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時代小説「欅風」(52) 新之助 店勤め

萩屋の主人、徳兵衛から新之助に萩屋で仕事をするにあたって話があった。

「戸部様の店でのお名前はお客様の手前もありますから、失礼かと存じますが新蔵とさせて頂きます。急ぎの時は新さんとお呼びすることもあろうかと思います。いかがでしょうか。立場は番頭の繁蔵の付き人ということでお願いします。毎日の仕事は繁蔵の指示に従ってください。繁蔵は律儀で商売熱心な男です。丁稚の時から私が手塩にかけて育てた番頭です。仕事は店先で売れたものの補充です。裏の蔵に良く売れるものを在庫していますので、店先と蔵の間を行ったり来たりして頂くことになります。食事は朝と昼と夜の3回です。店の者と一緒にお食べください。このような仕事ですから、食事の時刻は決まっていませんが、お客様の混み具合を見て、番頭さんと相談しながら食べる、ということでお願いします。いろいろ勝手が違うかもしれませんが、戸部様ならきっとお出来になると思います。」

新之助は萩屋の2階に寝起きする場所をあてがわれた。

ある朝早く萩屋を出て、新之助は町の様子を知るために近所を歩いた。呉服町から少し歩くと日本橋がある。早朝だというのに人通りが多い。日本橋の手前に開けたところがあり、左側に高札が立っていた。右側には青物と根物の市が立ち、人が大勢集まり賑わっている。

日本橋を渡り、室町通りを歩いていくと右に本小田原丁、その先に瀬戸物町があった。

更に歩いていくと右に入る細い露地があり、小じんまりとした稲荷神社が見えた。

神社の鳥居をくぐって新之助は手を合わせて祈った。

「これから荻屋で一年間勤めます。どうぞご加護がありますように。また故郷の三枝、八重を今日もお守りください」

室町通りを戻ってきた時、本小田原丁の魚屋の威勢の良い声が聞こえてくる。江戸前の魚介類が運河を通ってきた舟から次々に運び上げられている。日本橋を渡り、青物と根物の市場を覗いてみた。人だかりが凄い。売る方も買う方もまるでけんか腰だ。

その時、新之助はふと運河の傍ら、蔵屋敷の前に立っている高札を見た。キリシタン禁教令だった。高札には火炙りの処刑を受けている大勢のキリシタンの絵が貼ってあった。

新之助は以前幕府から狭野藩に「国々御法度」が伝達された時、その中に家臣団の中にキリシタンがいないかどうかの調査を指示する文面があり、家臣全員が調査を受けたことを思いだした。氏安は「これからは、キリシタンにとっては誠に厳しい時代になるであろう」と言って粛々と調査を実施し、幕府に報告した。

新之助は心の中で呟いた。

「秀忠様はこれから必ずやキリシタンの大弾圧を行うに違いない。隠れキリシタンの発見のために密告も増えることだろう」

呟いた後、新之助はなぜかふいに波江のことを思った。

「波江さんは大丈夫だろうか」

急いで店に戻り、朝の挨拶をした後、雑穀米の飯、味噌汁、大豆とヒジキの煮物、タクワンの朝食をとった。店で働いている者はアッという間に食事を終える。

店を開ける前に全員集まって番頭に合わせて萩屋商い十訓を唱和する。

1.お客様が店先に来られた時は、にこやかに挨拶すべし

2.お買いものの多少によらず丁寧に応接すべし

3.お買い物無く店を出るお客様にも愛想良く声をかけるべし

4.店の中では私語を慎むべし

5.お客様の言葉には忍耐を持って接すべし

6.店の中では木綿ものの簡素な、こざっぱりとした衣服を着用すべし

7.毎晩店内全員の人数を改め、印を集めるべし

8.博打、賭け事の類に手を出さざるべし

9.呉服物品々については日々知識を磨くべし

10. 有言実行を旨とすべし

店を開けると待ちかねたように客が入ってくる。萩屋では呉服物品々として足袋、帯、襦袢、肌着なども扱っている。

繁蔵の傍らに座っている新之助に次々に指示が出る。その都度、新之助は蔵の方に走っていった。蔵のどこに何が仕舞ってあるか、憶えたつもりだが、急いで探すとなるとなかなか見つからない。繁蔵が苛立って待っている。

