつ病患者も多いですね。
地方で農作業をして「農」の持っている癒し効果を豊かな自然の中で体験してほしいと思います。現在、その研修内容をまとめているところです。2023年に山梨県のN町でトライアル的に研修を実施する計画です。私自身もうつ病的タイプですが、うつ病にならずに元気にやってこれたのは、屋上菜園で野菜に触れ、市民農園で農作業をしてきたからだと思っています。


―緑川さんがお元気なのはアグリヒーリングのお陰なんですね。もちろんそればかりではないでしょうが、伺った年齢よりもずっとお若く見えます。特に気持ちが。お世辞ではありませんよ。それで「第二の故郷」プロジェクトというのはどんな活動なんですか。
 

 ありがとうございます。「第二の故郷プロジェクト」は移住ではなく、定期的にその地を訪問し、地元コミュイティと親しくなり、自分の実家に帰ったような気持ちになって頂くプロジェクトです。例えば月1回、1週間滞在する。午前中は仕事をして、午後は畑あるいは田んぼに出て農作業。夜は地元の食堂で地元のコミュニティの人々と夕食を一緒に食べ、談笑する。その中で地元の若い人達と新しい事業を創り上げていく・・・というようなイメージです。訪問を2回、3回と繰り返しているうちに、段々自分の故郷に帰ったような気持ちになっていただければ、という願いを込めて、「第二の故郷」プロジェクトと名付けました。
 

―いいですね。移住ではなく、繰り返し訪問なら私にもできます。
 

 プロジェクトが始まったら早速ご案内しますね。是非「第二の故郷プロジェクト」を楽しんで頂き、感想、ご提案をお寄せください。


2)田園都市化  新しいタイプの屋上田園都市 
私の夢は東京のビルの屋上に次々と屋上菜園が設置され、都会で生活し、仕事をする皆さんが日々の生活に確かな幸せを感じることです。自然は、その一部分である野菜、果樹は私たちの心を浄化し、癒してくれます。そして野菜の成長する姿を見て野菜、果樹から生きる力をもらうことができます。野菜栽培を屋上で始めるために、菜園生活セットを開発しました。現在普及に努めています。
飛行機が東京の屋上に来た時、緑の田園風景が広がっている、そんな風になればいいと思っています。東京の人口は1,400万人です。西欧の都市はドイツのベルリンで360万人、パリで220万人です。西欧の場合は地方の中核都市が中心になっています。昔の領邦国家の名残でしょうか。地方の都市は田園の中にあります。ドイツのシュツットガルトに行ったことがありますが、まさに田園都市でした。今後日本と西欧の田園都市の交流を進めていきたいと考えています。東京、大阪などの場合は屋上を中心とした田園都市になりますね。屋上菜園は西欧との交流のためのベースになる可能性も持っています。そのためにも東京と大阪で屋上菜園を増やしていきたいと思います。そして日本が屋上菜園の先進国になり、多くの外国人が見学にやって来る。そして日本のある地方を第二の故郷のように繰り返し訪問し、滞在する、・・・そんな夢を描いています。

 

―緑川さん、今日は貴重なお話を伺わせて頂きました。私もマンションのベランダで野菜栽培を始めます。屋上菜園用のサポートシステムも出来上がりましたらご連絡ください。なんだか楽しくなってきました。私も野菜栽培を通じてもっと幸せになります。これからもどうぞよろしくお願いします。

(完)
 

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