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時代小説「欅風」(13)新之助 郷助と炉辺話その二

 炉辺での食事の後、お茶を飲みながら、郷助は語り始めた。

「近頃江戸には諸国からどんどん人が集まってきています。諸国から江戸詰めのお侍、普請のための人夫、それを目当てにした物売り。お侍、町人が使う料亭で働く者達。大変な勢いですだ。そこで最近では青物もいろいろな場所で市が立つようになりましただ。以前はワシ等も普通に青物、土物を作っていましたが、近頃は縁起がいいというので、とにかくどこよりも早く初物を、という訳で随分様子が変わってきました。こちらの百姓はあちらの百姓に負けちゃいけない、と少しでも早く市場に出せるようにしていますだ。早ければ早いほど良い値がつくということで。それはそれは凄まじいもんです。

 青物、土物の行き先は諸藩の上屋敷とか、料亭が主ですだ。江戸に住んでいる職人、小商人はそんなことより安くて味の良い青物、土物を求めますから、ワシ等は旬の時に旬の青物、土物を市場に出すようにしていますだ。値段は初物には遠く及びませんが、量も価格も安定していますし、無理な栽培をしていないので味も穏やかです。」

 新之助が口を挟んだ。

「先日西新井大師に行った際、神田の青物市場を覗いてみたが、大変な人込みだった。馬の背、天秤棒で青物、土物がどんどん運び出されていたのを見て、正直魂消た。やはり江戸は日本の中心だと思った次第だ。」

「今の江戸の胃袋はどんどん大きくなっていますだ。どこまで大きくなるか見当もつきません。」

 郷助は、江戸の胃袋が大きくなるにつれ、栽培する青物、土物の種類も格段に多くなっていることを説明した後、こんなことを言った。

「諸国から国許の青物、土物の種が江戸に持ち込まれ、江戸の土に合ったものに品種改良されておりますが、種が採れる頃になると、夜中に種泥棒が出ますだ。そろそろ種を採ろうかという時に持っていかれますので、種採りの時は寝ずの番を立てることにしていますだ。以前はそんなことはなかったもんだが」

 才蔵が聞いた。

「江戸の土に合ったものに品種改良する、と言われたが、どのようにやっているのか、もう少し詳しく説明して貰えぬか」

 「江戸の土は富士山の火山灰が降ってできたものですだ。水捌けはいいんですが、肥料持ちに問題があります。それでワシ等は毎年欅などの落ち葉を集め、米ぬか、鶏糞と混ぜて堆肥をつくり、それを土に漉き込み、土地作りをしてきましただ。そうしますと土が段々と良くなります。その土に大切な国許からの種を播き、元気に育った株から種を採る、あくる年も同じことをして、元気に育った株から種を採る、というようにして選び抜いていきますだ。根気も、観察力も求められる作業です。そうして安定して収穫できる固定種というものをつくりますだ。固定種を栽培するためには他の青物との交雑を防ぐため、栽培する場所の確保にえらく気を使いますだよ。」

 新之助が感心したように呟く。

「随分と年数がかかるものだな。」

「狭野藩様からの青物の種もそうして江戸の土に合うように、わし等が品種改良したもんですだ。かれこれ五年ほどかかりましただ。品種改良は村の者でそちらの方に明るい者達が集まって寄り合い、研究していますだ」

「研究か。田畑で仕事をするということは大変なことなのだな。郷助たちのお陰で我々は前菜畑で青物の栽培ができるということか。」

 才蔵は郷助に目を向け、軽く頭を下げた。

「以前はもう少しゆったりと野菜を作っていましただ。しかし最近は出荷時期も価格も量も競争が激しくなってきました。わし等もしっかりとした心構えで青物の品種改良に取り組んでいかなければならない、そう思っていますだよ。」

 

 焼き栗を食べながら今年の村の米の収穫を郷助に聞いた。天気の異常もなく平年作だったが、青物の方は虫が出て特に葉物はやや不作とのことだった。新田開発で雑木林が無闇に伐採され、鳥の棲家が減ったのが影響しているかもしれないと郷助は、暗い顔をした。


 郷助からは冬は普通畑を休ますものだが、冬でも青物の種を播き、収穫するやり方を教えてもらった。

「高田様には郷助からこんなやり方を聞いたとお伝えくださいな」


 最後に狭野藩下屋敷のこれからの作付けについては改めて参上するとのことで炉辺での話は終わった。タケ、孝吉、次郎太が見送りに出てきた。

 月が明るい晩だったが、郷助が提灯を三つ用意して、新之助と才蔵を下屋敷まで送ってくれた。別れ際、郷助から高田様にということで、土産を渡された。かしわめんどりの照り焼きが入っていた。

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