繁蔵が遠慮なく言う。

「新蔵さん。もう少しテキパキ持ってきていただけませんか。お客様をお待たせしてしまいました」

夕食の後、徳兵衛が新之助に声をかけてきた。

「ちょっとお茶でも飲みませんか」

徳兵衛の部屋に入り、新之助は思わず言った。

「どうも足手まといになっているようで申し訳ありません」

「いやいや良くやってくださっています。誰でも初めは勝手が分かりませんから当然です。段々慣れていかれますよ」

そして本題に入った。

「商人はよく『なににつけても金のほしさよ』と言いますが、利を得なければ仕事を続けられませんし、また日々の生活も叶いません。細かい利を日々積み重ねていくのが商いでございます。そのためにはお客様にどうしたら買っていただけるか、日々勉強と工夫が大事です。日によっては殆ど売れないという日もあります。そこが商いの難しいところでしょうか。毎日が忍耐です。売れない日の次の日、沢山お客様が来られて、てんてこ舞という時もございます。私も長年商いをしてきましたが、商売の難しさ、深さ、怖さを日々思わされているところです。商人は店が傾いて没落することを何よりも恐れているのです。没落した店の主人一家の惨めな生活はそれはそれは酷いものです。

ところで新之助様には、お客様がどのようなものを好んで買っていかれるか、是非記録を取って頂きたいと思うのですが、やっていただけますでしょうか」

新之助は何か徳兵衛に考えのあることと思い、即座に答えた。

「承知致しました」

それから一ヶ月、新之助は繁蔵とお客の話に耳を傾け、繁蔵が次に何をお客に見せようとしているのか、お客が何を見たがっているのか、察知しようとした。ただ繁蔵の指示を待つだけでなく、いろいろな可能性を考えながら、そして「あれはあそこ」と見当をつけながら、待つようになった。

繁蔵が褒めたものだ。

「新蔵さん。蔵出しが早くなりましたね」

そして三ヶ月。店と蔵の間をテキパキと往復している新之助の姿があった。

新之助は毎朝早く起きて、蔵の中に納めている商品を箱毎に一つ一つ在庫を確認した。夜は寝る前に今日の販売実績を、走り書きを見ながら帳面に書き記した。販売実績の数字を見ているといろいろな発見がある。気がついたことを帳面の余白に記した。

四ヶ月目に入った時、徳兵衛が新之助に思い出したかのように聞いた。

「お客様はどのようなものを好んで買っていかれたのでしょうか」

新之助は手作りの表を徳兵衛に見せた。

「新之助様、さすがでございますな」と頷き、指でなぞりながら、数字を確認していた。ちょっと考え込むような表情を見せた後で言った。

「古着が少し減ってきています。お客様の懐具合が良くなってきたのでしょうか、新しい木綿の着物が増えてきています。おやおや幅が広めの帯が良く売れていますな」

徳兵衛はそれ以外のことにも気付いたのだろうが、後は頷くばかりで言葉にはしなかった。

新之助は狭野藩江戸家老宛に報告書を書いた。

「萩屋でのお勤めでいくつかのことが分かりました。思いつくままご報告します。

1.戦のない平和の世になったためでしょうか、江戸の人々は落ち着いて生活しています。 

  物の流通が増えてきたためか町に活気があり、町人の懐具合も良くなっているようです。

2.萩屋のお勤めで気がつきましたことは、これからは町人相手の商いが大事かと思います。小さな商いですが、毎日のことですので、チリも積もれば山となります。

大名売りは売り掛けが半年、あるいは1年となりますので、大口ですが、金が入って来る迄随分とかかります。


3.町人の中には少し贅沢したいという向きも出てきていますが、絹の着物というお客様はまだ限られています。今は品質が良く、模様が斬新な木綿の呉服が好まれているようです。


1. 商人は売れるものでなければ扱いません。売れるものをつくる、このために知恵を絞ることが肝要かと存じます。


5.最後に萩屋でお勤めしていて感じていることは、商人の忍耐強さと勤勉さです。また研究熱心なことです。店に出ている時はお客様に笑顔を絶やしません。


新之助は報告書の最後に、萩屋商い十訓を書き添えて報告書を締めくくった。

報告書は徳田家老宛に送られ、そのまま他の便と一緒に狭野藩の藩庁に転送された。

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