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時代小説「欅風」(38)次郎太と孝吉 品種改良に取り組む

次郎太の住んでいるところでも新田開発が盛んに行われていた。雑木林が伐採され、新田に変わっていった。丘の下草は見境なく刈られ、緑肥として新田の土に鋤きこまれていった。そのため木も枯れ、禿山になっていった。

「兄やんも心配していたが、このまま新田の開発が進んでいったら一体どうなることやら。鳥が減ったせいか、最近は虫が矢鱈に増えてきて、作物に悪さするようになっただ」

囲炉裏端で夕餉の後、次郎太は呟くように言った。

孝吉は囲炉裏の火を見ながら次郎太の呟きに頷いていた。

「あんにゃ。これからどうなっていくんだろう。親父の考えでウチは新田開発には出ていかなかったが、これで良かったのだろうか。ウチの周りの農家は最近実入りが多くなったとのことで金回りもいいって聞いているだよ」

「孝吉。兄やんの考えは間違っていないと俺は思っているだ。新田の開発に目の色を変えているが、そのため今迄の田圃の手入れが十分できなくなっている。働く人数は限られているから、手を広げると結局万事雑になる。豊かになるのは俺達の願いだが、やはり身の丈に合った豊かさが大事だと俺は思う。田圃も畑も身の丈に合った広さというものがあると思うだ。これからは広さよりも同じ面積でもっと収穫を上げることを考えていくことが大事だ。孝吉、そのためにはどうしいたらいいだ?」

孝吉は暫く考え込んでいたが、こんなことを言った。

「あんにゃ。俺は二つあると思うだ。まず一つは稲を害虫から守る。もう一つは米粒がもっと多くつく稲の種類を見つけて品種改良する。」

孝吉は研究熱心な郷助の血を引いている。郷助は限られた収入の中から農事関係の本を買い求め、研究していた。孝吉はお前も読んでおけ、と父親から言われていた。

「孝吉、それはお前の考えか」

「うんにゃ。親父の本の中から俺が『そうだな』と思ったことで、俺の考えという訳ではないだ。」

「そうか。ところでその二つを進めるためにはどうしたら良かんべ?」

孝吉は考えあぐね、黙っていた。

次郎太は優しい眼差しを孝吉に向けながら、

「孝吉。俺の話を聞いてくれ。これからの時代、世の中は米づかいが中心になる。米の値段によって他の物価が決まるようになる。米が一番大事な作物になるだよ。だから米の栽培に力を入れなければならないだ。しかし米ほど天候不順に弱いものはない。ところで俺が知る限り、稲の栽培法はその土地とか気候条件によってやり方はいろいろあるだ。俺たちのところ、ここ足立村には村のやり方があるはずだ。しかし、孝吉。作物の品種改良というのは時間がかかり、費用もかかる。兄やんもそれで苦労してきたんだ」

孝吉は次郎太をまっすぐ見ながら、次の言葉を待っていた。

「孝吉。品種改良は俺とお前のこれからの仕事なのだ。兄やんは手足が不自由な人達のために義足、義手、そして車椅子をつくっている。儲けるためでない。相手は俺たちと同じようにその日暮らしの農民だ。もう一度働けるように助ける道具を兄やんは夜なべ仕事までしながら作っているだ。最近は注文の数も増えてきているから、兄やんは疲れているだ。だから俺たち二人で兄やんの農作業の分も引き受け、そして今迄以上の収穫を上げたいと思っているだよ。」

「おっかさんも親父の身体のことを心配しているだ。だども親父の代わりに義足、義手、車椅子を作れるものがいない以上、あんにゃの言う通りだ。俺ももっと親父の助けになりたい、心底そう思っていただ。」孝吉は顔を曇らせて言った。 

「孝吉。よく言ってくれた。俺の案を話そう。さっきも言った通り品種改良というのは時間がかかり、費用もかかるものなのだ。今年やって来年は止めた、ということではものにはできない。五年、十年、二十年、場合によってはそれ以上かかる大事業なんだ。この際だから話しておこう。今俺たちが食べている米を初めとした作物とか青物、土物は殆どが外国から来たものなんだ。

稲、アワ、ヒエ、サトイモ、ソバ、大豆、牛蒡は大昔中国から、それから天皇の御世が始まってからは小麦、大麦が入ってきた。そして奈良、京都に都があった時代にキュウリ、ナス、芥子菜、カブ、葱、エンドウ、ソラマメ、ダイコン、紫蘇、茶、ゴマ、コンニャク、ニンニクが入ってきただ。サツマイモ、唐辛子、カボチャ、ニンジン、玉ねぎ、西瓜は戦国の時代から最近になって入ってきたものだ。最初は皆、外国の作物、青物、土物だったんだ。それを日本の土と気候に合うように俺たちの先人が苦労しながら品種改良して、今日に到っているだよ」

孝吉は目を輝かしながら聞いている。

「俺たちのここ足立村の田圃は荒木田、畑は土、黒ボクと赤土が混ざっている。土に合った、もっと良い米をつくり、もっと良い青物、土物を作っていくだ。 そのために孝吉に頼みたいことがある。一つは栽培の記録を毎日付けること。それから 数字で変化を掴むために加算、引算、割算、掛算の勉強をしてほしいのだ。和算は俺が教える。孝吉、どうだ。俺と一緒に苦労してくれるか?」

「次郎太あんにゃ。やるだ、やるだよ」孝吉は叫ぶように答えた。

「孝吉。ありがとうよ。これで俺も馬力が出てきただ。そして俺は品種改良という長期戦を戦い抜くために仲間を集める。作物とか青物、土物の品種改良の機会は 一年に一回しかない。俺たちだけだったら、一回の結果しか得られない。五人集まれば 五回の結果が分かる。それだけ品種改良を早く進めることができる計算だ。孝吉、俺は四人の仲間を集めて講をつくろうと考えている。農事研究を目的とした念仏講だ。こんな仕組みを考えた。聞いてくれるか。毎月五人が集まる。その時、一人百文を持ち寄る。五人で五百文だ。自分達の品種改良の活動のために二割を差し引き、貯めていく。一年で一貫文と二百文となる。これを品種改良の元手とする。残った八割は特に貸出しが無ければ毎月繰り越していく。一年と三ヶ月で一両となる。

家族の病気などでまとまった金が必要になった時はその当人が二朱の利子を前払いして

三分と二朱を借りる。何も支出がなければ一年と三ヶ月毎に順番で一両を受け取ることができる。また月一回の念仏講の時は仲間がそれぞれの品種改良の様子を伝え合い、また外から入ってきた役に立ちそうな話も分かち合う。そんな講の仕組みを考えているだ。」

「あんにゃ。難しいことを考えているだな。まだ俺の頭ではそこまでいけないだよ」

「孝吉。何か新しい仕組みをつくる時には数字が必要となるだ。これから和算を俺が教えるからしっかり頭に入れるだ。必ず役に立つからな」 

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