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時代小説「欅風」(6)青物問答・その二

 高田修理は郷助に声をかけていた。

「いつも済まんな。助かる。殿が前裁畑の青物、土物を楽しみにしておられる。先ほど梅雨時の青物の病気に気をつけるようにと言っておったが、今年は特にナメクジが多いようだ。それに葉の表面に多角形の黄斑が出てきておる。ナメクジは見付け次第取り除いておるが、黄斑の出た青物の方はどうしたものかな」

「高田様、ナメクジは夜分に活動しますだ。青物組の皆さんには夜なべ仕事になりますが、いちどきに残らず取り除いて頂ければ、と存じます。黄斑の出たものは取り除いてください。雨の跳ね返りを防ぐため、株と株の間にも稲藁を敷きましょう」

「郷助が何かと気付かせてくれるので、この下屋敷の青物組の面々は熱心に野良仕事に取り組んでおる。郷助、礼を言うぞ」

「勿体無いお言葉で」

「それでは」

「稲藁は孝吉に後で運ばせますので、どこか雨に濡れないところに仮置きしておいてくださいまし」


 藩主、氏安の藩政方針の第一と第二に、

 武士は領民の師となり友となるべし。

 武士もその家族(妻、子弟)もすべからく農作業に励むべし。

 とある。狭野藩江戸下屋敷でもこの藩政方針を実行に移していた。郷助の息子、孝吉が重い病に罹った時、庄屋の森下仁左衛門から高田修理に相談があり、江戸家老の徳田伴四郎に上がった。徳田家老はすぐに下屋敷に出入りしている医師の佐野善道に連絡し診察に行かせた。

 治療の甲斐があり、孝吉は二週間ほどで快癒した。一時は命も危ぶまれたので、一人息子の回復に郷助の喜び様は格別だった。隣近所に「ウチの孝吉が元気になっただよう」叫ぶように伝えて回った。

 郷助は高田修理にお礼の米、青物を持ってきた。

「この度は誠にありがたく、何と申し上げたらよいか。わし等百姓のために、こんなことまでしていただけるなんて・・・」

 郷助は涙を流しながら、高田修理を見上げた。

「我が藩の今の殿様は、武士は領民の友となるべし、と言われた。病気、災害の時に領民を助け、護るのが我らの務めである、と。この度は孝吉の病気であったが、橋が流された時、山崩れなどで道が塞がった時なども急ぎ伝えてもらいたい。早速出動する。我が藩では土木技術に長けた者がおるでな。遠慮せずに言ってくれ」

 郷助はそれ以来、狭野藩江戸下屋敷に出入りするようになった。


 今日のお勤めが終わった後、新之助は才蔵に声をかけた。

「良かったら拙者の部屋で一杯やらんか」

「たまにはいいな、そうさせて貰おうか」

「今朝、おぬしが最初に質問するとは思ってもみなかった」

「新之助、俺は近頃少しづつだが、気分が変わってきている。いい方向にだ」

「何か、きっかけがあったのか」

「あった。先日畑の雑草を抜いていた時のことだ。今迄は雑草など本当に邪魔物と、只ひたすら引いていた。ところがその日は雑草を抜きながら、この名もない小さい草もひたむきに生きようとしている。明日は竃でくべられるような草もきれいな花をつけ、命を繋ごうとしている。そのことに気づいたのだ。・・・それなら俺も名もない草でいい。今与えられている命を精一杯生きよう、そう思えた。そうしたら何だか、肩の力が抜けて、元気が湧いてきたのだ」

「おぬしは狭野藩の将来を背負って立つ人材と目されてきた。今でもそうだろう。ここ数年、気の病のため、いろいろ失敗もあり、今はおぬしにとっては不本意な仕事についているが、人生早めにいろいろ経験した方が良いのかもしれんぞ。人生、失敗でも後で必ず役に立つ。俺はそう思っている。もっと言うと失敗したり、挫けた経験の無い者など俺は信用できない」

「前栽畑での青物づくりは正直言って最初の頃は気が進まなかった。やはり俺は武士なのだ。・・・しかし青物を作っているうちに、百姓も真剣勝負をしていることが分かったのだ。命がけの仕事をしている。それからというもの俺は百姓を馬鹿にすることができなくなった。馬鹿にしていた自分自身を恥ずかしいと思うようになったのだ。新之助、分かるか、俺の気持ちが」

「分かる。分かるよ。そしておぬしが元気になったのは、拙者にとっても格別嬉しいことだ。」

「これからも青物組で青物づくりをしながら、もっともっと元気になりたいと思っている。そしてできることなら生まれ変わりたいとさえ思う。」

「あまり思いつめて考えるなよ」

「自分が重荷、と思う時がある、というより無用の人間と」

「俺のようにいい加減な人間にはその辺りはちょっと分からんが・・・。さあもう一杯やろう。人生はなるようにしかならない、というところがあるもんだ。とにかく肩の力を抜いていこう」

 それから新之助は声をちょっと低くして

「ところで氏安様は若いが、大したものだ。郷助がわが下屋敷のためにあれほどのことをしてくれるのも、藩政方針がここ江戸でも貫かれているからだと思う」

「殿は本気なんだ」

「拙者もそう思う。頑張ってほしい。周りには古狸が何匹もいるからな。中には幕府の息のかかった者もいるだろう」

 雲の切れ間から大きな月が顔を出した。風が吹いてきた。二人は黙って月を見上げた。月はすぐに厚い雲に埋もれていってしまった。

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