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時代小説「欅風」(18)普請現場 台風襲来  

 翌日は一日土嚢積みに明け暮れた。強い風が吹き始め、木っ端が舞い上がる。叡基はまず幕府普請方が居る小屋の周りに土嚢を積ませた。その後で普請現場で特に洗掘が進んでいるところに土嚢を積ませた。土を積んだ舟を横付けさせる船着場の浮き桟橋が流されないようにと何本もの綱で固定させた。

 作業が終わった夕刻、叡基は普請関係者を集め、言った。

「出来る限りのことはしました。しかし、今回の季節はずれの台風は風だけでなく、雨も沢山降らせているとついさ

っき連絡が入りました。堤が決壊する恐れもあります。それで今晩と明日の晩は交代で寝ずの晩とします。人足も半々にして寝ずの番ができるようにしておいてください。いよいよ水の軍との戦いが始まります。」


 その晩、新之助は叡基に呼ばれた。

 叡基の部屋には畳んだ布団、小さな祭壇、そして机の上には図面と紙、筆が置いてあった。

 机の下には木の端とノミが見えた。そして削りかけの木像のようなものがあった。

「叡基様。戸部新之助、参りました」

「いやいや、お疲れのところ、かたじけない」

「ところでお話とは何でしょうか」

「実はお願いしたいことがあるのです。毎日土を播き出した後、土を固める土突き作業をしていますが、それだけでは足りません。翌日土の撒き出し作業をするまでにできるだけ土を固めておきたいのです。一日中働いた人足にそれを頼むわけには行きません。そこで私は考えました。職を失って困っているもの、また孤児を五十人程集めて頂きたいのです。播きだした土の上をゆっくり歩くだけでいいのです。三回りした者には、炊き出し場で毎晩、具沢山の味噌汁と握り飯が待っています。この五十人のための青物、味噌、米を郷助の村から追加で調達してほしいのです。青物は売り物にならない形の悪いものでも、刻んでしまえば、同じです。季節の青物を使って美味しい味噌汁を食べて、また明日も来てもらう、という具合にしたいのです。」

「分かりました。今江戸では仕事を失って困っているものが沢山おります。また事故、商いに失敗した親の自殺、虐待する親から逃げてきた子供達も最近は増えています。

 味噌汁など食べ物については早速郷助に相談します。いつから炊き出しを始める予定でしょうか」

「遅くとも半月後からお願いしたい」

「承知致しました。困っているもの達がきっと喜ぶことでしょう」

「私達も助かります。世の中は助けられたり、助けたり・・・。いや助けているつもりが助けられていたり、助けられているつもりが助けていたり、ですな」

「ところで仕事がなくて困っているものを集めるというのは分かりますが、孤児を集めるというのは何か特別の理由があるのでしょうか。確かに孤児たちも喜ぶでしょうが。」

「私が孤児でした。小さな頃、農民の父親が足軽になって戦さに駆り出され、結局父親は戦死し村は敵方の領土となってしまい、母親は敵の足軽達に辱められ、舌を噛み、死んでしまいました。死ぬ前に、母は私に言いました。

『戦さの前は貧しいながら、私達の家は幸せだった。お父さんは一生懸命野良仕事をして家族も大事にしてくれた。そして私のことをいつも労わってくれた。私もお父さんに尽くしてきた。それなのにこんな辱めを受けた穢れた身体になってしまってお父さんに申し訳ない。死んでお父さんにお詫びして、そしてもし仏様のみこころなら、浄土でお父さんに会いたい。戦さが憎い。戦さを起こす偉い人達が憎い』。母は私に手を合わせながら死んでいきました」

「そうでしたか。そして、それからどうなさったのですか」

「私は人買い商人に江戸に連れて行かれ、小さな飯場のようなところで仕事をするようになりました。普請の仕事です。小さな身体でモッコを担ぎ、土を掘りました。来る日も来る日も、そんな生活をしていました」

 その時、大声が聞こえた。見張り番の一人が叡基の小屋に駆け込んできた。

「水がドンドン上がってきています。上流の方で大雨が降っているようです。このまま行くとあと六尺で堤を超えます!」

 叡基は立ち上がり、堤に向かって走り始めた。「戸部殿、御免。話の続きはまた」

 新之助も叡基と一緒に堤に向かって走った。

 叡基は堤の上に立ってジッと水の流れを見ていた。叡基の目の色が段々変わってきた。

「人足全員を起こして、土嚢を運ばせましょう。既に用意している二千個の土嚢を急いで運んでください」

 土嚢の場所から、堤の洗掘箇所迄、人足が並んで立ち、次々に土嚢を渡し、土嚢を置く者達は五十個土嚢を置くと、疲れ過ぎないようにと、交代して、土嚢の置いてある場所に駆けて行き、運び手と交代した。

堤の上の叡基が立って、土嚢の運搬状況と大川の水の動きの両方を見守っている。

 叡基は激励の言葉を皆に掛ける。

「水の軍との戦さじゃ。ワシらは勝つぞ。ワシ等は勝てるぞ。落ち着いて戦うのじゃ」

 人足達も声を上げる。「エイエイオウ」

 大川に流れ込む利根川の上流に大雨が降っているのだろう。水嵩はみるみる上がってくる。

 風も強くなってきた。強い雨が顔を横殴りに叩く。叡基の衣がばたばたと音を立てている。

「叡基様、そこに居てはあぶのうございます」

「大丈夫です。私には御仏がついています。それより、松杭を二本持ってきてください。」

 叡基は土嚢に打ち込んだ松杭に自分の身体を縛り付けた。

「こうすれば、風が強くなってきても飛ばされまい」

「叡基様」

「大丈夫だ」

 土嚢は次から次へと運ばれていく。洗掘されて低くなったところが段々高くなり、幅十五尺、長さ三十尺の補強箇所に土嚢を五段積み上げた。

 水嵩は衰えを知らず、まだ上がってくる。

 叡基は急ぎ土嚢を五百個作るように命じた。後二段積み上げるということだった。

 土嚢用の砂を積み上げた小山から掘り出し、土嚢袋に入れる作業は雨の中の作業で容易ではなかったが人足達は、堤の土嚢の上で自分を縛りつけて督励している叡基の姿を時々顔を上げて見た。

「叡基様があそこにおられる」

 明け方迄作業は続いた。途中で炊き出しが出た。具沢山の味噌汁だ。お代わり自由だ。

 人足達は二杯、三杯と味噌汁を食べ、身体を暖めた。

 水嵩の上昇がやっと止まった。

 最上段の土嚢の一つ下まで水が上がり、そして下がっていった。

 普請小屋では湯が沸かされ、人足達は熱い湯で絞った手ぬぐいで身体を拭いた。

 台風一過、晴れ渡った朝を迎えた。


 叡基は幕府普請方責任者の榊原弾正のところに報告に行った。

「台風襲来は一日早かったようです。昨晩が山でした。土嚢二千五百個を積み上げ、決壊を防ぐことができました。これで予定通り普請を続けられます」

「ご苦労だった。叡基殿の陣頭指揮振りは見事だった。しかし、余り危ないことはせぬようにな」

「お心遣いありがたく存じます。ただ土木普請は時には命がけで当たらなければならない時もございますので、お含みおきくださいますよう」

「相分かった」


 叡基は小屋に戻って祭壇の前で祈り、それからいつものように作業日誌を書くために筆をとっていた。


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