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時代小説「欅風」(35)新之助 国許に帰国 三枝・八重と再会 藩政改革推進 -その2

新之助は江戸下屋敷の上司、同僚に見送られて江戸を立ち、東海道を下り、名古屋から亀山に向かい、奈良経由狭野藩の領地に足を踏み入れた。久しぶりに見る故郷の山だ。懐かしい山々が見える。新之助は思わず立ち止まり、山に叫んだ。

「今帰ったぞ~」

新之助は狭野藩の藩庁に向かい、帰国したことと明朝登庁する旨伝えてから、三枝と八重のいる我が家に向かって急いだ。新之助の家は狭山池の近くにある。

家の近く迄来ると、三枝だろうか、家の前の畑でこちらに背を向けて、しゃがんで仕事をしている。虫を取っているらしい。新之助はその背中に向かってそっと声を掛けた。

「三枝、今帰った」

三枝はびっくりしたように振り向いた。

「あなた。お帰りなさい。」

三枝は新之助に駆けより、手拭で手を拭きながら、新之助の手を取った。

「ご無事で何よりです。道中さぞかしお疲れになったことでしょう。まずは湯あみですね。直ぐ風呂を焚きますからちょっとお待ちください。」

新之助は聞いた。

「畑は三枝一人でやっているのか?」

「ええ、そうですが」

「それにしては随分広いな。女一人の手では大変だろう」

「最初は大変でしたが、慣れました。八重も手伝ってくれますから助かっています。青物、土物は殆どと言っていいくらいこの畑で採れます」

「頑張っているんだな」

家に入ってから、新之助は座敷に座り、三枝と向き合った。

「江戸のお勤めも無事終わった。これから家族三人の生活が始まる。この五年間、離れ離れで暮らしていたが、息災のようでなによりだ。八重はどうしてる?」

「八重も今年で15歳になりました。目の方も少しづつですが良くなってきました。今は家の畑で収穫した青物、土物を私の実家の方に届けに行っています。もう直に戻ってくることでしょう」

新之助が風呂に入っていると、八重の声が聞こえた。

「母上、母上。父上が帰ってこられたのですね」

風呂場の外で八重の嬉しそうな声がする。

「父上、お帰りなさい。私の眼も随分良くなりました。湯加減はどうですか。薪を少し足しましょうか」

「八重、それは良かった。これから家族三人一緒に暮らせる。丁度いい湯加減だ。直ぐ出る。八重に江戸の土産を買ってきたよ」

「父上、ありがとうございます」


風呂から上がり、夕食の膳についた。家族三人、久しぶりの食事だ。八重は手をついて、言った。

「父上、江戸でのお勤め、ご苦労様でした。父上が留守の間、母上と二人でこの家を守って参りました」

「八重はワシが留守にしていた間に随分大人になったな。また眼も良くなったとのこと、嬉しい限りだ」

食事の前に新之助は土産を出した。

「これは八重への土産だ。江戸の中心、日本橋の有名な店のカンザシだ。八重に似合うといいのだが」」と言って八重に渡した。

八重は目を輝かせ、受け取った。

「父上、とっても素敵です。ありがとうございます」

それから三枝の方を向き、

「三枝には何が良いか随分迷ったが、着物の生地を買ってきた。最近江戸で流行っている小紋だ。気に入ってくれると良いのだが」

三枝は生地を広げた。

「きれいな柄ですこと。随分お高かったのではないでしょうか。ありがとうございます。」

食事の間、八重は新之助に次々と質問をした。若い女の子だ。流行には敏感なのだろう。

新之助は酒を飲み、食事をしながら、久しぶりの一家団欒を楽しんだ。

これがこれからの自分たちが送る日々なのだ、と思いながら。

夜半、八重が眠った頃、新之助は布団の中から三枝に声をかけた。三枝は新之助の布団の中に入ってくるや、新之助に抱きついた。」

「あなた。寂しかったわ。」

新之助は三枝を抱きしめた。

「ワシも同じだ」

「本当ですか」

「本当だとも」


翌朝、新之助は三枝に手伝ってもらい、登庁のための身支度を整えた。

「それでは行ってくる」

「お気をつけて」

藩庁に行くと、飯野家老が待っているのですぐに行くようにとのことだった。

飯野家老の部屋の前に来て座り、

「戸部新之助、ただ今帰国しました」

襖の向こうから、飯野家老の声がした。

「戸部、久しぶりだな。中に入れ」

新之助は襖を開け、膝行して飯野家老の前に出た。

「五年間の江戸詰、ご苦労だった。さて、貴公も聞いておろうが、現在当藩では根本的な財政改革を進めておる。基本は財政の柱である米の増産を進めつつ、大黒柱の周辺を支えるしっかりした脇柱を何本も立てていこうとするものだ。現在いくつかの脇柱が出来ているが、心配なのは生糸の輸出だ。今迄堺港から、また平戸から主にポルトガル向けに輸出していたが、幕府の政策が変わり、外国貿易は難しくなりそうなのだ。しかし、日本国内向けであれば問題はなかろう。そこで当藩ならではの産物をつくり、大きな市場である、江戸と大坂に販売することを計画している。江戸にはいろいろな人が住んでいる。そこでは貴公にやってもらいたいのは江戸向けの産物の開発なのだ。江戸に五年居た、貴公にうってつけの仕事ではないかな」

飯野家老はそこで言葉を区切り、新之助の顔を真っ直ぐに見た。

「戸部、どうだ?」

新之助は一呼吸置いてから、答えた。

「承知致しました。戸部、全身全霊を持って、新しい務めに励みます」

「それは良かった。それでは産物組というのを設けているので、貴公にはそこの組頭代理になって貰おう。いや、まだ組頭はいないのだ。財政研究掛りは天岡文七郎が担当している。土木研究掛は叡基殿だ。二人に貴公のことはワシから話しておく。期待しているぞ」

新之助は膝行して飯野家老の部屋を出た。同僚たちが集まってきた。

「戸部、元気そうだな。近い内に一杯やろう。江戸の話を聞かせてくれ」

新之助は藩庁の各部署に挨拶して回った。

藩庁の裏に池がある。狭山池から引いた水で作った沼だ。沼に懸った小さな橋の上で、新之助は我とわが身に言った。

「藩のためにも、三枝、八重のためにもやり遂げる。これが俺のこれからの居場所なのだ」


藩庁から戻ってくると、三枝が畑で作業をしている。

「三枝、戻った」


三枝は急いで家に戻り、茶を淹れて、新之助の顔を見た。

「今日、藩庁で飯野家老から、ワシの新しい務めについてご下命があった。産物組の組頭代理だ。重い役目だ」

「それはおめでとうございます。私も微力ながらお力になりとう存じます」


その晩は赤飯が炊かれ、お頭付の鯛の焼き物が膳に並べられた。

「母上、何かおめでたいことがあったのですね」

八重が訝しそうに三枝に聞いた。

「父上が大事な御役目についたのです。今晩はそのお祝いですよ」

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