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時代小説「欅風」(66)狭野藩 江戸に物産店開設

 狭野藩では江戸に藩としての店を出すことにした。店を出すための準備は戸部新之助と天岡文七郎が担当した。藩主氏安の承認の元、戸部が直営店の最初の責任者となった。

 新之助は三枝の手紙を送った。

「一年の予定だったが、あと一年江戸に留まり、狭野藩の店の立ち上げをすることになった。ただし、これからの一年間は、時々は家に帰ることができる」

 江戸では柄を入れた絹布を主力商品とし、狭野藩の物産を併せて販売する。一方狭野藩の薬草は江戸の薬種問屋向けに販売することとし、本人の申し出もあり、責任者は天岡となった。新之助は荻屋に住み込んで呉服商の商売の仕方を覚えた。

 一年経ったある日、新之助は萩屋の主、徳兵衛の部屋に呼ばれた。

「戸部様、お約束の一年が経ちました。戸部様には一年と言わず、二年も三年も居て欲しかったのですが、藩とのお約束、お別れの時が来ました」

「旦那様、この一年間大層お世話になりました。呉服の商売がどんなものか、全く商売をやったことのない素人の私を仕込んでくださり、本当にありがとうございました。お礼の言葉もございません。侍の私は気がきかなくてさぞ使いにくかったかと思います。旦那様、番頭さん、お店の皆様のお陰で何とか一年間遣り通せました。楽しい日々でした」

「そうですか、そう言って頂ければ私も嬉しい。さてこれからのことですが、狭野藩として新しく呉服の店を四谷の荒木町に出すとご家老から伺いました。また引き続き手伝ってほしいとも」

 新之助は荻屋の二階の自分の部屋を片付け、皆に礼を言って店を出た。道から店を見上げ、ふかぶかと頭を下げた。店の前では何人かのものが見送ってくれた。

 四谷荒木町の店は既に狭野藩の江戸詰めの者達が開店準備に入っている。

 さてこの荒木町の店は狭野藩にとって大きな役割を持つ店だ。ぜひとも繁盛させなくてはならない。天岡との打ち合わせで店の運営方針は以下のように決まった。

1.店の屋号は「大和屋」 狭山池のある土地の古名から取った。

2.番頭は荻屋の番頭繁蔵の下で働いていた順吉。新之助は徳兵衛と相談しながら人選を 行なった。徳兵衛は順吉の下に店の者四名をつけてくれた。

3.最初の一年間は店の名を知ってもらうことに力を入れる。そのためには接客は丁寧にする。時間がかかってもよい。お客様の要望をきめ細かく掴む。

4.主力商品は柄ものの絹織物。木綿の織物と違って絹織物はお金のある町人の妻女がお客様だ。既に有名な絹織物の店は数多くある。同じことをしていては売れない。

 狭野藩では外出着ではなく、家の中で着たり、使ったりする絹織物の開発を進めてきた。下着として着る肌襦袢、部屋着して着る長襦袢。以前は遊郭で遊女が部屋着として愛用していたが、最近は町人の妻女の間で着るものが増えてきている。今迄は色の赤い緋襦袢が主流だったが、最近は色の好みが若緑、かば茶、小紫と増えてきている。薄くて軽く、夏も涼しげな襦袢、そして敷布団の上に敷く敷物。絹でつくった小物。

 襦袢となるとやはり縮緬だ。京都丹後の宮津から縮緬職人に来て貰い、縮緬づくりの指導を受けた。

5.店の一部で美容に良い商品を販売する。狭野藩で採掘している泥炭は泥んこにして顔に塗ると美肌にとても良いとのことで堺、大阪で売れ始めている。もう一つはお通じを良くするヤーコンの粉末、そして3番目は疲れを取るウコンをすりおろした甘酒。

 荒木町の新店「大和屋」開店の日。朝から晴天だった。店の前にのぼり旗を八本立てた。

 そして新之助以下、順吉、店の者が全員並んで道行く人達に声をかけた。

「縮緬の襦袢を揃えております。白襦袢、緋襦袢の他に若緑、かば茶、小紫の襦袢もございます。部屋着としてお使い頂けます」

「縮緬の風呂敷、小物入れもございます」

「美容のための商品も三種類、用意してございます」

 通り過ぎる客が殆どだ。なかなか店の中に入ってくれない。そうこうするうちに両脇と露地を隔てた正面の店から苦情があった。

「少し静かにしていただけませんか。私どものお客様がうるさい、と言っておられますので」

 そうこうするうちに店に客が入り始めた。一つ一つ商品を品定めしている。お客様の様子を見て、順吉が寄っていく。町人の女房風だ。

「この小紫の襦袢、粋ね」

「ありがとうございます。どんな色がお好みなんでしょうか」と順吉。

「私はやっぱり緋襦袢だわ。母にはかば茶の襦袢がいいかもしれない」

 お客は店の中のものを一通り見た後、

「また」と言って出ていった。

 若い女の客も入ってくる。

 縮緬で作った髪結びを手に取って見ている。店の若い者が、

「こちらに鏡があります。髪に結んで、ご覧ください」

 気にいったのか、若い女は髪結びを買うことを決めた。

「前からこういう柄のを探していたんです」

 町人風の老人が店に入ってきた。

「こちらでは絹の敷布を扱っているとか。ちょっと見せていただけますか。なに、私ではなくて、婆さんのために肌あたりが良くて、汗を吸い取ってくれる敷布がほしいと思っていましてね」

 順吉が応対している。店の者に指示している。

「敷布を全部の種類持ってきておくれ」

 店の者が店裏に走り、全種類の敷布を持ってくる。

 老人は敷布にそっと手を当てて、

「何んとも言えない肌さわりですな。木綿ではこうはいかない」

 順吉は言う。

「もしよろしかったら奥様と一緒にご覧になったらいかがでしょうか」

 老人はちょっと顔を曇らせ、言った。

「家内は身体を悪くして、寝たり起きたりの生活なんです。買物のための外出もできないと愚痴を言っております」

「そうですか、それはお気の毒なことです」

 老人はその場を離れず、敷布に触わりながら何か考えているようだ。そしておもむろに言った。

「お店の品物をみつくろって、私の家内のところに持ってきてもらえないだろうか。私はこの荒木町の先に住んでいる薬種問屋の主です」

 順吉は即座に言ったものだ。

「ありがとうございます。奥様に見て頂くための品物を取り揃えて直ぐにでも伺わせて頂きます」

「それでは私はこのあたりをぶらっとしてからまた戻ってきますので、その時ご一緒に私の家に参りましょう」

 順吉は荷車に品物を乗せて、店の者を一人連れて薬種問屋に主と一緒に向った。

 二刻後、順吉が戻ってきた。

「沢山、お買い上げいただきました」

 その声が弾んでいる。

 開店初日、店を閉じた後、荻屋十訓を大和屋十訓に変えたものを皆で唱えた。

 帳簿をつけながら順吉が言う。

「毎月買ってくださる得意先を増やすことがやはり大事ですね」

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