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私の徒然草 第4話「高齢期こそ肯定感を持った生き方」

人によってそれぞれの生き方があるが、私が今心掛けていることは、自分の人生にかかわること、また私の人間関係の中で、全てのことに肯定的に対応するということだ。肯定的とは批判的、否定的に対応するのではなく、ありのままに肯定的に受けとめ、前向きに対応するといったら良いだろうか。キッカケになったのは自分が人と話をしている時、人の話に「だけど」「でも」「そうかな」という言葉をしばしば使っていることに気づいたことだ。これらの言葉はある意味では無意識に使っている、一種の癖かもしれない。自分がそのような言葉を使った時、相手の人はどんな気持ちになるだろうか。

相手の立場になった時、自分の気持ち、考えが受けとめてもらえていない、これ以上話しても無駄かも知れない、そんな気持ちにさせるのではないか。自分の言葉を心を込めて受けとめくれるならもっと話したいが、そうでないなら話すのは止めよう、不毛な会話を続けても意味がない。相手の言葉に対して、「だけど」「でも」「そうかな」という言葉を使うことによって、別の視点から物事を見て、広い視野で、より深く物事の意味を理解できるようにしたいという気持ちもあるが、人はやはりどこかで自分が批判、否定されたという気持ちを持つのではないか。最近「否定しない習慣」という本が出版された。

早速読んだ。否定しないということは全て認める、同意するということではない。基本は相手の話をまず心を開いて、心を込めて聞く、そして相手の存在、行動、気持ち、結果を尊重し、理解するということ。気をつけることは相手を尊重するということで、否定しないということは必ずしも全て、同意、承認というわけではない。このあたりは大人の対応、会話となる。このような「否定しない習慣」を日々心掛け、実行していくことによって自分自身の心が軽くなっていくことを実感できることは嬉しい副産物だ。そしてこの「否定しない習慣」は最終的には自分自身にも向けられる。自分の存在、行動、気持ち、結果を尊重し、理解する・・・このようなことを日々実行していくことで自分に対する肯定感が高まっていく。人は自分自身に対して肯定的だろうか、否定的だろうか。多くの人は自分に対して否定的ではないだろうか。その延長線上に、相手に対して否定的になるという気持ちが生まれるのかもしれない。高齢期は老化により、いろいろな問題が増えていくが、自分の人生に肯定的になるような意識と取り組みがほしい。自分に対して肯定的になることで、周りの人に対しても肯定的になる。その肯定感は幸せに通じる。高齢者に望みたいことはまず自分自身に対して肯定感を持って向き合い、そして周囲の人たちに対し、肯定感を持って接し、お互い、生かされていること、生きていることの幸せを伝え合うことだ。私もそう心掛けて一日一日を肯定的に生きていきたい。


(了)


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