top of page

時代小説「欅風」(23)狭野藩国許の不作  叡基千住大川で奮闘

 狭野藩の稲作は夏の長雨のためかイモチ病が流行り、例年を下回る不作となった。氏安は飯野家老から報告を受けた後、しばらく考え込んだ。領民を飢えさせてならない、これが第一だ。

 狭野藩は四公六民政策をとっており、藩の財政状況も一段と厳しくなる。しかし切手を財政の赤字補填のために使うことは許されぬ。切手の発行は庄屋、米商人の協力の裏づけだ。米不足は庄屋、米商人の協力に水を差す恐れがある。

 氏安は飯野家老に「厳しいのう。だが何とかせねばならぬ。試練は我らにとって後々宝物になるであろう。知恵者を集め、知恵を絞らねばならぬ。天岡文七郎を呼んでくれぬか。そちも一緒に考えてほしい」と伝えた。飯野家老が退席した後、氏安は法全和尚の言葉を思い出した。

「苦しい時、いやもう絶望だと思うような時にこそ、にっこり微笑む、ということです。にっこり微笑めば自分にも周りの者にも余裕が生まれ、少しづつ良い方に必ず向かっていきます。」

 そして最近氏安は、故法全和尚の後任、厳光和尚から袋と一巻の書籍を受け取った。厳光和尚の手紙にはこう書いてあった。

 法全和尚から、氏安様が次の大きな試練に出会われた時に、この書物、三国志演義を渡すようにと言付かっておりました。

 袋の中の法全和尚の手紙にはこう書かれていた。

「特に諸葛孔明の生き方を参考にしてください。孔明はどのような難局と見えるようなことがあっても「少しも困らない」指導者でした。なぜそれができたか、氏安様ご自身で突き止め、難局を乗り越えてくだされ」と。

 氏安はそれからむさぼるように読み始めた。まず分かったことはどのような時も「全局を見る」ということだった。


 飯野家老に伴われて天岡文七郎が部屋の前に来た。

「入ってもよろしいでしょうか」

「待っていたぞ」

 襖を明け、にじり寄って顔を上げた時、文七郎は氏安が少し微笑んでいるように感じた。

「これなら胸の裡を腹蔵なく申し上げることができる」

 氏安は文七郎の目を見ながら言った。

「切手の引き受け状況については飯野家老から聞いている。何分初めてのこと故、いろいろと苦労も多いことであろう。今回の切手発行は大川の堰堤工事の資金を工面するためであったが、最近私は思うのだ。この度の大きな試練はわが藩の民全体の底力を引き出すまたとない絶好の機会ではないか、と。わが藩の経済は米だけに頼っていてはならない。米以外のものを生産する力を引き出し、高めたいのだ。そうすればわが藩の経済的力は強靭なものになっていく。そればかりではない。このような試練を藩の武士、庄屋、商人、職人、農民が皆心を一つにして、力を合わせて乗り切るならば、精神の新しい美風も培われることとなろう」

「仰せの通りでございます。そうなれば藩全体が元気付くことになりましょう。さて米はその年、その年の天候によって収穫量が大きく変わって参りまする。今年は冷夏というのでしょうか、日照がいつもの年に比べ少なく、それが稲の開花ともぶつかりました。米は藩の経済の大黒柱です。しかし大黒柱だけでは十分ではありません。その大黒柱と共に屋台骨を支える脇柱が必要です。」

「そうだ。どんな脇柱が良いかの」

「私が今考えていますのは、今年の米の不作を直ぐに補うことのできる脇柱です。一つは稲藁を使った草鞋です。これを北海道の松前藩の漁師に売ります。ご存知のように松前藩では米が取れませぬ。そのため草鞋の材料に事欠いています。ニシン漁の漁師は船の中で滑らないしっかりした草鞋を求めていると北前回船の船長から聞きました。わが藩は、米は不作でしたが、稲藁は不作ではありませんでした。この稲藁を使ってニシン漁師用の草鞋と蓑を作って売りたいと思っております。草鞋一つを十文としますと、わが藩の農民五千人が一日、一つの草鞋をつくれば五千足の草鞋が出来ます。一日五十貫文、すなわち八両、三十日にして二百四十両という富が得られます。ニシン漁が始まる前に試作品を漁師に使わせ、これがいいという草鞋に仕上げて晩秋から冬にかけて北前船を通じて売りたく存じます。

 二番目は米ヌカのボカシです。わが藩には泥のような石炭があります。昔は草木だったものが土の中で腐らないで炭化したもので、腐植質に大変富んでおります。農民がこの泥炭を掘って畑で使っております。掘れば段々なくなって参りますが、最近山の調査を行い、新しい泥炭層が埋蔵されている場所を見つけました。泥炭をそのまま売るのではなく、泥炭に米ヌカを混ぜて、米ヌカボカシとします。三週間もすれば発酵が終わり、四週間後から出荷できます。

