top of page

第二の故郷ものがたり

 

〜第7話〜

両親に『第二の故郷』旅行をプレゼント

第二の故郷7話.JPG

 食事の片付けと入れ替わりに女将が部屋に朝の挨拶にきた。「おはようございます!
今日も元気でお健やかにお過ごしください。何かありましたらどうぞご遠慮なくお申し付けください」

「地域コミュニケータ」の坂本さんが部屋に入ってきた。「おはようございます。ご気分はいかがですか。体調はどうですか」坂本さんは親身になって尋ねている。坂本さんは30分ほど前に旅館にきて、体調管理システムのデータをチェックしていた。「これなら大丈夫、でも無理しないようにしましょう」と自分に言い聞かせた。
坂本さんは今日のスケジュールを東条様ご夫妻の要望を聞きながら打ち合わせが始まった。地元の観光マップと農家と漁村の訪問先を見ながら楽しそうに話し合っている。
予定としては、前日に決めておけば段取りしやすいのだが、高齢者の場合はその日になってみないと体調が分からないので、当日の体調を見て適宜予定を立てたほうが高齢者にも負担がかからない、ということを坂本さんは経験から学んでいる。

 

打ち合わせの結果、午前中に観光の名所を一つ見た後で、農家の高橋さんのお宅を訪問することにした。地元でないと食べられないちょっと珍しい野菜があるとのこと。
午後は観光の名所を2つ、車で行って、ゆっくり見て、それから旅館に戻り夕食。風呂に入ってからマッサージ、と決まった。
東条様のご主人は「さあ、腹ごしらえもできたから、今日は歩くぞ」と元気一杯。
奥様は「あなたに付いていきますが、疲れたら手を引いてくださいね」
午前中の観光名所は散歩がてらいける距離だが、午後の名所は歩いていくには遠すぎるので、坂本さんが旅館の車でお二人を案内する。

 

午前中の観光名所には散歩がてら。お二人は手ぶらだ。「地域コミュニケータ」の坂本さんがお二人の手荷物を運んでいる。お二人は時々立ち止まり、「ちょっと休みたいんですが、いいですか。」「勿論いいですよ」と坂本さん。道端の岩の上にシートを敷いてそこに座っていただく。樹木の香りが流れてくる。道端には菫の花が咲いている。川の流れの音が聞こえてきた。「もうすぐお目当ての滝かな」
坂本さんは滝の前でお二人の写真を撮る。「ご主人、奥様の肩をそっと抱いていただけますか」
写真を撮った後、坂本さんは携帯電話を使って旅館に今どこにいるか、何をしているか、特に問題はないか、これからの予定につき、報告を入れていた。
滝の見物の後、農家の高橋さんのお宅に伺った。昔ながらの農村の家。若いご夫婦が迎えてくれた。ご主人から土地のこと、農業についてお茶を頂きながら話を聞いた。「ちょっと珍しい野菜を上がってくださいな。葉ワサビなんです。なめ味噌を葉ワサビでくるんで食べると、これがなんとも言えません。お口に合うといいんですが」
鮮やかな野菜の香りが口の中に広がる。「これはここでしか味わえない地元の逸品ですな」「葉ワサビと味噌がよく合っていること」蕎麦茶を高橋さんが出してくださった。

 

目の前には棚田が広がっていた。あぜ道で縁取りされた幾枚もの棚田。東条様のご主人は子供の頃田舎で育ったと聞いていた。どこか遠くを見るような目で棚田とその回りに拡がる風景を眺めている。ぽつんと「懐かしいな~。ぼくの田舎にも昔は棚田が沢山あったよ。大水の後など崩れた石垣直しが大変だった。」

 

旅館に戻り、昼食。ご夫妻はざる蕎麦とミニ山芋汁を食べられた。
一服してから車で観光名所2箇所を回った。一つは民話の里、もう一つは平家の落人部落。旅館に戻った。少しお疲れになったようだ。「お疲れになったんじゃないですか」と聞く坂本さんに「大丈夫、大丈夫」とご主人が答えている。奥様は「疲れたわ」と言って窓の側のラタンの椅子に身体を預けるようにして座った。「お父さんたら、1人でドンドン歩いていってしまうんですもの。手を引いてください、ってお願いしたのに。坂本さんがいてくださったので助かったわ」
奥様は旅館の庭を見ていた。お茶を頂きながら、ぼんやりと庭木を眺めていると女将さんがしゃがんで何かをとっているのが見えた。近づいてきた女将さんに声をかける。「何とっていたんですか」「あら、ご覧になっていたんですか。茗荷なんですよ。今晩の夕食に添えさせていただこうと思いまして」「お財布なんか忘れていきませんよ~」「それより宿賃のお支払いを忘れないでくださいね」女将と東条様の奥様が声をたてて笑っている。「茗荷が可憐な黄色い花をつけるんですよ、私とても好きなんです」

