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時代小説「欅風」(24)切手引き受け軌道に乗るか  郷助組の活躍

 天岡文七郎は庄屋と米商人一人一人を訪問し、切手の裏づけとなる米の提供を求めていた。

 断られた庄屋にもう一度ひざ詰めで説得を試みていた。諦める訳には行かないのだ。

 庄屋の松田仁作はほとほと困ったという顔をして、

「天岡様がいくら大丈夫だと言われても、そもそもお出しする米がありません。今年は不作で飢えないようにするので精一杯です。本当なんです。」

「疑っている訳ではありません。それぞれ事情があることでしょう。できる範囲で良いのです。」

「それでは一石でも良いということでしょうか」

「そうです」

 庄屋の松田仁作は文七郎の顔を暫く見詰た後、自分に言い聞かせるように頷いてから、頭を下げた。

「私も狭野藩でお世話になっている者です。天岡様に一石でお帰り頂く訳にもいきますまい。分かりました。それでは五十石の米を提供させて頂きましょう。大切な切手五十両を扱わせて頂きます。この五十石は私どもにとっては最後の最後の命をつなぐ米です。そのことを覚え置きくださいますように」

 文七郎は深く頭を下げて、「私も命がけで五十石を使わせて頂きます」と応じた。

 帰り際上がり框のところに腰掛けて草鞋の紐を結んでいる文七郎を見て、仁作は「草鞋も随分擦り切れていることよ」胸の中で呟いていた。

 そして声をかけた。「これからどちらに行かれますか。

「庄屋の桜井正之助さんのところです。もう一度お願いしてみます」

 文七郎が藩内すべての庄屋の協力を取り付けようとしているのは米の提供だけではなかった。物産総会所の責任者にはそれぞれの地区の庄屋になってもらい、貸付から、生産そして検品、購入する者との売買の仲介まで引き受けてもらうためだった。世情に長けた、また農民の暮らしを良く知っている者が物産総会所の責任者にうってつけと考えたからだ。

 武士にできることではない。

 狭野藩の庄屋は全部で八人いる。二人は協力を約束してくれた。あと六人だ。急がなければならない。

 文七郎は協力者が四人迄行けば山を越すだろうと考えていた。また物産総会所の仕事の中身をもっと固めなければならないことも痛感していた。まだまだ漠然としている。


 郷助組の連中は良く働いている。村の畑から収穫したニンニクを持ってきて夕食の後、皆で酒を飲む時にムシロの上に山盛りにしてツマミにしている。ところどころに味噌壺が置いてあり、作業しているものは味噌をつけてニンニクを齧る。善次が郷助に言う。

「ニンニクを食べると疲れが取れるし、明日に残らない。こりゃ、凄い酒の肴だね」

 郷助が答える。「俺達の村ではニンニクが良く育つ。人によっては臭いと鼻をつまむがニンニクは身体にもいいんだ。俺はずっとニンニクを食べてきているんだ。生のままでもいいが焼いても旨い」

「しかし、これを最初に食った人は偉いね。」

「確かにそうだな。人間が食うものは皆先人が食べて、選り分けてきたものなんだな。その間に病気になったり、命を落とした者が何人もいることだろう。ありがたいことだ」


 郷助は村人を三班に分けて普請場に入れていた。一月交代だった。一月経つと村に戻った。

 それ以上いて、変な狎れが出てくること警戒していた。そして横杭を打つ一番難しい時に若くて元気な者達を集めていた。

 郷助は村から人足だけでなく、青物、土物をはじめとして食べ物を調達していた。人足への支払いは毎月行われた。食べ物の支払いは二ヶ月に一回だ。支払いは普請奉行の谷川重太郎が行った。期日通りの支払いが守られていた。

 郷助は十日にいっぺん家に戻り、家族の様子、村の様子を確かめていた。次郎太、才蔵にも声をかけていた。

「大川の普請はうまく行ってるだ。後四ヶ月の頑張りだ。次郎太、才蔵さん、留守を頼む」


 狭野藩から使いの者が来た。荷車に土嚢をいくつも積んでいる。土が乾いてヒビが入り、水が沁みこむと直ぐに水で膨張し、割れ目を防ぐ特別な土とのことだ。ムシロで囲いが作られた。これから混ぜるようだ。

 叡基は榊原弾正のところに行き、「これから特別な土を混ぜますが、ご覧頂きたく存じます」と言った。

 弾正は「そうか、届いたか」と答え、ムシロの中に入っていった。

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