 これを一斗五十文で近隣の藩に売ります。一日千斗作れば五十貫文即ち八両、一万斗作れば八十両となります。米の不作は米の副産物でまずは補いたいというのが私の考えです。ニシン用草鞋と米ヌカボカシで併せて三百二十両となりますが、これではまだまだ足りませぬ。幸いなことに以前から取り組んできました蚕の卵、生糸の輸出もここに来て伸びてきており、この分が大よそ千両となりますので、これらを併せますと今年の米の不作による財政不足は乗り切れるのではないかと考えております。なお切手は貿易で銀が増えてくる迄は、引き続き米を裏づけとし、裏づけ以上の切手は発行いたしませぬ故ご安心ください。」

「文七郎、貴方はまことに堅実じゃ。早速二つの話を進めるが良い」

「承知いたしました。それでは早速とりかかります。」

 文七郎はこころの中で呟いた。

「もとより易きことではないが、大川の堰堤工事で叡基殿も困難な仕事をしている。殿、拙者も頑張りますぞ」

 庄屋の平清次郎の後、まだ切手の引き受けが進んでいない。藩の中では文七郎に対し、批判がないわけではない。

「天岡殿は新しきことを考える才があるが、どうも考えが地についていないのではないか。今回切手の引き受けがなかなか進まないのは、どこかに無理があるからだ」

「藩の貯蔵米が日毎に減ってきているのは天岡殿も知っているはずだ。切手と引き換えに提供される米も場合によっては手をつけなければならない時もあろう。天岡殿はどうも硬すぎる」

 自分を重用してくれる殿のためにも早く実績を出すことだ。急がねばならぬ。

 文七郎は足を運び、誠心誠意頭を下げる。それを近頃心がけている。不思議なことにそれが自然にできるようになってきた。

 文七郎は自分のそのような変化に思わず苦笑する。

 以前の自分にはとても出来なかったことだ。

 

 大川の堰堤では、叡基が大きな声で指示を与えている。現在の堰堤の後ろに新しい堰堤を築き、その後で新旧の堰堤に松杭を下の方から順々に、横に打ち込む作業が始まっている。

 両側に打ち込んだ松杭の下に土を播き出し埋めてから、松杭のそれぞれにホゾをつくり、両方の松杭を繫ぐ松の幹を渡し、ホゾに打ち込む。

 雨が降る時は通常作業は中止するが、少々の雨では作業を止める訳にはいかない。足元が滑りやすくなっている。叡基が良く通る大きな声で、名前を呼んで注意している。

「太助。草鞋に滑り止めの縄を巻き付けよ。怪我をしてはならぬ。自分の周りの者に注意を払うのだ。疲れてきたら

休め。無理をしてはならぬぞ」


 作業は順調に進んでいる。

 土木作業では人が事故で死ぬのは止む得ないとされているが、叡基はそうは考えていない。

「自分の現場では一人も死人を出さない。私は大事な人の命を預かっているのだ。」


 ある早朝、男の子と女の子が藩の普請小屋に来た。

 男の子がこう言った。

「俺達、夕べここに来て土手の上を歩いて、味噌汁と握り飯を頂いています。ちゃんとした食事ができるのはその時だけです。お願いです。ここで雇って頂けませんか。もうどこにも行く当てがないんです」

 普請方の者が答えている。

「ここは大人が働くところなんだ。危ない場所なんだよ。可哀想だが雇う訳にはいかないな。他に行くんだな」

 話を聞きつけた叡基が外に出てきた。

「他に行くところがなくてここに来たのだろう。水汲みとか厠掃除に使ってみたらどうだろう。仕事が忙しくなって手が回らなくなっていますから。」

「叡基様がそう仰るなら、それで良いと思います」

 叡基は二人に声をかけた。

「今日から働けるかな。井戸からの水汲みと厠掃除だが、それで良いかな。楽じゃないぞ」

 二人は答えた。

「ありがとうございます。何でします。モッコだって手の足らない時はお手伝いします」

 叡基はにっこり笑って、

「そうか、それではそのうち頼むことにしよう。まずは水汲みと厠掃除だ。私の隣に小さ

な小屋を建てるので、そこで寝起きするように。大人達の作業の邪魔にならないようにす

るんだよ。名前は何て言うんだ」

「俺は元吉、この女子はおしのです。一生懸命働きます。本当にありがとうございます」


 叡基は人買い商人に売られ、普請場でモッコ担ぎをしていた子供の時の自分の姿を重ね併せていた。

最新記事
アーカイブ
bottom of page