時代小説「欅風」(17)新之助 普請現場で仕事開始
新之助は千住の普請現場に入った。大川が大きく蛇行している場所で洗掘されやすいところが普請現場だ。水の流れが絶えずぶつかるので、堰堤が抉られている。堰堤の内側の原っぱに普請小屋が何軒か立っている。端の方に大小便
の小屋がある。反対側に人足が寝泊りする大きな小屋が建てられていて、人足達が出入りしている。中央に建ってい
るのが普請奉行の小屋で、ひときわ目立つ。幕府の普請方が真ん中に陣取り、睨みを利かせている。
榊原弾正がお上の普請目付けとのことだ。
その隣に食事をする小屋が並んでいて、その隣に道具、資材小屋がある。
新之助の職場は普請奉行の小屋の中にあった。大八車で青物が運び込まれている。食堂小屋に隣接した台所で煮炊きが行われている。
現在は堰堤に行く取り付け道路の建設で忙しい。大声で人足を督励している坊主頭の人物がいる。
新之助は普請奉行の谷川重太郎に訊ねた。
「あれはどなたですか?」
「叡基と言う坊さんだ。殿が直々に頼んだ」
「坊さんが普請を?」
「そうだ。あの坊さんは土木の普請に長けているとのことだ。特に河川の普請に、な。人足達が良くいうことを聞いている」
二人の前に郷助が数人の人足を連れてやってきた。
「おお、郷助、久しぶりだな」
「戸部様。これからいよいよ合戦の始まりですだ」
郷助は村から人足を百人程連れてきていた。既に現場に入っている。これから半年間ここに寝泊りする。皆百姓だ。
そして飯場で食べる青物、土物は全部郷助の村から運び込まれる。
飯場では全部で二百人の者が働くことになる。
叡基が普請奉行の小屋に戻ってきて、言う。
「あとの百名はいつ頃現場にくるのでしょう」
「四、五日かかるとか」
「明後日は台風が江戸に近づくと聞いております。雨で大川の溢れる水がこちらに流れ込まないよう土嚢積みをしたいのです。人手がいります」
「今の百名では足りぬか」
「何とかやってみますが、手は多いに越したことはありませんので、三十名でも五十名でもお願いします」
「やってみよう」
新之助は叡基の側に近づき言った。
「戸部新之助と申します。人足の食べ物の手配をしている狭野藩下屋敷の者です。これから半年間お世話になります」
「こちらこそ。腹が減っては、戦はできません。こちらこそ、よろしくお願い致します」
「この戦は水の大軍との戦いですな」
「水の軍は手ごわいですぞ」
「叡基様は水の軍との戦いに通じておられると聞きました」
「命がけの戦いになります」
水を飲んだ後、叡基はまた現場に戻っていった。
普請奉行の小屋の中に祭壇が設けられていた。叡基は仕事の始めと終わりに祭壇の前に来て祈っていた。
風が強く吹き始めている。
叡基が現場に入る前、今回狭野藩の普請方針について幕府普請方に説明した。説明の中心は叡基だった。日本の築堤で古来から使われてきている敷葉工法を採用し、既存の堤との一体化には松の横杭を使うこと、筒状の土嚢を蛇籠と交互に使い、河川に面した低水敷は水草などで緑化する、今回築堤の基礎部に使う土は、堤の変形や乾燥収縮で割れ目が出来て水が内部に侵入した場合は膨張して割れ目を塞ぐ性質を持ったものを使うことなどを叡基は力強い声で説明した。
幕府普請方榊原弾正は質問した。
「敷葉工法については知っておるが、現物はまだ見たことがござらぬ。一度案内して貰えぬか」
「承知つかまつりました。我が藩に狭山池という敷葉工法で造られた池がございます。大坂の先で大変ご足労をお掛けしますが、よろしいでしょうか」
「構わぬ。大事な普請だ。やはり現場を見ておかぬとな」
「かしこまってございます。早速段取りいたしましょう」
第二の質問は蛇篭の設置だった。
「なぜ蛇籠を置くのだ」
「蛇篭には水草が生えてきます。水草に魚が卵を産みつけ、魚が育ちます。ヨシも植える予定です。ヨシは川の水の濁りを取り除く働きも持っています。
大川は江戸に住む人々の憩いの場所でもあります。生き物の溢れる川にしたいと存じます」
「相分かった。ところで特別の土を使うようだが、その土はどこから持ってくる予定だ?「ご指定の山から土は持ってきますが、私どもの方で少しあるものを混ぜます。そうしますと水を含むと膨張する土になります」
「何を混ぜるのだ?」
「それはご勘弁を。これは我が藩の普請方が長年研究して見つけた方法で、使う材料はごくありふれたものでございます」
「そうか。ならば聞くまい。ともあれ早速大坂行きの準備をするように。ワシとあと三人が行くことにする」
「それでは早速早馬を飛ばして文を届けるように致します。
それから、最後にお願いがあります。夕刻普請が終わった頃、多くのものに堤の上を歩かせたく存じます。撒き出した土を踏み固めさせるためです。時間としては七つを考えております。」
「騒ぎが起こらぬように注意する、ということで許可しよう」
そんなやり取りがあったことを普請奉行の谷川重太郎から新之助は聞いた。
「それにしても叡基どのは坊さんらしからぬ坊さんだ。殿が三顧の礼を持ってお願いした訳がよく分かる。丁寧至極
で、しかも言うべきことははっきり言う。榊原弾正も後で狭野藩は恰好の普請方責任者を見つけたものだ、と言っておった」
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