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時代小説「欅風」(30)大阪城修築・真田丸片付け作業 その二

 それからの日々、氏安は夢を見なくなった。真田丸の片付けもほぼ目途がついた頃、氏安は久し振りで夢を見た。

「あと三日もすれば片付けの作業も終わります。最後に一つだけお教えください。天王寺口の戦いの時、なぜ大御所の本陣に突入することができたのですか。」

 闇の奥に向かってこれが最後の問いだった。闇の奥から声が聞こえてきた。

「戦場では何が起こるか分からない。複雑な動きがつきものだ。それをしっかり見極め自軍の主導性と可能性を見つけだす、これが将の務めだ。何を最終目的とするか、つまり戦略を確立し、その上で作戦を立てる。私が最後の決戦の日、天王寺口で形勢を望見していた時、大御所の本陣がまっすぐ近づいてくるのが見えた。本陣の前方、左右に水野勝成隊と本多忠政隊の駿河衆の将兵が展開していたが、左右の間に微妙な隙間があった。本陣に天王寺と茶臼山を望見させるためであったのかもしれない。わが隊の前には松平忠直隊が立ち塞がっていた。そこで私は決断したのだ。かねてから最終目的は大御所の首級一つ。

 松平隊を、錐を揉み込むように切り崩し、隙間をこじ開け、そこから一気に本陣に迫ろうと。

 ここが私と真田の赤備えにとって本当に最後の決戦の場となるのだ。死に場所なのだ。私と大助は赤い一団となって、松平隊を攻撃し、退かせ、左右の敵を蹴散らしながら徳川本陣に向かっていった。」

 そこで闇の声は突然終わった。

 氏安には見えていた。決死の赤備えの大きな塊が怒涛のように家康本陣に迫ろうとしている。その塊を引っ張るかのように赤い軍団の前を栗毛の馬に乗った幸村様が単騎疾駆している。それはまるで赤い魔神のようだ・・・。氏安は全身が震えた。


 氏安は真田丸の片付けが終わったことを報告するために藤堂高虎のところに参上した。高虎は幸村の攻撃を受けて自決寸前迄追い込まれた大御所を助けた功により三十二万石に加増されていた。

 高虎はねぎらうかのように氏安に声をかけた。

「この度は片付けと清掃という地味な仕事であったが、見事に成し遂げてくれた。氏安殿は幸村殿の心に触れることができたのではないかな。敵将ながら『日本一の兵(つわもの)』であった」


 氏安は真田丸の片付け、清掃の普請の指揮をとりながら、かつてない精神の高揚を覚えた。

 今はもはや鉄砲、槍の刀槍の戦いの時代ではない。しかし将のあるべき姿は変わらないのではないか。幸村様は自分にそれを教えてくださったのだ。

 狭野藩に戻ってすぐ、氏安は厳光和尚を訪ね、今は亡き法全和尚の前で真田丸の片付け、清掃普請の報告をした。

「和尚様、私にとって初めての現場指揮でしたが、無事やり遂げることができました。私はこのことを通じて何かを得ることができたようです。ご加護ありがとうございました」

 また亡き母の墓前の前で祈った。

「母上はこれからの時代の生き方について教えてくださいました。どうかこれからもこの氏安を見守り続けてください」


 氏安は普請部隊の侍を集めささやかな宴を催した。一人一人に声をかけて、労った。満月がきれいな晩であった。酒を飲みながら無礼講ということで皆で歌ったり、踊ったりした。



 氏安は大川の改修、大阪城真田丸の片付け、清掃の二つの大きな普請をやり遂げた。その陰には普請を財政面で支えた天岡文七郎の働きが大きかった。もし米以外の産物収入が無かったならば、たちまち行き詰まり、普請は遂行できず、狭野藩は取潰されていた。

 我が藩はまことに小さな藩だ。山椒は小粒でもピリッと辛い。そのような藩にならねばならない。小さな藩でも自立して、この徳川の時代を生き抜くのだ。私はこの狭野藩を守り抜く。幸村様の兄上の信之様も真田藩を守り抜いているではないか。私は幸村様、信之様には遠く及ばないが私は私の身の丈でやっていく。


 氏安は徳川幕府の支配体制は更に強化されることと覚悟していた。各藩の力を奪い、締め付けるような制度が次ぎ次ぎと打ち出されてくるはずだ。鍵を握るのは藩の財政力と特徴のある産物の増産だ。そして何よりも大切なことは藩の中で暮らし、仕事をする者達が身分、職業の違いを超えて心を一つにすることだ。またそれぞれの専門家を確保し、育てなければならない。

 氏安は財政研究掛に天岡文七郎をあてた。また産物組を設けた。組の長は当面は決めず、輪番制とした。また田畑を天地の災害から守るため土木研究掛を設け、土木技術の研究に当たらせることとした。この責任者には叡基を充てた。叡基は喜んで引き受けてくれた。

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