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時代小説「欅風」(37)波江 琵琶法師に出会う

波江と千恵は夕方、その日収穫した青物、土物を背中の籠に入れて町中に行商に出た。

人の目には親子に見えたことだろう。波江は歩きながら「今日取った新鮮な青物ですよ~。お安いですよ~」家々の水屋の近くに立ち寄り声を張り上げた。波江にとっては何分初めてのことで緊張していたのだろう、張り上げたつもりだったが、声がかすれていた。何軒も立ち寄ったが、誰も声をかけてくれず、買ってくれる客はいなかった。暗くなると物騒なので、一つも売れなかったが、帰ることにした。

「千恵ちゃん、背中の荷物重いでしょ?」

「ううん、大丈夫だよ。今日は一つも売れなかったけど、おばちゃん、とてもいい声しているんだね。明日はきっと売れるよ。千恵も頑張る」

家に帰り二人で手早く夕餉の準備をした。

「今日は一日中頑張ったから、少しご馳走にしようね」

波江は卯の花煎りをつくることにした。

千恵はニンジンの葉の醤油ひたしをつくりたい、と言う。「お百姓さんはニンジンを収穫する時、葉っぱをちぎって畑に捨てるの。お母さんと私は捨てられた葉っぱを頂いてきて、どんな食べ方があるか、お母さんはいろいろ試していたわ。今晩はお母さんがよく作ってくれたニンジンの葉の醤油ひたしを千恵はつくります。いいですか、おばちゃん」

そういえば千恵は今朝の農作業の時、収穫したニンジンの葉を捨てずに笊の中に入れていた。千恵はニンジンの葉の他に何枚か雑草のような葉も用意していた。

「千恵ちゃん、それはなあに?」

「おばちゃん、これは雑草です。でも食べられる雑草なの。この雑草は少しゴマの味がするの。これを加えるとニンジンの葉のゴマ風醤油ひたしができます」

「千恵ちゃん、作って。お願いします」

二人は3人分の夕食をつくり、千恵の母親に声をかけてから食べ始めた。

「千恵ちゃん、このニンジンの葉のおひたし、とても美味しいわ。これから我が家の献立に加えましょう」

「おばちゃん、卯の花煎りってとっても美味しいね。元気が出てきたみたい」

「そうだ、今度お豆腐さんの前を通ったら、青物と引き換えに卯の花を頂くことにしょうね。千恵ちゃんにも作りかた、教えてあげるわ」

夕餉の後、波江と千恵は明日からの行商のことについて話合った。

「町中の行商に出るのはやはり緊張したわ。おばちゃんはこんなこと、今迄やったことが無かったから。」

「おばちゃん、私二つのことに気がついたの。一つは行商の時間よ。もう少し早い時間に行った方がいいかもしれない。今日の時間だと夕餉の準備でおかみさんたちはもう忙しくなっていたのではないかしら。もう一つは売れ残った青物、土物のこと。ダイコンもカブも葉は痛みやすいから浅漬けにして売ったらどうかしら。ご飯に混ぜれば直ぐに菜飯ができるわ。」

「千恵ちゃん、すごいね~。実はおばちゃんも行商に行くのは少し遅かったんじゃないかと思ったわ。次からは半刻早くしてみようか。どんな時間で回ったら一番いいか、いろいろ試してみようね。春夏秋冬、それぞれの季節毎にいつ回ったらいいか、この時間、というのがきっとあるはずよ。

それから浅漬けだけど、早速やってみよう。塩を振って3日もすれば、葉の塩漬けはできるわ」

そして千恵は少し考えてからこんなことも言った。

「おばちゃん、私にも売り声を上げさせてください。お客さんは子供も青物、土物を売っていると声をかけてくれるんじゃないかと思うの」

「千恵ちゃん、大丈夫?」

「大丈夫です、私にもやらせてください」


翌日波江と千恵はいつものように早朝から自分の畑での作業の後、畑の直売所で青物、土物を売った後、慈光和尚の畑の手伝いをした。昼食後、京太、菊枝の農作業の手伝いをし、それから行商に準備をして、休憩取らずに昨日よりも半時早く家を出て、町中を歩き始めた。

波江は、昨日と同じように売り声を上げた。

「今日取った新鮮な青物、土物ですよ~。お安いですよ~」

声はかからなかった。

千恵は波江に聞いた。

「私も売り声を上げていいですか」

「千恵ちゃん、お願いするわ」

千恵はよく通る声で売り声を上げた。まるで歌声のようだった。

「お母さんと一緒に青物、土物をつくっていま~す。この青物、土物を食べたら元気がでま~す」

勝手口が開き、声がかかった。

「親孝行な子だね。それじゃ一本ダイコンを貰おうかね。二人ともこの辺では余り見掛けない顔だけど最近始めたのかい?」

「はい、そうなんです。ここから半里先のところで青物、土物を作っています。毎日回ってきますので、今後ともお声をかけてください。今日はありがとうございます」

二人はそれから一時、町中を歩いた。

背中の籠に入れてきた青物、土物が半分ほど売れた。

帰り道、波江は千恵に言った。

「千恵ちゃん、ありがとう。千恵ちゃんのお陰だわ。そして私のことをお母さんと言ってくれたのね」

「おばちゃんは私の二番目のお母さんだから。少しは役に立てたみたいで千恵も嬉しいです」


次の日は雨だったが、波江と千恵は蓑を着け、町中に行商に出た。雨のせいか、なかなか売れず、通りかかった豆腐屋に立ち寄り、青物、土物を渡し、卯の花を分けてもらった。雨の中を歩いていると、小さな家の中から琵琶の音と声が聞こえてきた。


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす、奢れる人も久しからず、唯春の夢のごとし。・・・」


波江は思わず立ち止まり、琵琶の音と語りに耳を傾けた。昔、平戸の方にも琵琶法師が来たことがあったが、その時には若かったせいか、よく分からなかった。

琵琶の音が止み、家の中から声が聞こえてきた。

「どなたかおいでか、何か用事ですか?」

波江は答えた。

「青物、土物の行商をしているものです。琵琶の音と声に思わず立ち止まり、聞いておりました。失礼致しました」

と言って立ち去ろうとすると、

「そうですか、今日は何を持ってきていますか」

「今日はダイコン、カブ、ニンジン、青菜、葱です」

「それではダイコンと葱を一本づつ」

波江は盲目の女琵琶法師の手にダイコンと葱を渡した。

「今、平家物語の稽古をしているところです。これから「木曾最後」をやりますが、お聞きになりますか」

「よろしいのでしょうか。是非お聞かせください」

波江と千恵は琵琶法師の前に正座して、聞き入った。義仲と巴御前の別れのところで波江は涙を抑えきれなくなっていた。

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