 

二日目夜

 

夕食は旅館謹製の高齢者向け特別料理で、採れたての色とりどりの野菜、山菜がふんだんに使われている。天麩羅の盛り合わせ。湯葉、椎茸などの具が盛りだくさんのうどんすき。おやき。あわぜんざい。りんごジュースに玄米茶。
東条様ご夫妻は全部召し上がった。「料理は美味しいというのがまず第一だが、食べて幸せ、というのが最高だね。今晩は本当に幸せだった」ご主人が奥様に顔を向け、きみはどうだい、と言う感じで促している。「私も幸せでした。こんな心づくしのご馳走が頂けるなんて、幸せです。それに何か身体の中がスーッと爽やかになったみたい」「さっそくデトックス効果が出たんじゃないか」
夕食後、東条様ご夫妻はしばらくテレビをご覧になっていた。お二人でよく見ている番組とのこと。時間を見計らって、マッサージ室にご案内する。まず足湯に使っていただき、しばしリラックス。身体も温まってきたころ、マッサージを始める。ご主人には中国気功整体、奥様には美容整体。それぞれ50分コース。今日一日の疲れがとれることを願って。
 マッサージの後は歌の時間。お二人に「心の歌」を歌っていただく趣向。ご主人からは「喜びも悲しみも幾年月」「影を慕いて」「霧にむせぶ夜」奥様からは「恋心」「蘇州夜曲」「水色のワルツ」が自分の心の歌との連絡を頂いている。
司会は「地域コミュニケータ」の坂本さん。観客は従業員でカラオケセットも担当。
 
坂本さんが始める。「真珠貝のようにこころの中に埋め込まれた小さな玉。人の世で生きていく時、私たちが流す涙、苦しみが小さな玉を少しづつ大きくしていきます。
そしていつしか輝きを増していきます。それが我が心の歌なのでしょう。」
それではご主人からどうぞ。
 坂本さん、ナレーションを始める。
 
・・・灯台守は
船に光を送り続けます

灯台守は家族だけの世界
妻は不自由な暮らしに耐え
子供達を育ててくれました
人並みの楽しみを味わわせて
やれなかった 妻よ 子よ

 

黙々と仕えてくれた妻よ
お前がいなかったら
俺はこの仕事を続けられなかった

 

妻よ お前こそ
俺という船の灯台だった・・・

 

それでは東條様のご主人、どうぞ。
ご主人は出だしでちょっとつまづいた。涙を拭った後で歌い始めた。坂本さんが励ますように途中まで一緒に歌った。
次は奥様、恋心です。
坂本さんのナレーション。
・・・ミラボー橋の下をセーヌは流れ
私たちの青春も
私たちの恋も

小さな舟のように
流れていった

もう恋なんてしないと誓った筈なのに
恋なんてむなしくはかないものと
知った筈なのに

 

なぜか今度こそ本当の恋に生きたい
恋に死にたい

 

セーヌの流れをみつめながら
そう思う私は
愚かでしょうか

マビヨン通りに枯葉が舞っています。
あの人と会った小さなレストランに
灯がともっています・・・

 

奥様は岸洋子になったかのように表情たっぷりに歌われた。
歌声と共に夜は更けていく。
ご主人も、奥様もそれぞれ3曲歌った後、歌にまつわる思い出を語り始めた。
坂本さんと従業員は相槌を打ちながら聞いている。
午後9時半。明日もありますから、お二人の歌謡ショーは盛り上がってきましたが、そろそろ幕を下ろさせていただいたいと思いますが、宜しいでしょうか。
「おやおや、こんな時間か。あまりにも楽しくて時間を忘れていたよ。長時間、お付き合い頂いてありがとう。」「本当に楽しゅうございました」
坂本さんは「明日は9時に伺います。それではゆっくりお休みください。それからお休みになる前にお薬を飲んでくださいね。」と挨拶して部屋を後にした。
「今晩東条様ご夫妻はなかなか眠れないかもしれない。寝物語にいろいろお話されるのではないかしら」坂本さんは女将に今日一日の報告書を出して家路についた。

 

 電気を消した暗い部屋の中でご主人の声がしている。
 
 早苗。今日は楽しかった。君と一緒にこんな旅行ができるなんてまるで夢のようだ。ぼくは今日、今迄なんて君を大事にしてこなかったか、本当にわがままな自分勝手な人間だと思ったよ。・・・許してほしい。これからは少しは優しい夫になりたいと思う。ぼくと結婚して幸せだったと思ってもらえるように心がけます。
 これからもどうぞよろしく。早苗さん・・・お休みなさい。

 

戻る
 

bottom of page