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時代小説「欅風」(67)氏安 御料地担当の試みを受ける

 氏安が黒書院で御料地担当の役目を仰せつかった日、利勝から次のような意外な言葉があった。

「暫く江戸城で御料地のための会合がある。藩には一ヶ月以上帰れぬやもしれぬ。あらかじめ書状を藩に送っておくように」

 氏安は内心、それほどの打ち合わせが必要なのかと思ったが、顔には出さず、

「ははっ、確かに承りました。今日の夕刻迄に送ることと致します」

 藩に書状を送った後、利勝より呼び出しがあった。江戸城の中、今迄足を踏み入れたことがない奥のところにこじんまりとした部屋があった。

 部屋に入り、利勝と向き合うようにして着座すると、直ぐに酒と料理が運ばれてきた。

「今日は貴殿のために祝いたい。御料地のお役目、ご苦労だな」

 若い女が数人入ってきて、氏安と利勝に酌をする。

 氏安はまさか江戸城内でこのような饗応を受けるとは思ってもみなかった。

「今夜は思う存分飲んで良い。酔い潰れたら隣の部屋を用意してある。そこで眠ればよい」

 酒を注がれるままに飲んでいるうちに、悪酔いし始めた。

 気がつくと氏安は布団の上に寝かされていた。まるで眠り薬を飲んだかのように朦朧としている。そして驚いたことに下帯もはずされ、全くの裸になっていた。それどころか、3人の裸の女が氏安の身体の上を動いている。女の顔がボンヤリと見えた。

「一体これはどうしたことか」と思いながら、氏安の意識はまた闇に沈んでいった。

 翌朝早朝、利勝のところに年配の女房がやってきて報告した。

「昨晩、うわごとのように氏安殿が言っていたのは、狭野藩のことでした。狭山池の水位はどうか、米の価格はどうか、江戸で絹織物を売るのだ・・・というようなところでございました。特に気になることはございません。」

「それで氏安は女に対してはどうであった」

「なすがままにされていました」

 氏安は叡基から聞かされていたことがあった。

「大事なお役目を仰せつかった者に祝宴と称して大酒を飲ませ、前後不覚にして本性を出させる、とか聞いたことがあります。あくまで噂ですが、幕府であればやりかねません」

 目が覚めた後、氏安はすぐに叡基の言葉を思い出した。

「ああ、そういうことであったか」

 しかし、不安もあった。酒に酔った時、自分が何を言ったか分からないからだ。

 昼食が運ばれてきた。部屋の中で女たちの世話を受けながら食べた。食事の後、風呂を使いましょうという女たちに連れられて湯殿に向った。女たちも着ている着物を脱いで一緒に湯殿に入り、氏安の身体を洗う。

 これらは全て利勝の指示によるものだろう。利勝はどこかで自分の様子を見ている。氏安は覚悟を決めた。されるがままで行くしかない。

 その晩は昨日に優る酒と料理が出た。女たちが数人やってきて酌をし、氏安にしなだれかってきた。酒を飲んでいる内に昨晩と同じように朦朧となってきた。

「布団に移しましょう」と女たちが言っているのがかすかに聞こえる。

 布団の中に自分がいるのが分かるが、横に誰かが寝ていてしきりに話しかけている。

「二代将軍は血も涙もない酷い将軍と思われませんか」

「二代将軍は関が原の戦に遅参した戦下手な将軍でしたよね」

「二代将軍は親の七光り」

 そう語り掛けて、「私もそう思う」というような言質を引き出そうとしているようだ。   

 氏安は朦朧とした意識の中で祈っていた。神仏の加護を求めた。

    

 次の日も同じことが続いた。

 三日三晩の饗応の後、四日目の朝、利勝が部屋にやってきた。

「堪能されたかな」

 氏安は思わず、これは一体どうしたことでしょうか、と利勝に尋ねようと思ったが、寸前で飲み込み、答えた。

「堪能させていただきました。ありがとうございました」


 それから二日後、氏安は部屋にいた。沙汰があるまで待機せよ、との指示を利勝から受けていた。部屋の中には誰もいない。氏安は瞑想の姿勢をとって考えることにした。考えることは山ほどある。

 二日後、利勝が部屋にやってきて、幕府の関西方面の御料地の書類を渡した。桑名44村以外の二箇所の過去10年間の様子を書き記したものだった。

「これからどのようにしたら良いか、思うところをまとめてみよ。二週間以内に、だ」


 秀忠が利勝と話をしている。

「氏安は酒癖はどうだ」

「大酒のみではないようです。酒に酔って人間が変るとか、暴言を吐いたり、狼藉に及ぶということもありませんでした。」

「女癖はどうだ」

「女たちがいろいろと仕掛けましたが、自分から女を抱きにいくというようなことはなく

 されるがままにしていたとか。女の経験がないのではないかと存じます」

「面白みのない男だな」

「自分自身のことについてはあまり頓着しない、恬淡とした男のようです」

「御料地2箇所についてどのような改善策を出してくるか、楽しみにしよう」


 秀忠は氏安のことを内心羨ましく思うことがある。小さな藩だが、家臣と力を合わせて

 藩を盛り立て、生き延びようとしている。人間にとって、特に、男には仕事のやりがい、充実感がなくてはならないものなのだ。仕事の大小ではない。そしてそれが男の器を大きくする。自分は義務感だけで日々の政事をしていないだろうか。心から楽しいという思いが自分には全くないのだ。そのような日々への報復のように、「ワシの心の中には人々への残酷な思いがいつも疼いている。」


 利勝は自分の部屋で書き物をしながら、氏安が今回の試験を無事乗り越えたことを喜んでいた。

「氏安は大丈夫だろう。鍛えていけば、御料地経営にとって欠かすことのできない人材になっていくはずだ。またなってもらわねばならぬ」


 波江の近くの村でキリシタンが見つかった。若い母親だった。見せしめということで処刑が行なわれることとなった。

 波江と千恵は農作業の合い間に見に行った。

 若い母親の膝の上に石が積まれている。そしてその傍に子どもが逆さづりにされていた。

 激しい拷問が続いている。役人はこのキリシタンに仲間を白状させようとしている。

 白状しないと見ると役人はさらに膝の上の石を積み上げ、子どもをあたりかまわず棍棒で

 殴りつける。母親の絶叫と子どもの激しい泣き声。

 母親が激痛のため意識を失うと水を掛ける。身体中を殴られた子どもからはもう泣き声は聞こえない。それを知った母親は最後の力を振り絞って口の中の枷を食いちぎり、舌を咬んで死んでいった。最後迄子どもの名前を呼び続けていた。


 その晩、波江と千恵は押し黙ったまま夕餉をとっていた。

 波江が絞り出すように、小さな声で言った。

「ゼウス様はどんなお気持で見ておられるのでしょうか」

 千恵は黙って波江の顔を見た。その目には涙が溢れていた。

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