野の草のように
- 22 時間前
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阿部 義通
阿栗がそれに最初に気が付いたのはJR武蔵野線南浦和駅のプラットフォームのベンチに座っていた時だった。
見るともなしに向かい側のプラットホームの下、線路の脇に草が生えている。レールと枕木を支える砂利の中から、1本雑草が伸びている。真夏の暑い午後、熱くなっている砂利の中から緑の茎と葉を伸ばしている。なにもそんなわざわざ過酷なところで枝葉を伸ばすこともないのではないか、と一瞬思った。・・・がそのあとすぐ、雑草の声が聞こえた気がした。「私たちは風に運ばれて種が落ちた場所で根を伸ばし、茎葉をつけていきます。途中で枯れてしまうことが殆どですが、たまたま線路の砂利に間に飛んできて、溜まった土があれば、そこで生きていこうとします。置かれた場所で生きようとする、それが私たちです。溜まった土の上で枯れて、私たちもいつか土になっていきます」
そのことがあってから電車に乗った時、阿栗は窓外の風景を見ながら、線路の間、壁面の雑草に眼をやることが多くなった。誰からも世話されずに生えている雑草。どちらかと言えば邪魔者扱いされる雑草。それでも生きている雑草。
阿栗は畑を借りて野菜を夫婦で栽培している。約100㎡の菜園だ。雑草の種が飛んできて菜園のあちらこちらに雑草が生えている。以前は雑草を邪魔者扱いにしていた。手で、また三角ホ―などを使って除いていた。除いた雑草は枯らして草マルチに使える。また枯れた雑草は燃やして草木灰にしたいところだったが火を使うことが難しく、灰としてはて利用できなかった。
雑草について考えるようになってから、阿栗は自分も雑草のような人間ではないかと思い始めた。世間的に名を知られた存在ではなく、十パひとからげにされるような人間だ。雑草が身近な存在になってきた。しかし雑草にもそれぞれ名前がある。阿栗が知ってる雑草の名前は僅かだ。ドクダミ、オオバコ・・・。ということで雑草の本を買った。「野草・雑草図鑑」だ。約300種類の雑草が紹介されている。
阿栗にも阿栗という名前があるように、雑草という名の草はない。これからは図鑑を片手にして名前でその草を呼ぶことにしよう。
先日家の近くの川の土手道を歩いた。以前刈り上げた土手に新しい草が生えている。誰が世話をした訳でもないのに新しい茎葉を伸ばしている。まさに雑草の逞しさだ。置かれた場所で生きようとする雑草の逞しさを感じる。自分も雑草のような人間だが、置かれた場所で本当に私らしく生きているだろうか、改めて雑草から問われているように感じる。今日も武蔵野線の南浦和駅のプラットフォームのベンチから線路脇の雑草に視線を送る。気のせいか以前見た時よりも雑草の群れが増えている。
「人 その一生は草のよう。人は咲く。野の花のように」
私も野の草。目立たないかもしれないが、花を咲かせ、できれば実を結んでいきたい。
(以上)

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