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時代小説「欅風」(29)大阪城修築・真田丸片付け作業 その一

 氏安は大阪城近くの久宝寺町に狭野藩の出先を構え、その周辺に侍、人足の宿泊所を確保した。久宝寺町は氏規がかつて政務をとっていたところであった。

 毎朝、他の藩よりも早く大阪城の普請場に向かった。真田丸の廃墟の跡に入る時、武士と人足は深深と頭を下げ、祈った。氏安はその姿を見た藤堂高虎に次のように話した。

「大阪冬の陣で多くの関東方が真田丸に引き寄せられて命を落としたと聞いております。その無念の死を弔ってから作業を始めております」

 しかし、氏安は心の奥底では幸村を慕っていた。「幸村様、この普請が続く間、幸村様の武略、智謀、覚悟、闘志を思いつつ、作業をして参ります。」


 氏安は久宝寺町の宿舎で真田丸の片付け作業に入ってから度々夢を見るようになった。夢の中で激しい声と音が聞こえてくる。

 大阪冬の陣。幸村様は大阪城籠城作戦ではなく、東軍の戦備が整わない内に先制攻撃を仕掛け、畿内を確保してから東軍を迎え撃つ積極策を提案したが、大野冶長など豊臣側近に退けられ、やむなく籠城作戦となった。

 氏安は小田原城籠城作戦を取った先祖の第4代当主氏政のことを思った。籠城作戦は援軍が来なければいずれ行き詰ってしまうものだ。

 秀吉の小田原征伐では氏政と氏照は責任を問われ、切腹となった。

「幸村様はそれで諦める方ではなかった。次善の策として大阪城南方に弱点があることを指摘し、そこに砦を構えることで弱点を補強しようとした。天王寺付近が激戦地になると見極められたのだ。大阪城の惣構えの堀を背負い、三方を空掘で囲み、三重に柵を巡らし、櫓などを設けた堅固な砦、それが真田丸だったのだ。」


 夢の中で氏安は真田丸正面の水堀の傍に立っていた。真田丸の西の方では井伊直孝勢の兵が次々と仆れている。東の方では前田利常勢の先陣が空掘りの中に次から次へと突っ込んでいく。兵たちは真田丸の櫓から発射される鉄砲に捕捉され、死人の山が築かれていく。

 まさに地獄のようだ。竹で作った砲弾除けが役に立たない。仕寄りをつくることも忘れている。

 大阪城南の惣構への攻撃主力は伊達政宗、藤堂高虎、松平忠直隊の三隊であった。この攻撃主力に対し、真田丸からの側射の鉄砲と急襲隊を抑えるために井伊直孝、前田利常隊が真田丸を左右から慎重に攻撃するというのが関東方の作戦だったが、幸村が篠山に隠した囮部隊が前田勢と井伊勢を撹乱し、引きずり込まれるように真田丸の堀に近づき、櫓からの十字砲火を受けることになった。

 真田丸の土塁の上に築かれた二層の櫓は押し寄せる兵をすべて射程に入れている。何という戦いだろうか。大軍を誇る関東方がこれほどまでに手玉に取られ、誘導され、混乱し、一方的に死者を出しているとは。

 この戦いの指揮を執っているのは幸村様なのだ。未明に始まった関東方の攻撃は夕方に終わった。関東方の損害は数百人にも及んだと言う。兵と兵とが直接激突する戦いは殆どなかった。関東方は火力によって撃破され、攻撃主力も真田丸からの側射を警戒し、惣構へ本格的攻撃ができなかった。

 まさに幸村様の圧勝だった。関東方には幸村様に対する恐怖心が深く植えつけられたようだ。豊臣方はこの勝利に大いに励まされた。

 氏安は地獄のような戦場を創り出した幸村になぜこのようなことができたのか、尋ねてみたいと思った。氏安は夢の中で、闇の奥に問いかけた。

 暫くして、声が聞こえてきた。

「敵を引き付けるのだ。ギリギリまで引き付け、そして一挙に叩く。引き付けて主導権を握る。我の欲するところに敵を導き入れて、一挙に撃破する。これが私の作戦だ。そのためには戦場にあっては将も兵も決して興奮して浮き足立ってはならない。とりわけ将はあくまで氷のように冷静に全体を見極め、『ここぞ』という時を見出さなければならない。早すぎても遅すぎても駄目なのだ。戦場で冷静さを保つことは至難の業と言えよう。だから日頃の鍛錬が、心の強さが勝敗を決する。

 戦いは敵を何人倒すかだけでなく、相手の心に打撃を与え、相手の心に恐怖を与えることでもあるのだ。とりわけ敵の将に恐怖を与え、混乱させることが肝要なのだ。」


 翌朝、氏安は武士、人足と共に真田丸の東南の坂道に立った。前田勢の先陣がいた所だ。

 なぜ前田勢は引き付けられたのだろうか。

 木っ端を片付け、焼却場に運び燃やした。煙りは死者が燃えるように空に昇っていった。


 次の夜、氏安は夢の中で闇の奥に向かって問いかけた。

「昨晩はギリギリ迄敵を引きつけると言われましたが、どうしたらそのようなことができるのでしょうか。」

闇の奥の声は答えた。

「敵がこちらに向かって攻めてくる時のこころの状態を考えてみるが良い。こちらが弱い、勝てると思った時ではないか。だから小さく負け、逃げるのだ。これは戦術だ。勝ちに逸り、将兵が攻撃行動の中で興奮していくと警戒心が薄れてしまうものなのだ。時には相手を挑発し、苛立たせることも効果がある。

 将兵は功名心につき動かされている。つまり戦いとは高度な心理戦なのだ。


 第一次上田合戦の折り父昌幸は、鳥居元忠、平岩親吉、大久保忠世の徳川勢精鋭七千人と戦い、信玄公直伝の変幻自在の軍略用兵術で散々に打ち負かした。その時もそのような戦術を駆使して引き付けて、ぎりぎりまで引き寄せて一挙に叩いた。

 小が大を打ち倒すにはこれしかない。しかし、言葉で言うのは易しいことだが、生きるか死ぬかの戦場でこの作戦ほど難しいものはないのだ。なぜなら部下の指揮官に対する絶対的信頼が無ければならないからだ。」

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