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時代小説「欅風」(60)狭野藩改革

狭野藩は1万石余のまことに小さな藩だ。領地も狭く、当然石高も少ない。氏安は考えた。小さな藩はどのように生きていったら良いのか。日夜考えつづけた。そこで得た結論は小さな藩だからこそできることを見つける、小さな藩しかできないことを実行する、ということだった。氏安は、藩は地産地消、自分達の力だけで藩の経済を守り、廻していかなければならないことをいつも自分に言い聞かせていた。誰も助けてはくれないのだ。それどころか幕府は一方的に藩に普請を冥加金を言いつけてくる。藩が疲弊するギリギリ迄追い詰めてくる。それを凌がなければならない。

そして考えたことを先頃叡基の寺を訪ねた時、氏安は叡基と一緒に散策した折、話を切り出した。

「叡基殿、貴殿はこの徳川の世をどのようにお考えでしょうか。信長様は才あるものを身分にかかわりなく取り立てられました。秀吉様は農民から信長様に取り立てられて出世され太閤殿下にまで昇りつめられましたが、徳川の世ではもはや農民が武士の頂点に立つことなど叶わぬ夢、ということになりました」

叡基は周囲を見渡した後、低い声で言った。

「能力があれば身分にかかわりなく出世できるという自由な時代は終りました。士農工商という新しい身分制度は、武士は武士らしく、農民は農民らしく、工人は工人らしく、そして商人は商人らしく、それぞれ身分を弁えて身を処することを眼目としております。要するに幕府のご法度、思し召しの下で四民がそれぞれ役目を持って世の中を支え、守っていく、武士は政事を持って社会の秩序を守る。農民は必要な食糧を生産する。工人は生産と生活に必要な道具とか品物をつくる。商人は品物を動かす。そこには極めて厳しい身分の別、主従関係がございます。武士以下の三民は皆武士に従わなければなりません。武士と三民の間には超えることのできない深い淵があるのです」

「日ノ本という国全体をまとめ、二度と戦乱の無い世にするためにはそれが良いのでしょうが、三民は皆武士に申し立てることは出来ず、また将軍は思いのままに政事を進める、ということになりますが、本当にそれで世が治まるものでしょうか。民が安心して暮らせる世の中になるのでしょうか」

叡基は暫く考え込んでいたが、氏安の問いには答えず思いもかけない話を切り出した。

「『大般涅槃経』の中に阿闍世王子の話が出てきます。王子は父王を殺し、母親を獄に幽閉して王位を継いだ人物です。王子は自分の罪におののき6人の大臣を訪問して意見を聞きます。6人の大臣の最後の吉徳は、武士(王種)は国土を守るために政治を行なうので、そのために父王を殺しても罪に落ちることはない、と答えます。6人の大臣は結局、殺人を仕事とする武士階級にはもともと殺人罪はありえない、という結論では同じでした。従い武家の法と世の中一般の法とは全く別のものということになります。」

「ここ日ノ本でも武家の行なう政事は常に殺人を正当化する、ということなのでしょうか」

「そのようにお考えになってよろしいかと存じます。武家が行なう政事ではいつもそのことを覚悟しておかれることが肝要です。氏安様は阿闍世王子とは違いますが、今の世の政事はそのような闇と牙をその奥底に持っていることを片時もお忘れなきように。徳川の御世にあって主従関係はかつてのように戦場であったものとは異なります。武家が支配する権力は、いつも戦場でなくとも最後は権謀術策の果て、暴力的な力で決着をつけるという本性を現すことになります」

氏安はうめくように言った。

「私が目指している政事はそのようなものではありませぬ。身分を弁えつつも狭野藩の領内で生きる者が、四民がそれぞれ人として自分の道を歩き、互いの道を尊び、力を合わせ、それぞれの務めを果たし、幸せになることなのです。そのような政事はできぬものなのでしょうか」

叡基は雰囲気を和らげるように言った。

「氏安様。お気持は私にも痛いほど分かります。さて日ノ本を治めるのと狭野藩とでは事情は異なります。殿の思いはこの狭野藩であれば叶うことかもしれません。幕府の身分制度の枠組みの形はそのままにして、中身を変える、というのはいかがでしょうか。確かに一万石の狭野藩は、領民それぞれに力を大いに発揮して貰わねば、いずれ頭打ちとなり、更には立ち行かなくなるやもしれません」

氏安は言った。

「私は理想を追い求めている訳ではありません。確かに身の丈と言う考え方がありますが、領民が本分を尽くし、互いに協力し合えば、少なくとも狭野藩の実力を今の2倍、2万石にできると信じているからです。凶作、飢饉などの波風に耐えられる藩にする、それが藩主である私の本分、務めと考えているのです」

「殿は本分を尽くし、互いに協力し合えば、と言われました。私もその通りであると思います。是非狭野藩をそのようにして頂きとう存じます」

叡基は思った。氏安様はまだ若いけれど、心が円満で考え方も成熟しつつあると。理想を求める思いも確かなものだ。しかしながら考えと思いが過激に走ることがないよう、お支えしなければならない。

叡基は3つのことを氏安に進言した。

・狭野藩の領民のためにそれぞれ塾を開設すること。武士のため、農民のため、工人のため、商人のため

・人材を能力だけではなく人柄も含めて総合的に評価し、起用すること

・物事の報告に当っては因果関係をはっきりさせて話をさせる、また文書を書かせるようにすること

叡基は一つ一つ説明した。

「四民にはそれぞれの道があります。何のために自分は武士なのか、何のための自分は農民なのか、何のために自分は工人なのか、何のために自分は商人なのか・・・その本分を学ぶことが大切です。四民には四用があります。どれ一つ欠かすことはできません。

塾の師範は、それぞれ武士は武士の中から、農民は農民の中から、工人は工人の中から、商人は商人の中からこれはと思うものを数人選び、師範のお役目に付かせるのが良いかと思います。大事なことは人格的陶冶であり、実学実用です。

人を見る時には能力だけではなく人望も見なければなりません。どんなに能力があっても人がついていかなければ何事もできない、ということになります。勿論無能では、人はついてはいきません。ただ私は無能の人間はこの世にいないと信じております。領民一人ひとり、機会を与え、その得意なところ、美点を引き出し、それに確かな人格が加われば半円ではなく円満な人となります。

最後に因果関係です。すべて原因があって、結果があります。この考え方は重要です。報告する者もされる者も正確に事態を掴み、適切な手、解決策を講じることができるからです。但し落ち度があった時、誰に責任があるか敢えて問い詰める必要はありません。それは当の本人が一番良く分かっていることでしょうから。

氏安は叡基が自分の思いを確かに受け止めていることに内心感激し、言った。

「叡基殿。進言の一つひとつ、頷くことばかりです。私の中で十分に反芻して、自分のものにした後、狭野藩の政事に活かしていきたいと思います」

叡基は頭を下げて言った。

「大変差し出がましいことを申し上げました。殿がお考えをまとめる際のご参考になれば幸いです」


氏安は叡基との話合いを日々自分の中で反芻していた。

氏安は夢を見た。まだ部屋住みであった頃、狭野藩領内の領民と世間話をしている夢だった。どんな世間話をしていたか、残念ながら思い出せないが、何かとても楽しかった。早朝の床の中で、暫し余韻に浸っていたが、直ぐに寝間から出て野良着に着替え、藩邸の中の畑に出た。農作業をすることが氏安の日々の勤めになっていた。「今日も天気が良い。畑日和だ」。文字通り朝飯前の農作業を終えて、氏安は朝餉をとった。茶を一服してから毎日の朝の評定がある。

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